第2話 毒殺事件

 その時の寒気や身体の重たさ、そして身体にまとわりつく熱気は、何かの虫の知らせだったのだろうか。

 境内に向かって歩いていくと、神主さんが、掃除をしていた。

「おはようございます」

 と言われたので、山崎の方も、

「おはようございます」

 と言ったつもりだったが、声になっていなかったようだ。

「どうされたんですか? 声がガラガラですよ」

 と言われた。

 自分で声を出しているつもりで出ていなかったというのであれば、分かる気がするが、声がガラガラだったのに自覚がないというのは、まだ酔いが残っているからなのか、そう思ってみると、身体が動かないのも無理がないような気がして、今度は吐き気がしてくる気がした。

「何だ、この匂いは?」

 と思って、思わず顔をしかめたが、その様子を見て、神主さんは、訝しそうにしていたが、その理由がどこから来るのか分かっていないようだった。

「匂い? ですか?」

 と神主さんに言われたので、今度は山崎が驚いたのだ。

「僕の声が聞こえたんですか?」

 というと、神主も少し驚いて、

「ええ、普通に」

 というので、

「僕は今自分の声が出ていたという意識がなかったんですよ」

 と山崎は言った。

「大丈夫ですか?」

 と、神主は心配してくれたが、大丈夫だという気概もなく、

「ええ大丈夫です」

 というものだから、却って神主の意識が、山崎の言葉を全面的に信じないという方向に傾いてしまったようだった。

 しかし、匂いがしたのは事実で、

「何か鉄分のような臭いで、ツーンとする、匂いでもあるんですよ。さっき吐き気を催したんですが、ひょっとするとこの匂いが原因だったのではないかと思っているんです」

 と山崎は言った。

「私には分かりかねますがね」

 と神主に言われて、

「おかしいな」

 と呟いた山崎は、自分の意識の中で匂いが感じられる方に歩いていったが、急に匂いが閉ざされた気がした。

「あれ? 今まで感じていた臭いを感じなくなった」

 というと、神主が今度は。

「今度は私の方が匂いを感じるようになりました」

 という。

「やはり、鉄分のような臭いですか?」

 と聞くと、

「ええ、そうです。しかも相当ヤバいものであるということも分かる気がするんですよ」

「ヤバいというと?」

「警察を呼ばなければならないほどのね」

 そんな会話の中で、ゆっくりと神主について行って、その場所に立ってみると、いきなり神主が、立ち止まって、ワナワナと震えているのが分かった。

「さすがに神主は落ち着いている」

 と思ったが、神主は身体が硬直し、そのせいで震えが止まらなくなっていたが。ここまで身体を硬直させる理由は何であろうか。

「うわっ。これは」

 覗き込んだところに見えたのは、明らかに人間だったのだ。

 その男は、ちょうど庫裏のところの階段に座っていて、下を向いていた。じっと見ていると、最初は寝ているのかと思ったが、微動だにしていないその姿は違和感しかなかったのだ。

 神主が近寄って行って、

「大丈夫ですか?」

 と身体を揺すったが、次の瞬間愕然として、その人を凝視するしかできなかった。

 神主は完全に、気が動転していた。

「警察に連絡しないと、いや、まずは救急車か?」

 と言って、慌てたのだが、すぐに、

「救急車はいらないかも?」

 と言った。

 山崎も完全に酔いは冷めてしまった。さきほどまであれだけ身体がきつかったにも関わらず、神主の姿を見ていると、自分がしっかりしないといけないと思うのだった。

「死んでるんですか?」

 と聞くと、

「ええ、身体が冷たくなって、身体が金属のように硬いです。完全に死後硬直が始まっているということでしょうね」

 というので、

「じゃあ、警察ですね」

 と言って、警察へ連絡した。

 山崎はゆっくり死体に近づくと、その人が男性であることが分かった。そして下を向いている顔を覗き込むように下から見上げたが、

「うわっ」

 と、口を押えて、吐きそうになるのを必死でこらえていたのだ。

「この匂い、さっきしたのは、この匂いですよ」

 というと、少し冷静さを取り戻した山崎は、少し事情が呑み込めた気がした。

「どうやら、服毒しているんでしょうね。自殺ですかね?」

 と山崎がいうと、

「うーん、そうなんでしょうかね? 自殺であれば、遺書だったり、服毒をした時のオブラートがないですね」

 というと、今度は、神主が落ち着きを取り戻して。

「それ以前に、ペットボトルや水筒が見当たりませんね。ここで服毒したのであれば、水を含むだろうから、水を飲んだ形跡があっていいはずなんですよね」

 と言った。

「確かにそうですね。不思議と言えば不思議だ」

 と山崎がいうと。

「これは殺人で、ペットボトルか水筒と犯人が持ち去ったんでしょうか?」

 と神主がいい、

「何のためでしょうか? 何としても自殺に見せかけたかったということでしょうか? もしそうであれば、こんなに何もないというのもおかしいですよね。そう思うと、犯人がいるとすれば、自殺か他殺かということは、別に関係のないことだと言えるのではないだろうか?」

 と山崎は言った。

「ただ、犯人は、これを自殺に見せかけようという意図はないような気がしますけど?」

 と、神主がいうと、

「そうでしょうね、自殺ということにすると、何か困ることでもあるんでしょうかね? 例えば保険金の相続問題とかですね」

 と山崎がいうと、

「まあ、それこそ推理小説の話のようですね。でも、遺産相続というのは、殺人の動機としては十分だけど、この場においての死体発見には、何か違和感しかないような気がするんですけどね」

 と、神主は言った。

「何かを隠蔽しようという意識はサラサラないし、気になるのは、やはりさっき神主さんが言われたように、水を飲んだ後がどこにもないということですね?」

 という話をしていると、赤い鳥居の向こうに車が二台止まったのが分かり、中から数人の人が出てきた。

 一台からは、スーツ姿の二人組と、もう一台からは、警察の制服を着た人たちかと思ったが、たくさんの機材の入っているであろう、金属製の箱を肩から掛けて、重たそうに持ってきた。彼らが鑑識であることは、明白なようだった。

 背広の二人がやってきて、

「私はK警察署の、桜井と言います。あなた方が通報していただいたのですね?」

 と言われて、山崎が、

「はい」

 と答えた。

「その時の状況を説明していただけますか?」

 と言われた山崎は、

「ええ、私は山崎というもので、昨夜、友達と一緒に都心部の居酒屋から、スナックなどを梯子して、朝方近くまで呑んでから、始発電車で帰ってきたんです。うちはここから五分ほどのところなんですが、駅からだと、この境内を通り抜ける方が早かったりするんです。それで、ここを通り抜けようとすると、ちょうど、神主さん。こちらですね」

 と言って、山崎は神主を指差すと、神主は、軽く会釈をした。

「神主さんが、朝の掃除をされていたんですが、私が何か異臭に気づいたんです。それで一緒にその異臭の方へ行ってみると、庫裏のところに男がうな垂れて下を向いて座っていたんです。そこで、私はビックリして身体が固まってしまったので、神主さんが見に行ってくれたんです。そして神主さんから警察を呼ぶようにいわれて、私が通報しました」

 というので、神主が、

「ちなみになんですが、ここは神舎なので、庫裏というのは存在しません。なので、よく勘違いされやすいのですが、ここは寺務所の一角ということですね。それはさておき、私は彼に言われて、促されるように座り込んでいる男を覗き込みました。仄かに香ってくる匂いにアーモンド臭を感じたのと、まわりに散乱している吐血のようなものを見た時、これは青酸化合物による中毒だと思いました。でも、すでに身体が冷たく、そして硬くなっているのを見ても、吐血の量を見ても、とても生きているとは思えません。脈も図ってみようと手首に手を当てると、冷たいだけで、もちろん、脈を打っていません。だから、警察に連絡をお願いしたんです」

 と言った。

「それで私が連絡したんですが、やはり、毒物によるものなのでしょうか? 私はこの死体を見つける前、まだ境内の途中くらいのところで、鉄分のような臭いを嗅いだのですが、それは、血だったのでしょうか?」

 と山崎が聞いたので、

「そうかも知れないですね。ところでですね。何か違和感がありませんか? あの死体を見て」

 と桜井刑事に言われたが、山崎は、

「何か違和感を感じるのですが、それがどこから来るものなのか、ピンとこないんですよ」

 と言った。

 それを聞いて神主は、

「ええ、私も感じました。私が感じた違和感は、毒を飲まされたか、自分から飲んだのか分かりませんが、あれだけの血を吐いて苦しんでいたはずなのに、どうしてあんな風に礼儀正しく座って絶命しているのかということなんですよ。あの吐血の量は、相当苦しかったと思うんですけどね」

 と言った。

「ええ、そうなんなんですよ。しかも、彼のまわりに、水を飲んだ形跡がない。ということは、自分で死のうとしてあそこにいたのではないことは確かな気がするんですよね」

 と桜井刑事がいうと、

「そうなんですよ。毒を煽って自殺するにしても、遺書もないし、なぜわざわざここを選んだのかということですよね。となると、これは自殺ではなく、誰かに殺されたという殺人事件だと考えるのが自然ではないかと思ったのですが、どうでしょうか?」

 と神主が言った。

 それを聞いた桜井刑事は頷いていたが、話を変えた。

「ところで、神主さんは、この被害者が誰だかご存じですか?」

 と言われ、

「いいえ、分かりません。神社はお寺と違って、不特定多数の人がいらっしゃいますからね。私には見覚えがありません」

 ということであった。

「となると、ますます、自殺というのは考えにくくなりましたね。まずは、鑑識の意見を聞いてみましょうかね」

 と言って、鑑識を呼んだ。

「分かっていることだけでいいので、話をしてくれますか?」

 と言われた鑑識官は、

「はい、あくまでも詳しいことは、司法解剖の後になりますが。死因は、毒物による殺害。青酸化合物ではないでしょうか? そして死亡推定時刻は、今から、六時間くらい前だと思います」

 と言った。

「ということは、深夜の一時から二時の間くらいということでしょうか?」

 と言われて、

「そうですね。それくらいだと思います。それともう一つ気になるのは、どうも死体が座っていた場所が思ったよりもきれいなんです。だから、絶命した場所が本当にあの場所だったのかというのが少し気になるところですね」

 と鑑識が言っていた。

 鑑識のいう通りであれば、水がその場になかったのは説明がつくが、それ以外は違和感が満載である。

「でも、もしそうだとすれば、現場に残ったあの吐血はどうなるんです? まさか他で吐いた血をここに持ってきてばらまいたというわけではないですよね?」

 と、桜井刑事が聞いた。

「そうなんですよ。あと考えられるのは、犯人がいて、犯人が苦しんだ被害者を後から、敬意を表してなのか、死んだところから抱き起して、綺麗な場所に持って行ったということもありえるのではないですか? 殺すほど憎んではいたが、死んだのを見て、気の毒になるという心理もあるのではないでしょうか?」

 と鑑識が言ったが、

「そうですね。そういうこともありますね。逆に、犯罪者の中には猟奇的な犯罪を犯す人には、犯罪を美学のように考える人もいるので、綺麗にしたのは、そういう意識があったのではないでしょうか?」

 と桜井が言ったが、

「それもあるかも知れないですね。ただ、あくまでも、今の状況では何とも言えないと思います」

 と、鑑識官は言った。

「そうですね。では、引き続き被害者の死体検案をお願いします」

 と桜井刑事は言った。

「今のお話を伺っていると、深夜にこの人は殺されて、ここに放置されたのか、それとも、ここに連れ出されて、ここで凝るされたのかということですよね? あくまでも自殺ではないとすればの話ですけどね」

 と、山崎が言ったが、

「ちなみに、山崎さんは、この人物をご存じではないですか?」

 と聞かれて、山崎はもう一度、担架に乗せられて、今にも運ばれようとしている男の顔を覗き込んだが、

「いえ、見覚えはありませんね」

 と答えた。

 もっとも、これは警察も予想通りである。これがもし知っている相手だということになると、ただの偶然では済まされないからだ。何と言っても、

「第一発見者を疑え」

 という言葉もあるくらいなので、第一発見者は、まず最初の容疑者となるのだ。

 刑事たるもの、第一発見者から事情を聴きながら、その中でどこかあらを探そうとしているものだった。

 刑事ドラマなどで、最初に警官に話をした後、第一発見者は、来る刑事に何度も同じことを聞かれるものである。

「あちらのおまわりさんに話しましたけど、まだ話さないといけないんですか?」

 と言われ、

「すみません。これも仕事なので」

 と刑事が恐縮してへりくだっているのを見ることがあるが、実際には、下から見上げながら、相手がボロを出さないか、注意して見ているのだった。

 だが、被害者の身元を調べ、いろいろ聴取を重ねていけば、もし被害者と面識があるのであれば、簡単に露呈してしまい、第一発見者の立場での虚偽報告は、これ以上の容疑を深めることはない。その時点で、

「最重要容疑者ということになる」

 というものである。

 この二人は本当に事件に関係ないのか、それとも、ごまかしきれると思っているのか、桜井刑事は、まだ何とも言えないところだと感じていた。

「今日はこれくらいで聴取は終わりますが、また何か気になることがありましたら、ご連絡いたしますので、あちらで、連絡先をお教えください」

 と言って、連絡先を聞いて、その日は神主と山崎は、その場から離れた。

 とりあえず、警察署には、殺人事件の可能性が高いということで報告を入れた桜井刑事だった。

 しばらくして、捜査本部が出来上がったが、今回も本部長には、門倉警部がついた。その補佐として清水警部補が当たっていたが、他の事件が起こったりした場合は、清水警部補はそちらを主に行うということであった。今のところ、他に捜査本部ができるような事件もないので、参加することになった。

 あと、メンバーとしては、桜井刑事を中心に、柏木刑事に、若手の隅田刑事が当たることになった。

 このメンバーは、「伏線相違の連鎖」事件で活躍したメンバーでおなじみだった。

 桜井刑事がまず、第一発見の初動捜査の話をした。それを聞いた清水警部補は、頭を傾げながら、

「何とも、不可思議な事件だね。まだ何も分かっていないからなのかも知れないが、どちらとも取れるようにも思えるんだけど、結局、方向は一つに決まりそうな感じなんだよな。それが本当に正しいのかどうか、普通なら、最初の初動捜査で分かってきそうなものなんだけど、どうもハッキリしないように感じるのは、私だけだろうか?」

 というと、

「それは聞き取りをした私も感じました。そもそも、最初に感じた私が報告するのだから、訊いている方は、さらに曖昧にしか聞こえないですよね」

 と桜井刑事がいうと、

「これって、本当に殺人なんだろうか? 死亡したのは、一体誰なんだね?」

 と清水警部補に聞かれた桜井刑事は、

「指紋から割り出したのですが、彼には前科がありました。と言っても大した判事ではなく、下着泥棒を数回繰り返していた程度のやつだったんです。名前を眞島典弘という男です」

 と答えると、横でそれを聞いていた柏木刑事が、

「眞島典弘?」

 というではないか・

 それを聞いた桜井刑事は、

「柏木君は知っているのかい?」

 と聞かれて、

「ええ、知っていますよ。私がまだ交番勤務の時、こいつがよく街で喧嘩をしているのを止めに入ったものですよ」

 と答えた。

「何だ。そんなに喧嘩っ早いのか?」

 と桜井刑事に聞かれて、

「ええ、ただ、そんなに腕っぷしの強いやつではなくて、実際には喧嘩は弱いんです。でも、虚勢を張りたがるところがあって、しかも、自分を絶対に曲げないという頑固なところがあるので、よく人と衝突するんですよ。私は話を何度かしましたけど、そんなに悪いやつではないと思っていたんです。時々いるじゃないですか。弱いのに、強いやつに突っかかっていくやつ。やつは、そんな男だったんですよ」

 と柏木刑事がいうと

「柏木刑事は、そういうやつが好きだからな」

 と、茶化すように桜井刑事がいうと、

「私も随分と、あまり虚勢を張らない方がいいぞ。いつ何時、酷い目にあわされるか分かったもんじゃない。たまには人に合わせることを考えてみるのもいいんじゃないか? お前は物分かりが悪いわけではないと思うからなっていったんですよ。でも、物分かりがよくて、頭の回転が早いやつほど、まわりが自分についてこないことにいら立つこともないと思うんですよ。だから私はあいつも気持ちも分かるつもりだったので、あまりきつくは言わなかったんですが、こんなことになるのだなら、もう少しはっきりと言ってやればよかったと、後悔しています」

 と柏木刑事は、頭を捻って、頭を下げて、悲しそうにしている。

「そういう人は、自分が相談できるような仲間はいないものだけど、彼の場合はどうだったんだい?」

 と桜井刑事に聞かれて、

「ええ、やつは、確かに仲間はいませんでした。彼と同調するような人はいなかったからですね。だけど、私なら警察官でなければ、彼とは友達になれたかも知れないですね」

 と言った。

「ということは、すでにその時、彼は前科者だったということかな?」

「ええ、ほとんど大したことをしたわけではないですが、何度か窃盗などを繰り返していましたね」

 と、柏木刑事は言った。

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