第3話 主従関係
捜査は、最初から困難を極めた。被害者が誰であるか、そして、その被害者がかつての前科者であるということから、容疑者は絞られてくるのかと思ったが、そんなこともなかった。
彼が行った犯罪と言っても、人に恨みを買うようなものではなく、ましてや殺されるほどの動機を持っている人間もいないだろう。しかも、、表に出ている犯罪だけでも、結構あったので、それを一つ一つ洗うというのも難しいことだった。
彼の犯罪は、懲役になるようなものではなく、罰金刑くらいのものだった。そういう意味で、かつての犯罪から彼を殺した人間を割り出すというのは、少し捜査の方法からは、方向が違うのではないかと思われた。
となると、オーソドックスに、彼の現在の身辺調査と、現場での目撃者探しなどというものでなければならないだろう。
現場は早朝のことで、なかなか、目撃者がいるわけでも、境内ならいざ知らず、寺務所の入り口奥の階段になっているところなど、監視カメラがあるわけでもなく、ある意味、死角になっていたと言ってもいいだろう。
捜査本部が置かれて、捜査を始めようとしていた時、鑑識からの報告がもたらされた。大体、おおまかなところでは、鑑識官の所見とほぼ合っていたと言ってもいい。補足程度になるが、胃の中の消化物から、食事を摂ったのは、死亡推定時刻から三時間くらい前だろうということだった。
ということは、深夜の日付が変わることくらいだっただろうか? 胃の内容物から、生魚だったのではないかということで、寿司か刺身を食したのではないかということだった。さらにもう一つ、
「誰は、どうやら睡眠薬を服用していたようです。死亡推定時刻から二時間くらい前に服用しているようですね」
と鑑識がいうので、
「じゃあ、食後すぐということでしょうか?」
と桜井刑事が聞くと、
「ええ、そういうことになります」
と鑑識官が言った。
「不眠症だったのかな?」
と柏木刑事が聞くと、
「何とも言えない気がするね。ただ、これで自殺の線が限りなくゼロに近くなったのも事実だね。睡眠薬を服用して毒を煽るというのは、普通は考えられないからね」
と桜井刑事が言った。
「そういえば、昔から、あまりよく眠れないと言っていたことがあったのを思い出しました。定期的に睡眠薬を服用していたとしても不思議ではないような気がします」
と柏木刑事は言った。
「深夜に寿司か刺身を食べていたということは、呑み屋に寄ったということかな?」
と桜井刑事がいうと、
「そうですね。微量ですが、アルコールも検出されています」
と鑑識がいうと、
「となると、和食だから、ビールか日本酒か、焼酎のようなものだと言えるのではないかな?」
と桜井刑事が推理すると、
「そうですね、日本酒ではないかと思われます。そしてアルコールの量が微妙だったわりに、この被害者は、酔い止めの胃薬も飲んでいるようです。相当アルコールが弱いんでしょうかね?」
と鑑識に言われて、
「そのあたりを念頭に入れて、捜査してもらおうかな?」
ということで、捜査が始まった。
被害者の身辺捜査には、前から被害者を知っていたという柏木刑事と、その補佐に隅田刑事が一緒になって当たり、現場の聞き込みその他には、桜井刑事が長谷川巡査を伴って行うことになった。
まずは、現場捜査を行っている桜井刑事の方であるが、前述のように防犯カメラや目撃者というのは、ほぼあてにならないのが分かったので、神社の近くにある居酒屋や寿司屋。さらに日本料理屋に立ち寄ってみて、彼が来店していたかどうかを聞きこんでみた。
被害者である眞島を見たという人を探してみたが、なかなか見つからなかった。そもそも、このあたりにには、日付が変わるくらいまで営業している寿司や刺身を出している店は見つからなかった。
「ということは、どこか誰かの家で寿司か刺身を食べたということなのかな? もし、そうだったとすれば、やつの行動を洗うのは結構骨が折れるような気がするな」
と思っていた。
しかも、被害者の顔写真というと前科者カードに乗っていた顔写真であり、その人相は、かなり悪いもので、それを見る限りでは、
「一体、何をやらかした男なんだ?」
と、思わせてしまうほどだった。
警察も写真を見せて、
「この男に見覚えありませんか?」
と言って、なぜ捜査をしているのかを名言しないので、さぞや、この男が何かの事件の容疑者ではないかと思わせているようだった。
被害者の部屋も、家宅捜索されたが、そこで見つかった被害者の写真も、結構人相が悪かった。
だが、彼が絶命していた時の顔は、それほどでもなかった。やはり、死んだ人間に人相を求めるのは無理というもので、違いの大きさは、目つきではないだろうか。
それだけ、この男の視線は鋭いものがあり、写真に納まる時でさえ、相手を威嚇しようとしているのを見て、やつがこれまで行ってきた些細とも思える犯罪から考えて、
「この男のこの視線は、虚勢なのだろうな」
と思えて仕方がなかった。
桜井刑事は、捜査を続けていく中で、少し範囲を広げてみると、この男を知っているという居酒屋の店主に会うことができた。
「ああ、この人、眞島さんですよね?」
と、知っている人がいたので、桜井は、
――範囲を広げてみてよかった――
と感じたが、肝心のことは、空振りに終わった。
「ああ、あの日でしたら、眞島さんは来ていませんよ。というよりも、うちが定休日でしかたらね」
というではないか。
少し落胆した桜井刑事だったが、それでも、、眞島のことを少しでも知ることができればと思い、いろいろと聞いてみた。
「眞島さんというのは、どういう方だったんですか?」
と聞かれた店主は、
「そうですね。明るい方ではなかったですね、いつも一人でやってきて、いつも同じメニューなんですよ。焼き鳥に魚、焼き魚が好きだったようですが、たまに刺身とか食べてましたね。「俺はサーモンが好きなんだよ』と言っていたのを覚えていますね」
と言っていた。
「なるほど、ここにきて、アルコールはどれくらい飲んでいましたか?」
と桜井が聞くので、
「あの方は、アルコールはほとんど飲めないんじゃないでしょうか? 最初の頃はビールばかりだったんですが、コップ一杯ですぐにきつくなるくらいだったんですよ。でも、途中から日本酒に変えましてね。こういう店だったら、日本酒が合うような気がするとか言いましてね。でも私は、ビールでここまで呑めないのだから、日本酒だったら、まったくダメなんじゃないかって思ったんです。でも、あの人の日本酒が強いのを分かっているから、時間をかけてチビリチビリやっているんですよ。それがよかったのか、少しは飲めるようになったんです。翌日に残ることもないと言ってました。慎重に飲めば、そこまできつことはないと気付いたんでしょうね。そのうちに、一合くらいであれば、飲めるようになりましたよ」
と言っていた。
マスターの話から考えると、ほぼあの日、やつが飲んでいたのは、日本酒ということになる。
「ところで、アルコールがあまり強くない人は、すぐに眠ってしまう人が多いと思うんですが、眞島さんはどうでしかた?」
と聞かれたマスターは、
「あまり眠そうにはしてませんでしたね。きっと、ゆっくり味わいながら飲んでいるのは、悪酔いしないためというよりも、眠気を誘わないためだったのかも知れないようにも思えてきましたね」
と言った。
「ところで眞島さんは、どれくらいのペースで来られていたんですか?」
と聞かれて、
「週に一回くらいのペースですかね。水曜日の夜が多かったような気がします。どうも仕事が他の人と違って、土日が勤務なので、休みは平日だと言ってました。シフトの関係で、最近は木曜日に休みが多いということだったので、水曜日の夜が多かったようです。数か月単位で、休みのパターンが変わるって言ってましたね」
とマスターは言った。
――ということは、土曜日の朝、死体が見つかったあの日は、仕事だったということだろうか?
と考えると、何か違和感があった。
誰にも見られていない時間帯である早朝に、神社で死体が見つかった。犯人は死体を隠すわけでもなく、見つかってすぐに検案が行われるとなると、鑑識の死亡推定時刻や、胃の内容物などはハッキリと分かるというものだ。
もし、動機などの面で容疑者が浮かんだとして、その人が犯人だとしても、犯人には、確固たるアリバイでもあるということであれば、すぐに死体が見つかったというのも理由としては成り立つだろう。
ただ、肝心の被害者の足取りが、そう簡単に分からないのであれば、少し事情も違ってくる。果たしてどう考えればいいのだろうか。
「眞島さんは、いつもお一人で来られていたんですよね?」
と聞くと、
「ええ、そうですね。ほとんどお一人でしたね。でも、そういえば、一度だけ、女性と一緒に来られていたことがありましたね。その時はテーブル席にお座りになって、楽しそうにお話されていましたね」
というのであった。
「それはいつ頃のことですか?」
と聞かれたマスターは、
「そうですね。確か三か月くらい前でしたでしょうか? 結構楽しそうにしていましたね。いつもは一人で来て、カウンターに座って、私と話をするのが部類の楽しみだって言っていたんですよ」
というので、それを聞いた桜井刑事は、
「普段から一人で来て、アスターとの会話を楽しみにしている人が、その日だけ女性を連れてきたということに、何か違和感を覚えますね」
と言った。
「私もそれはあったんですよ。女性を連れてきたのも、その日だけだったんですよ。もし別れたのだとすれば、この話題に、触れてはいけないと思ったので、それ以降は、その話を一度も眞島さんとはしていなかったんですが、今から思えば、確かに違和感ありありでしたね」
とマスターは言った。
「その女性は、どんな人だったんですか?」
と桜井に聞かれて、
「どんな、女性って言われても、普通の人じゃないですかね? 別に派手な感じはなかったですし、たdあ見ている限りぎこちなさそうではありましたね」
とマスターが答えた。
「ぎこちないというと?」
「ええ、二人とも、会話は少なかったですね。楽しそうにしているのは、その瞬間瞬間で、会話が途切れると、変な沈黙になっていましたね」
とマスターが言った。
「ということは、二人はほとんど面識がある相手ではなかったということなのか、その時に結構を意識していたか何かで、二人とも緊張していたということでしょうか?」
と桜井がいうので、
「たぶん、ふたりは面識はなかったんじゃないですか? 会話のタイミングもうまくいっていなかったようですしね。それを思うと、二人の会話をあまり聞いた気もしないんですよ。終始下を向いていたのは、男性の方で、女性の方は、逆に何も言ってくれないのを、イライラしていたようにも見えました。もちろん、会話が弾むと楽しそうだったんですが、それも、初対面の時にありがちのテンションだったんじゃないかとすら思えたんですよ」
とマスターは言った。
なるほど、確かに、初対面の時には、相手を知りたいという思いが結構あって、相手が話しやすいように、テンションを挙げる人も結構いたりする。それを思うと、この二人は、その初対面の異様なテンションを実践していたのではないかと考える。ただその場を見ているわけではないので、店主の話だけによるのであるが。
その女性というのもとりあえずは、確認できるのであれば、確認してみたい相手だ。だが、今のところ、彼の性格をよく分かっていないだけに、彼の身辺調査をやっている柏木刑事たちの話を聞いてみる必要もあるだろう。
さて、その柏木刑事は、まず被害者の会社に行ってみた。彼の会社は、システム系の会社で、オペレーターとして、クライアントの会社のマシンオペレーションを任されているという。
そもそも、ソフト開発の会社なのだが、自前でオペレーションもしているようで、その分、クライアントも、システムを分かっている人にオペレーションを任せることで安心だというのだそうだ。
眞島も、元々は開発をしていたのだが、オペレーションを任せる部署が新設されるということでそちらに配属になったのは、開発において、そこか問題があったからだろう。
納期に間に合わないだとか、開発する内容がクライアントのニーズに合っていないなど、どうしても、相手がある仕事なので、要望に応えられないと、開発者としても、まずいのではないだろうか。
そんな会社において、少し浮き始めたことで、チーム戦の開発は結構辛いものがあった。元々は、何か物を作ることが好きだった眞島だったが、チーム戦を嫌っていたこともあり、個性で勝負できる世界だと思って飛び込んだのだが、実際にはあくまでもクライアントの使い勝手の問題であったり、後から見る人間や、改修を考えると、後で見て、見にくいという個性あるプログラムを組まれると都合が悪かったりした。
まわりも最初は、気を遣ってくれていたが、それでも、自分のやり方を変えようとしない彼を、次第に冷淡な視線を浴びせるようになっていった。
完全に浮いてしまったが、へまをしたわけではないので、首を斬るわけにもいかず、困っているところに、上から、
「オペレーション部門を開設する」
という話が出てきたので、
「それでは]
ということで、彼を、新設されたオペレータ部門に移籍が決定したのだ。
彼としても、その方がよかった。
開発をしていても、出来上がった時の満足感はあるのだが、どこか、充実感に欠けていた。
「どうして、充実感を味わうことができないのか?」
ということを考えた時、その理由が、
「出来上がった完成物が、自分のものではなく、会社のものとなっていることに、密かな不満があった。
確かに会社から金を貰っての開発なので、開発者が自分であっても、会社のものになってしまうのは、当たり前のことだった。
分かっていたことのはずだったので、最初は自己満足でもよかったはずなのに、次第にそれが嫌だと思い始めたのは、まわりが自分を見る目が変わってきて、会社にいて空気が悪いと感じたからであろう。
ここには、本人たちが意識していなかった負のスパイラルが存在している。お互いに相手が見えないように、中心部分にある支柱だけが見えているかのように、らせん状に開店しているのであった。
そんな時の、
「配置転換」
は、どちらにとってもありがたかった。
開発にとっては、いい厄介払いになるし。眞島にとっても、いい加減人間関係にウンザリしていて、
「そろそろ辞める時期か?」
ということを模索していた時期だっただけに、
「辞めて、再就職を考えるよりも、同じ会社の別部署で求められているのであれば、その方がよほど楽だ」
と思っていた。
政府によってめちゃくちゃにされた社会にいきなり放り出されて、再就職などできるはずもないと思っているところだっただけに、
「そろそろ辞める時期か?」
と考えてはいたが、
「辞めるに辞めれない」
というリアルな考えも頭をもたげ、どうしていいのか、選択肢は嫌だけど残るしかないのか? と思っていただけに、渡りに船だったと言ってもいいだろう。
とはいいながら、彼が何度か前科となるような犯罪を繰り返してきたが、会社にバレなかったのは、よかったと言ってもいいだろう。
これはいいわけになどなるわけはないが、開発の仕事でのまわりの目と自分の足り方のジレンマによって、精神的に追い詰められていて、
「ついやってしまった犯罪」
だったのだ。
警察に捕まる都度、
「もう、このまま会社にいては、また同じことを繰り返す」
と思っていたのだが、さすがに三度目の時からは、警察からも
「次やったら、生活できなくなるが、覚悟しておくんだな」
と言われたこともあって、何とか耐えていた時、転属の辞令が出たことは、眞島にとってよかったのだろう。
実際に、オペレーション部門に移ると、ストレスはかなり解消され、それから、犯罪を犯すという気持ちになれなかった。
犯罪を繰り返してしまうのは、確かに自分の欲望によるものが大きいのだろうが、あくまでも環境が問題で、環境が変われば、精神状態も変わる。そうなると、それまでムズムズしていた感情が、サッと晴れてしまうというものだった。
そんな眞島と同じように、開発からオペレーションの方に転属になるやつがいた。
その男とは同期であり、眞島のように、開発の和を乱すようなこともなく、クライアントのニーズにあった開発もできていたはずなのに、なぜなのか、誰にも分からなかった。
「眞島はともかく、あいつまでもが」
と言われていたのだが、彼の名前は桜庭と言った。
実は桜庭にも、眞島のような秘密があった。それは、クライアントの会社と仲良くなり、相手の会社の上司から、桜庭の都合がいいように言わせるように仕向けたのだった。
もっとも、相手の会社の方でも桜庭を利用していたのだから、どっちもどっちだったが、そのことを開発部のようでも、ウスウス気付いていたこともあり、とりあえず転属させることにしたのだ。これこそ、一種のリスクヘッジのようなものである。
桜庭の場合は、眞島と違って転属させられることに、不満しかなかった。そんな桜庭は眞島を見ていて、
「こいつ、転属させられるというのに、よくあんなに平気でいられるな」
と思っていた。
そんな二人だったが、表面上は、
「お互いに、開発からはみ出した者同士、仲良くやっていこうや」
と、桜庭が言えば、
「そうだね。うまく気分転換して、やっていこう」
と、眞島も言った。
だから、お互いに仲良くしていたのだが、オペレーションの仕事は、同じ場所での勤務と言っても、同じ時間というわけではない。シフト制の中に組み込まれるので、お互いに会うことはそんなになかった。会ったとしても、引継ぎの時間くらいで、三十分がいいところなのかも知れない。そのうちに、疎遠になってきたようで、お互いに、孤立していったかに見えたのだ。
だが、実際に二人は頻繁に会っているようだった。
逢っているからと言って、どこかに食事に行ったり、呑みに行ったりというそういうコミュニケーションを重ねているわけではなく、カフェで待ち合わせはしてからの話であったが、そこに笑顔はなかった。
真剣な顔つきで話をしているのだが、その二人の間には、れっきとした、超えることのできない大きな壁があるようだった。
その壁というのは、二人の間の県形成の間にある結界のようなもので、
「力関係」
と言ってもいいだろう。
つまりは、どちらかがどちらかに対して、圧倒的な力を持っていて、片方はまるで奴隷にでもなったかのような関係性ということだ。
二人の間においての主は、桜庭で、従は眞島だったのだ。
同じように飛ばされて仲がいいように見えた二人だったが、急に桜庭が絶対的な立場を掴んでしまった。
そう、眞島は桜庭に、
「知られてはいけない秘密を知られてしまった」
ということで、脅迫されていたのかも知れない。
その脅迫は、会社を辞めていたとしても、続いたかも知れないと思うほど、桜庭という男の本質は陰湿なもので、それだけに、従わなくてはいけなかった自分の運命を恨むしかなかった眞島だが、そのうちに慣れてきたような気がした。
だが、慣れてきたことを桜庭に知られたくないと思ったのは。
「桜庭という男は、自分が満足できていればそれでいいんだ」
ということであったからだ。
別に金銭を要求されているわけではない。それだけに、こちらが黙って従っていれば、それ以上のことはしてこない。いずれは終わらせなければいけない関係であろうが、もう少しこの関係を保ったままでもいいと思っていた眞島だったのだ。
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