第5話 パチスロ指南
捜査が進む中で、取引会社がそんなに変わっていないということが分かってくる。聞き取りの際に、
「あの会社には、いろいろ怪しいウワサもある」
という言い方を相手がしてくれば、深く話ができるのだが、警察から、あの会社を怪しいとはいえない。下手をすれば、誹謗を広げてしまったということで、警察が訴えられかねないからだ。一種の異形業務妨害と言ってもいいだろう。
そういう意味で、なかなか気を遣う聞き取りであった。
それでもKエンタープライズという会社に対しての誹謗中傷は少なからず分かっているところが多く、もっとも、それくらいしないと、今の世の中何があるか分からない。取引先を抱えている会社には少なくとも、取引先の情報を調査する部門があったりするはずである。
今は一営業にだけ任さておける時代ではないのかも知れない。
特に、取引先の倒産であったり、知らない間に何かに加担させられていたり、詐欺などに関わらされていると、自分の会社の存続にも関わることになるからだ。
そのことは、経営者であれば、最低限のこととして考えるであろう。
特に情報関係の会社であれば、個人情報や、会社内部の事情などといったものを漏洩させてしまうと、会社倒産とまでは直接いかなくても、罰金や会社の信用問題に繋がり、最終的には倒産を余儀なくされるというシナリオが、容易に想像できるというものであろう。そんなことまで捜査を続けていくと、Kエンタープライズは、
「限りなくクロに近い、グレーだ」
と言えるのではないだろうか。
大っぴらに、
「黒だ」
と言えないだけで、グレーの最上級であることに間違いはないようだった。
つまりこのことを、
「闇」
と表現してもいいだろう。
さて、桜庭という男のことを捜査していた隅田刑事であるが、桜庭という男と、殺された眞島との間に、異様な関係があったということを聞きつけた。
「それは、どういうことなんですか?」
とその話をしてくれた人に聞いてみると、
「死んだ人のことを悪くいうのは嫌なんですけどね。眞島さんという人は、どうも陰湿なところがあって、人とあまり関わることのない人だったんですよ。いつも一人でコソコソしてね。だから、仕事でも誰からも構ってもらえず、自己流でやらなければいけなくなった。それがいつのまにか意固地になっていて、まるで自分のやり方が正で、まわりを認めないという感じになったんです。だから、会社もそんな彼を開発から外したんだと思うんですよ」
と言った。
どうやら彼は、眞島という人間が、性犯罪を密かに行っていて、前科がいくつかあるということを知らないようだ。まあ、それも当然だろう。会社としては、なるべく隠しておきたいことで、一番知られたくないのは、自分の会社の社員だからである。そういう意味で眞島の裏の顔を知っている会社の人間は、本当に限られた人物だけであろうことは、容易に想像ができるというものだ。
ただ、そのせいもあってか、彼が眞島の異動に関して、独自の意見、いや、これこそ会社の仲間全体の共通した思いなのかも知れない。
そこまで考えてくると、眞島という男が会社でどのように見られていたのかが分かる気がした。
そういう意味で、眞島と桜庭の関係性について新たな話が出てくるのは、捜査の成果だといってもいいだろう。そのうちに、二人の関係が暴露されてくることで、事件の核心に繋がればいいとさえ思っていた。
「どうも桜庭さんの方が、眞島さんに影響力を持っていて、どうも、眞島さんは桜庭さんに逆らえなかったのではないかと思うんです」
という。
「それは、見た目ですぐに分かったんですか?」
と隅田刑事が聞くと、
「いえいえ、そんなことはありませんよ。二人の関係なんて誰に分かるわけもなく、開発員の中には、二人が話しているところを見たことがない人がほとんどなんじゃないですか? 私も途中まではあの二人は仲が悪いのだと思っていましたからね」
というので、
「どうして仲が悪いと思ったんですか?」
と聞かれた同僚は、
「だって、同じ部署で働いていれば、当然のごとくお互いに気を遣わなければ、仕事なんかできるものではないですからね。真剣に仕事をしようとすると、なるべく人間関係での摩擦は避けなければいけないという思いに至るわけで、そうなると、少なからず何かしらの関係があるというものですからね。それが二人にはまったくなかった。それは当然仲が悪いという思いに至っても、別に不思議のないことですよね?」
というのであった。
「なるほど、それは当然のことですね。ということは、実際に仲が悪かったわけではないと?」
と隅田刑事が聞くと、
「ええ、仲が悪かったというわけではないようで、そうなると、二人の関係性に別の意味での興味が湧いてくるというものです。私は、そういうのが気になる方なので、よく二人を観察していると、どうも、眞島さんがやたらと桜庭さんを意識していて、気ばかり遣っているとしか思えないんです。では、桜庭さんはどうか? 彼は逆にまったく眞島さんを意識していません。完全に上から目線になっていて、余裕があるというか、余裕しか感じないんですよ。それを思うと、二人がどこか、主従関係に見えてくるから不思議ですよね? そう思えてくると、もう二人に対してはそういう目でしか見れなくなった。そうなると、自分の考えが間違っていないのではないかと思うのも、無理もないことではないですか?」
というのだった。
「なるほど、確かにそうかも知れませんね。特に同僚だと最初はあまり気にしないようにするように気を遣っているが、一旦気になってしまうと、もうそこから目を逸らすことなどできなくなる。それがあなたの目なんですね?」
と言われた同僚は、
「ええ、まさにその通りです。私には、あの二人のっプライベートはまったく知りませんが、会社を一歩離れると、二人ともまったく違った正確なのではないかと思うんです。具体的には分かりませんが、もっとも、それを知ろうとも思わないですけどね。そういう意味で、二人とも別の部署に異動してくれたのはありがたかったですね」
というのだった。
ここで、隅田は考えた。
――この二人の間には、脅迫のようなものがあるのかも知れない。桜庭が眞島の秘密を握っていて。それを黙っている代わりに、奴隷になれということではないだろうか? ただ、それは今までの犯罪遍歴ではないだろう。もしそれだけことであれば、別に会社も分かっているのだから、脅迫の材料になるものではない。となると、それ以外の誰にも知られていない重大な秘密を、桜庭という男が握っているということではないか?
ということであった。
隅田刑事はそこまで考えてくると、
「あなたが思うこの会社はどうなんですか? ブラックというウワサも結構あったりするようなんですが」
と、訊いてみた。
本来であれば聞いてはいけないことなのではないかと思ったが、今までの話を聞いたうえで、
――この男なら、公平な目で冷静に現状を見ているかも知れない――
と感じた。
だから聞いてみようと思ったのであって、その思いは間違っていなかった。しかし、彼から新たなことが聞かれたわけではなく、
「ええ、そういうウワサはあるようですが、正直他の会社の事情とかも分からないので、この会社がどうなのかということは言えないと思うんですよ」
とうまく逃げられた気もした。
「そうですか、失礼なことを聞いてすみませんでした」
と、隅田は答えるしかなかったのだ。
もし、眞島が桜庭に弱みを握られているとすればどういうものなのだろう?
どちらも叩けば埃の出る身体ではある。要するに、どのような埃が出て、その埃はどちらの方が協力なのかということであろう。
逆に、埃そのものよりも、相手の弱みを握ってさえしまえば、恫喝でも何でもして相手に対して、まともに考えさせないようにしてしまえば、相手がどうであれ、自分に勝ち目があるということになるのであろう。
この二人の関係性がどちらなのか、それともどちらでもないということなのかと、隅田刑事は考えていた。
眞島という男は確かに、犯罪者で前科ものだが、そのすべてにおいて、凶悪ということはない、犯罪を差別してはいけないのだろうが、少なくとも、それほど大きなことではない。
こういう男は犯罪という意識がなく、自分の欲に打ち勝つことができないという小心者だということだ。
何かに依存しなければ生きていけない。ギャンブルや薬物依存症のようなものだと、隅田は考えた。
「依存症と呼ばれる人は、再犯率が高いと言われている」
という話を思い出した。
再犯が多いからと言って、依存症の傾向だというのは、ちょっと乱暴なのではないだろうか。
隅田刑事も今は立派な(?)な警察官になってはいるが、実は大学生の頃、パチンコに嵌っていたことがあった。
授業はそこそこにしておいて、大学生という、
「生きているうちに一番自分で使える時間を持っている」
というそんな時間のほとんどをパチンコ屋で過ごしていた。アルバイトは結構していて。何かを買うわけでもなく。旅行などの趣味にお金を使ったわけでもない。
それなのに、お金が残ったというわけでもなく。何に使ったのかというと、
「パチンコに消えた」
としか言えなかった。
パチンコを知るまでは、
「お金をかけて遊ぶなんて」
と言って、依存症のことも理解しているつもりだったのに、本当に湯水のごとくお金を使った。
それはまるでお金を使うことと、パチンコを楽しむことを切り離して考えているかのようだった。まるでゲームセンターでゲームをする感覚で、
「勝てばお金が戻ってくる」
という程度の考え方だった。
お金が戻ってくると言っても、しょせんは小遣い程度のものだ。実際につぎ込んだお金は、一日のアルバイト料を遥かに超えている。つまり、毎日パチンコをしていれば、間違いなく破産するレベルだということだ。
玉の値段によって、換金額も変わってくるので、
「軍資金をいかに安くすますか?」
ということであったり、
「軍資金に糸目はつけないので、勝てばでかい」
という発想のどちらがいいかということである。
さすがに頻繁に行くのであれば、軍資金が足りるわけはないので、少ないレートでの遊びとなるだろう。
最初の頃は、
「いかにすれば儲かるか?」
ということを考えていたが、そのうちに、
「どうせ儲からないのだから、レートなんか気にすることはない」
と思うようになると、次第に、お金目的というよりも、ゲーム性に重きを置くようになる。
当たる当たらないは別にして、チャンスが来ると、これでもかというほどの大げさな演出が盤面に起こっている。ギミックなどが発動され、当たるか当たらないかという状況にドキドキする。
隅田刑事はゲームをやらないが、
「ゲームをしている人は、パチンコのチャンスの時と同じ感動を味わっているのだろうか?」
と感じた。
どっちもする人は分かるのだろうが、ゲームをしない人にとって、
「お金が掛かっていないのに、どうしてゲームになど夢中になれるのだろう?
と思うのだろうが、その思いは、
「パチンコという遊戯は、お金をかけるのだから、ギャンブル以外の何者でもない」
ということになるのだろう。
「パチンコを始め、ギャンブルが悪いというのは、そのゲーム性に夢中になって、そこに金銭が絡んでいるという感覚が薄れてしまっているからなのではないだろうか?」
と考えているのではないかと思えた。
つまり、パチンコをしている人は、金銭的な欲求と、ゲーム性への欲求の二つを同時に持つことはできず。ゲーム性を重んじてプレイしている人は、金銭感覚が甘くなってしまって、自分がどこまで使っていて、その状況が危ないということを理解していないということだろう。
逆にお金目的であれば、ゲーム性に関係なく。お金だけを見ていればいいのだから、ある意味冷静だと言ってもいいだろう。冷静になれるのだから、ゲーム性を重視していることで、金銭感覚が薄れて行ってしまったことで、最初からお金を見ている人間に比べれば恐ろしい。
「お金に対して真摯に向かうことができる人は、大きなけがをしない」
と言われるが、その通りなのだろう。
お金というものをいかに感じるかということがギャンブルで大けがをしないことに繋がるのだろう。
ギャンブルだけでなく、金銭感覚がマヒしてくると、ロクなことはないという証明ではないだろうか。
それを考えれば犯罪というのも似たところがあるのかも知れない。
お金が絡む犯罪は、基本的に犯行を犯している人間には、お金に執着はしているが、金銭感覚という意味ではマヒしていると言ってもいいだろう。
お金を使う時、そしてお金を貯める時の感覚は、まったく正反対のようで、実は似ているところがある。これは、
「タマゴが先か、ニワトリが先か?」
と言われるのと同じではないだろうか。
どちらがタマゴで、どちらがニワトリなのか分からないが、それぞれに繋がりがあり、そう、まるで、
「昼と夜の関係」
と言ってもいいのではないか。
それぞれが正反対であり、世の中には太陽の光の有無という意味でだけ考えれば、昼と夜しかないのだが、
「必ず昼の次には夜が訪れ、夜の次には昼が訪れる」
ということであるのは、それぞれに同じである。
しかも、それらは時系列で続いていくので、それらは、
「まるでらせん階段のようだ」
と言ってもいいだろう。
らせん階段というと、いわゆるスパイラルである。これがパチンコのように、どんどんと悪い方に落ち込んで行ってしまっているのであれば、それを、
「負のスパイラル」
と言っていいのではないだろうか。
パチンコにしても、酒タバコにしても、それぞれにスパイラルがある。そして、この負のスパイラルという言葉を思い起こすと考えられるもう一つの感情が、
「躁うつ病」
であった。
警察官として働いている以上、他の人は誰も知らないことであるが、隅田刑事は昔、躁鬱症を患っていたことがあった。
あれは、高校時代くらいだっただろうか。隅田刑事には、
「勧善懲悪」
という意識があり、
「悪に対しては、いかなる忖度も使ってはいけない」
という感覚だったのだ。
勧善懲悪というのは、テレビの特撮ヒーローものであったり、時代劇における、
「庶民が、悪代官をやっつける」
あるいは、
「将軍様や、お奉行様が、悪代官を懲らしめる」
というものである。
ヒーロー特撮ものというと、少年から中高生くらいまでというのが主流で。逆に時代劇というと、老人が主流だと思われがちだが、最近ではそうでもないようだ。
子供の頃から特撮を見てきた少年が、そのまま大人になっても、特撮を見続けるということも普通によくある。
「特撮を見始めて、もう四十年くらいになる」
という人もいるくらいで、特撮ヒーローものというのが流行り始めたのも、その頃が最初だったようだ。
それだけ、
「俺は、特撮を最初から見続けているパイオニアだ」
という意識を持っている人が多いということだろう。
それを言い始めれば、アニメでも同じことで、逆に時代劇だって、子供の頃に、おじいさん、おばあさんと同じ部屋に住んでいれば、嫌でも時代劇を見せられた記憶もあるだろう。
そして、いつの間に蚊、主役の老人の横に控えている家老が、印籠を手にして、
「ひかえおろう」
などというセリフを聞いて、いつの間にかドキドキしているのを感じる。
毎回同じパターンなので、
「よく飽きないな」
と思うのだろうが、いつもの時間に同じシチュエーション。その方が気楽になれるというのは不思議なものであった。
それが勧善懲悪というものだ。
子供の頃から見ていたものや、それについて感じたことは、そう簡単に忘れることはできないものだろう。時代劇と同じで、パチンコのギャンブル性は、当たる時の演出に、勧善懲悪を思わせるものを入れていたりする。
最初から、
「外れる方の確立の方が圧倒的に高い」
という意識があるからこそ、当たった時の喜びはひとしおなのだ。
しかも、ギャンブルをする人で、本当のギャンブラーではない人は、一度外れたら、他に移るということはしない。
それは、パチンコというものが、
「完全確率性である」
ということを分かっているからだ。
完全確率というのは、例えば、五百分の一の確率で当たると言われるものがあるとすれば、普通であれば、一度外れれば、次は四九九分の一になるというのだろうが、パチンコの場合は、次にまた五百分の一に戻るのだ。
これは、おみくじを引いた時、一度引いた竹を、おみくじ箱の中にもう一度戻すというものと考えれば分かるのではないだろうか。
だから、必ず五百回以内で当たるというものではなく、一回転で当たる場合もあれば、二千回転やっても当たらない場合があるということだ。
あくまでも、パチンコというのもゲームなのだから、シナリオができていて、そのシナリオがどう動けば大当たりに結び付くかということが問題なのである。
だから、
「大当たり確率」
と言われるのであって、要するに当たる確率を平均でどれくらいにするかというプログラムを組んでいるだけなので、ひょっとすると、十回以内に当たるという高確率が何度も続くかも知れない。
そうすると、平均でいくならば、そのゾーンを抜けてしまうと、理屈でいえば、当たる確率がその後、どんどん膨れ上がっていくということになるのであろう。
そう考えると、パチンコこそ、本当のギャンブルと言ってもいいかも知れない。
何と言っても人間がプログラミングした機械によって支配されるものなのだから、カジノにあるようなゲームに比べれば、予想も立てやすいというものだ。
それだけ、その一台の特性を調査しておいて、もちろん、機種の情報が頭の中に入っていることが大前提であるが、理論的な計算を立てて、数字を当て嵌めれば、ギャンブルであっても、予想はつきやすいというものだ。
だから、昔から、「パチプロ」などという人がいて、彼らがパチンコを商売にできたのだろう。
昔の釘の調整のことからパチプロはいたが、それこそ完全にプロのわざである。いわゆる、「スリ」を完璧にやるために訓練した人と同じようなものだ。
だから、釘ではなく、ロムの問題になってからのパチプロは、あくまでもデータに基づく根拠でなければいけないのだった。
だから、忰田はギャンブルと言っても、パチンコ以外はしなかった。
「他のギャンブルとはまったく違うものだ」
という感覚があったからだ。
他のギャンブルにはないゲーム性がまず一つで、競馬、競輪のように、人が出走するものを、ヤマカンのようなものでレースを予想しているもの。あるいは、麻雀のように、自分の実力が伴わないものなどといろいろあるが、明らかに違っている。
ちなみに、競馬、競輪などの公営ギャンブルのほとんどは、データに基づいて予想する人がいるので、ある意味、パチンコとよく似ているのかも知れない。
しかし、そこまで競馬競輪を好きではない隅田にとって、やはり、
「他のギャンブルとはまったく違う」
と考えていた。
それは、やはり、ゲーム性を重視して考えるからであろう。パチンコの神様が、
「ゲーム性を重んじる感情で金銭をかけると、金銭に対する感覚がマヒしてしまって、湯水のようにお金を使うことになってしまう」
ということにしてしまうのではないかと考えたのだ。
最初はパチンコばかりをしていた隅田だったが、そのうちにスロットの方に変わっていった。
パチンコと違い、リールを止めて、バーであったり、「7」という数字を揃えなければいけないという意味で、パチンコよりも、
「自分でやっている感」
があるからというものだった。
スロットというのは、パチンコと同じだと思っていたがいろいろと細かいところで違っている。
まずは、設定というのがあるということだ。
パチンコの場合は、最近では設定付きパチンコというのがあるが、基本的には、設定というものはなかった。
では設定というものが何であるかということであるが、
「設定というのは、一か六まであって、一が一番当たりにくい設定であり、数字が大きくなるにつれて、当たる確率が上がっていく」
というのが考え方だが、厳密にいえば、
「当たる確率というよりも、一つ前の段階である。設定を挙げれば、それだけ当たるための演出が発生する確率が高いというもので、直接的な大当たり確率ではない。だから、設定がよくても、絶対に勝てるわけではなく、実際に当たる可能性のある演出が頻繁に出ても、そのまま当たらずにスルーする」
というのも結構ある。
スロットの場合の設定というのは、設定する店長しか知らない。もちろん、他の店のスタッフにも教えない。なぜなら、次に日非番であれば、その台にくれば勝てる確率が高いからだ。まるでインサイダー取引のようではないか。
だから、これも暗黙の了解であるが、
「その店の店長は、絶対に自分の店では打たない」
というのが、鉄則だったのだ。
設定というのは、台を開けた時に存在する一から六まである部分のどれかのボタンを押すというようなものらしい。実際に実機の裏を見たことがないので、話に聞いただけであるが、要するに、簡単にできるということだ。そうでなければ、店が終わる午後十一時から、店長一人で設定を変えるなどできないだろう。当然、一台一台その台の傾向と今の設定を考慮して、設定変更するか、据え置きにするかというのを決めなければいけないからだ。
先ほども言ったように、設定を知っているからと言って勝てるわけではない。そのあたりが、ギャンブル性と言ってもいいだろう。
パチスロが好きな人というのは、そのあたりを醍醐味だと考え、二重にも三重にも勝てるまでに設けられているハードルを越えることを楽しみにしているのだろう。
ゲームと違って、損をするかも知れないと思うから面白いのかも知れない。
そういえば、昔の犯罪に、
「愉快犯」
というのがあった。(今もあるのだろうが)
その愉快犯というのも、ある意味、捕まるかも知れないと思いながらも、やってしまう感覚は、パチンコやスロットのように、
「負けてしまうかも知れない」
という損を覚悟で行う犯罪なのではないか? それこそ、勧善懲悪とは真逆の考えなのかも知れないと、隅田は思ったのだ。
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