「路傍の石」なる殺人マシン

森本 晃次

第1話 真夏の境内

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ただし、小説自体はフィクションです。ちなみに世界情勢は、令和三年八月時点のものです。それ以降は未来のお話です。


 今年の夏は、例年のごとく暑かった。まだ七月に入ったばかりだというのに、すでに猛暑日の地点がいくつかあり、まだ全国的に梅雨の時期だというのに、雨よりも暑さがひどかった。

 ただ、地域によっては、線状降水帯なるものが発生し、

「数十年に一度の記録的豪雨」

 などと言われて、豪雨被害に遭っている地区もあった。

 ただ、F県ではそんな大雨が降ることもなく、二日前までは雨予報だったものが、いつの間にか晴れマークに変わっているというほど、天気予報自体は当たっているのだが、先の見通しのつかない天気になっていた。

「梅雨の時期なのに、本当に暑いよな」

 ということで、ビールや水、ミネラルウォーターなどのような飲料が、爆発的に売れる状況だった。

「熱中症にはご注意ください」

 ということで、水分補給は不可欠であった。

 考えてみれば、昔の運動部などの部活では、

「バテるから、水は飲むな」

 と言われていた時代があったという。

 今では、

「熱中症対策で、なるべく水分を摂って」

 と言われているので、真逆である。

「本当にこういう科学的に根拠のないことが、平気で言われ続けてきたというのも、恐ろしいものだ」

 と言われるが、それ以上に、

「最近の天気がおかしいのであって、昔は暑いと言っても、三十三度くらいが最高だったのにな。今では体温よりも高いなんて当たり前。それに三十五度を過ぎたら、猛暑日というだろう? そんな言葉、昔は聞いたことなんかなかったんだぞ」

 と、昭和を知っている上司は、今の暑さを見て、嘆くようにそう言った。

「そういえばそうですよね。昔はクーラーのない電車とかがあったと聞きました」

「そうなんだよ。クーラーがついているとしても、一車両だけとかしかになかったからな」

「今のように、体温よりも気温が高くなると、扇風機で煽っても、却って風が暑く感じられるじゃないですかね?」

「というと?」

「風呂でもそうですけど、熱湯に浸かって、そこでお湯を掻きまわすと、熱くてたまらなくなるでしょう? 空気もそれと同じ理屈で、体温よりも高い風が吹いてくると、熱くてたまらなくなるというものですよ」

 ある会社の一室での会話が聞こえてきそうだった。

 そんな状態なので、クーラーのない生活は考えられない。事務所や家でクーラーが故障などしようものなら、一発で熱中症になってしまう。

 特に、昔のクーラーのなかった時期を知っている老人は、クーラーが効くのに、昔を思い出して、

「昔はクーラーなんかなくても生きていけたんだ」

 とばかりにやせ我慢をしている人も多いだろう。

 そんな人がいつの間にか脱水症状になってしまい、救急車で運ばれるなどということが毎日何件起こっていることであろう。

「昔の夏とは性質が違っています」

 と、よく言われているが、年をとればとるほど、その意識は錯覚のように感じさせるのだ。

 あくまでも、自分の考えだけを信じる性格の人が多いのだろう。

 夏というのは、年によって、梅雨との絡みで、五月末くらいから梅雨に入る時もあれば、七月に入ってもまだ梅雨入りしない時もある。

 もっとも、日本は、南は沖縄から、北は青森までと距離があるので、梅雨入り、梅雨明けの時期も地域によって、一か月以上違っていることも多い。ちなみになぜ北海道が入っていないかというと、北海道には梅雨という概念がないからだ。

 確かに梅雨と似た状況がある時もあるが、あくまでも気象庁が発表する梅雨入り梅雨明けには北海道は入っていない。

 今年は梅雨が短かった。六月初旬からの梅雨入りだったが、七月になると、一気に暑さが増してきて。気象庁は、

「梅雨明けしたとみられる」

 と、梅雨明けを宣言したのだった。

 そんな時、暑さを倍増させる効果があるのが、

「セミの鳴き声」

 である。

 今年のように七月になると一気に夏になれば、暑さとともに、セミの声が頻繁であるが、梅雨が長く、七月下旬になっても、まだ梅雨明け宣言がない時でも、セミの声が聞こえてくるものだった。

 そもそも、セミの寿命は短いと言われている。それは、さなぎからセミんなってから、鳴き始めてからは、一週間くらいと言われている。しかも、夏の間しか生きられないもののようで、夏が短いと、まだ梅雨が明けていなくても、さなぎから成虫になることになるのだ。と言われている。

 セミは幼虫になってから、じっと土の中で過ごす、その期間は、大体五年くらい、その後成虫になってからが一週間というのは、実に花の期間が短いというものだ。

 ただ、一週間と言われているセミの成虫だが、実際には、三週間から一か月と言われているようで、実際に短く言われるのは、子供に捕まって檻の中に入れられることで、ストレスをためるからだった。

 もし、そのことを真剣に考えるならば、昆虫採集などというものに対して、もう少し意見を言う人がいてもいいだろう。本当に人間というのは、他の動物の存在を許さない習性なのだろうか。

 そんなセミの声であるが、これだけ樹木や土の部分がすくなくなっている都会でも結構聞こえてきているものである。田舎とで比較すれば、比較にならないかも知れないが、都心部の大通りにもセミが鳴いているのを見ることができるだろう。

 こんなに暑い夏であるが、どうしても夏というと、ビールが飲みたい時期である。特に屋外でバーベキューなどをしながら、皆で飲むビールがは最高だろう。

 都会では、なかなかそんな場所もないが、その分、ビアガーデンなどが、結構賑やかだ。採集に乗り遅れたとしても、飲み歩く連中もいるくらいで、特に金曜日の夜、つまり土曜の早朝ともなると、始発電車の客は結構なものである。

 都会からの列車は、朝の五時くらいが始発であった。

 その日、一人のサラリーマンがいつものように、土曜日の朝、朝帰りとしゃれこんでいた。

 酒が飲めるのであれば、少々暑くても、気にならない。

「どうせ、汗を掻くんだから、ビールで掻く汗は気持ちのいいものだ。トイレが近いのがちょっと嫌だが、それでも、酒に酔ってのおしっこを出す時は気持ちいいものだ」

 と言っていたが、

「そんな汚いことをいうなよ」

 とまわりから苦笑いをされるが、

「何言ってるんだ。出物腫れ物所かまわずさ」

 と言って、豪快に笑っている。

 確かにその通りだ。暑い中、ビールを飲んで、尿として出す。これって健康にもいいのかも知れない。

「酒を飲んで、身体の中から毒素を出すんだから。これほど身体の循環器にいいものはない」

 と言えるのではないだろうか。

 呑み屋を梯子して、始発電車に乗るころには、東の空が明るくなってくる。すでに夜が明けているのであって、座った場所によって、眩しくて仕方がない。

 土曜日の早朝となると、乗客もそれなりにいたりする。いつもは一つの車両でほとんど人はいないのだろうが、土曜日ともなると、一つの車両だけで、十人近くいたりする。

「今頃繁華街は、ゴミで汚くなっているんだろうな?」

 と、不思議な感覚を覚えていた。

 電車の窓から見える景色は、普段と比べても、明るく感じられた。先週くらいがちょうど夏至の時期だったので、日が一年で一番長い時期、まだ、その余韻は十分に残っている。

 しかも、梅雨明けしたであろうと言われる中、その日差しの猛威は結構激しいものであった。都心の駅から、乗っている時間が三十分くらいと、通勤圏内としては、少し遠めカモ知れないが、朝の眠気が差す時間帯であれば、結構短く感じられる。クーラーは効いているが、日差しの影響で、少し汗ばんでいる。まだ完全にアルコールが抜けきっていないことで、身体に滲む汗が、ここちよかったのだ。

 電車は、海岸線に差しか会った。さすがに、このあたりになると、都心部とは景色がガラリと変わってくる。都心への通勤圏内でありながら、海岸線を通っているあたりは、昔からの田舎の風景を見せている。電車の中では、いびきを掻いて寝ている人や、黙って流れる景色を車窓に見ながら、微動だにしない人もいる。

 今年の夏が暑いということは、六月発表の三か月予報で聴いていたのだが、まだ七月に入って間がないというのに、地域によっては、猛暑日の箇所がいくつもあるという状態に、「今年も暑い」

 と感じさせられるのであった。

 昨年も確か暑かったと記憶している。しかし、その暑さがどのようなものであったのかということを、ハッキリと覚えているわけではない。それは、身体が覚えていないというだけのことで、記憶にはあるのだが、記憶だけでは、やはり体感として覚えていなければ、感覚が分からないものであった。

 そのせいもあって、

「今年も暑くなる」

 と言われても、正直ピンとくるわけでもなかった。

 やはり、本当に暑さを身に染みて感じるか、暑さの象徴としてのセミの声が耳に痛く響くくらいでなければ、暑さというものを実感できず、夜を通り越せば、暑さも忘れるのではないだろうかと感じるのだった。

 海岸線を走っているせいか、電車が何度もカーブを描いている。それだけ車輪とレールのきしむ音が耳に響き、頭が痛くなるのではないかと思うほどの音は、二日酔いで、睡魔に襲われている状態では結構響く。

 電車内の乗客の中にも、声に出さないだけで、顔をしかめているくらいの人は結構いるので、皆この音の辛さを強調していることは分かったのだ。

 今日、朝まで呑んでいたので、さっきまでのはずなのに、すでにあれから数時間が経ってしまったのではないかという錯覚に襲われたのは、睡魔による意識の曖昧さが原因ではないだろうか。

 一度は少し歩いて、身体から汗として流し出したつもりだったが、それは表面上のアルコールが抜けただけで、身体の奥にしみついているアルコールが抜けたわけではないので、結構辛い感じを受けていた。

 ここに一人の男がいた。彼は二十八歳の若きサラリーマンで、名前を山崎という。

 二十三歳で地元の大学を卒業し、地元企業に就職したが、なかなか就職活動も難しい時代ではあったが、何とか就職もできて、今のところ、順風満帆というところであろうか?

 彼女がいないのは、少し寂しい気がしたが、

「そのうちできるさ」

 と言って、自分を慰めるというのも寂しいおのだった。

 年齢の割には、まだ幼さが残っているように見られがちだが、

「結構しっかりしている」

 と言われているので、そんな毎日が、結構心地よかったりした。

 今日は、いつものメンバーから一人が、明日の休日出勤当番だったため、途中で抜けることになったが、もう一人とは、朝まで一緒だった。

 一緒に飲んだもう一人は、地元の人間で、電車に乗って帰ることのないやつだった。

 普段はバスでの通勤だが、さすがにこの時間はバスが通っているわけではないので、タクシーを使うことにしたようだ。

「大体、二千円くらいかな?」

 と言っていたので、さすがにシラフでも歩くときつい距離であった。

 前は、その飲み友達の部屋に泊めてもらったこともあったが、今は帰るようにしている。友達の部屋で眠ってしまうと、なかなか起きるのがきつくなって、そのまま夕方まで寝てしまっていたりすることが多いだろう。そうなると、一日を棒に振ってしまうことになる、それも嫌だった。

 と言いながら、別に何かをするわけではない。酔いが覚めた時に、自分の部屋以外にいることに違和感を持つようになったのは事実だった。それだけ、年を取ってきたということなのかも知れない。

 だから、家に帰るようにしているのだが、電車に乗ってから、最寄り駅につくまでに、本当は酔いを覚ましたかった。駅を降りてから家までは、十五分くらい歩くことになる。途中にある神社の境内を抜けていけば、少し近道になるが、それでも、二、三分違うくらいか。

 ただ、その神社を抜けるのはあまり好きではなく、特に今の季節は、セミの声がうるさいので、必要以上に疲れるのではないだろうかと感じたのだ。

 この境内は、よく子供の頃に遊んだ記憶があった。

「あの頃は、もっともっと広かったと記憶しているんだがな」

 と感じた。

 大人になって、子供の頃に広いと感じていたものが、実際には狭く感じられるというのは往々にしてあるもので、小学生の頃までは通学路だったので、よく神社の境内を抜けて帰宅していたが、中学、高校と、駅とは反対方向への通学だったので、この神社に立ち寄る回数は激減していた。

「小学生の頃は、よくランドセルと庫裏の石段に置いて、数人で遊んでいたっけ」

 とこの境内に来た時は、まず庫裏の石段に腰かけるようにしていたので、この時も少し休憩して行こうと、神社に寄った。

 呑みに行った帰りにいつも、この神社で休憩していくわけではなかった。

 夏の間は明るいが、飽きから冬、そして春になるまで、まだ五時半と言えど、真っ暗であった、

 この神社も照明や街灯があるわけではなく、申し訳程度に見えるくらいであった。しかも寒い中で身体が冷えるのを覚悟で、座り込むことはしなかった。急いで帰って、風呂に入りたいという衝動の方が大きかったのだ。

 駅を降りてから家までには、駅前のコンビニが開いているくらいで、たまにそこで何かを買ってから帰ることもあったが、最近は寄ることもなくなった。

 早朝のコンビニは、ほとんど品ぞろえがなく、日付の古いものを撤去して、入荷を待つ状態なので、チルド関係の陳列棚は、すっからかんだと言ってもいいだろう。

 今までに何度とそんな光景を見てきているので、コンビニによっても同じだった。喉が乾けば、途中に自販機もたくさんあるので、そこで買えばいいだけだ。その時々によって飲みたいものも違っているので、わざわざコンビニで買う必要もなかったのだ。

 その日は、途中の販売機で、水を買って、飲みながら歩いていた。神社に差し掛かった時には、まだ酔いが覚めたわけではなかったが、頭が少し痛かったのは、酔いが覚めかけている証拠だったのではないだろうか。

 少しでも歩けば、朝の心地よいと思われる時間でも、汗は滲んでくるもので、描いた汗の分だけ、さらに頭痛がしてくるのは、いつも、たいがいにしてほしいと思うくらいであった。

 ただ、この頭痛は、すぐに回復するもののように思われた。

「汗を掻いているということは、アルコールの毒素が抜けてきている証拠であって、頭痛も毒素が抜けるために通る道だと思うと、風邪を引いた時に、身体から毒素を出そうとして発熱するのと同じ感覚ではないか?」

 というのと同じではないかと感じた。

 ゆっくり身体を動かしていると、身体が無理をしなくなって、汗も次第に引いてくる。そのうちに、本当の暑さを感じるようになるのだが、それまで籠っていた熱が籠ってこないことを感じると、その時には頭痛が引いているというのが、いつもの羽t-んだった。

 その時も、歩いているうちにいつの間にか頭痛が引いていたような気がする。神社が近づいてくるのを感じると、朝日が境内に差し込んでいるのが目をつぶればその光景が浮かんでくるようだった。

 駅から歩いてくると、まず、真っ赤な鳥居が見える。

 その日は普段と比べて眩しさが感じられるせいか、足元から伸びる影を意識したものだ。小学生の頃、この神社に来ていたのは、授業が終わってからの帰宅の途中だった。つまり夕方であり、その時も足元の影を気にしていたのを思い出していた。

 朝日と夕日なので、見える影の角度は正反対のはずなのに、今は同じように感じられる。そして朝のはずなのに、夕方を思うのはなぜだろう。

 この季節の夕方というと、四時すぎくらいであれば、まだまだ暑さが残っている。下手をすると、一番暑い時間なのかも知れない。

 灼熱とまではいかないが、

「この暑さに耐えられるのは、子供くらいではないだろうか?」

 と感じられた。

 暑さは金属だけではなく、木もかなりの暑さをもたらすものだ。庫裏の階段の木も、かなり熱を持っていて、ずっと触っているとやけどしてしまいそうなくらいであった。

 もちろん、金属であれば、すぐに、

「アッチ」

 と言って、手を引っ込めるルレベルであろう。

「本当に今年のこの暑さは、一体どういうことなんだ?」

 と思った。

 特に今年の冬は、極寒だったことから、

「夏は涼しいだろう」

 と勝手に思い込んでしまったことが、勝手な楽観的な発想となって次第に感覚が固まって行ったのである。

 まさか、朝の陽ざしがこれほど暑いものだとは思っていなかったので、子供の頃に感じた夕方を思い出したのだろう。

「夕方って、身体のだるさを思い起こさせるものだ」

 と感じるのだった。

 境内まで来てみると、赤い鳥居を通り過ぎてからすぐに、急に足が重たくなった気がした。まるで、水の中を歩いているような感覚であった。進もうとしても、まったく前に進んでいないのだttだ。

 前に進めない焦りと、まったく吹いてこない風のために、顔が火照ってしまって、いつもであれば流れ出るような汗を感じなかった。熱を逃がすことができず、次第に呼吸困難に陥っていたこともあって、意識が遠のいていくのを感じていた。

 この感覚は、今に始まったものではなかった。かつて同じような思いをしたことがあると感じたのは、それが同じこの神社の境内でだったからだ。

 ただし、あの時は夕方であり、朝ではなかった。夕方の時は最初から風が吹いていない時間が明らかにあり、その時間、自分が体調を崩し、呼吸困難に陥ってしまうのを理解していた。

 その時は、相当身体を動かしていたので、汗も出ていたのだが、汗を掻いた時に吹いてくる風は心地よく、呼吸困難になるなど考えられなかった。

 しかし、途中で急に身体が重くなった、気が付けば、汗が引いていた。あれだけ溢れていた汗が流れてこず、身体が火照ってしまっているのだ。

「汗を掻けば気持ちいいはずなのに」

 と考えるのだが、汗を掻かないことで、身体が火照り、心地よくなれる理由が見当たらない。

 そうなってくると、一つのことに気づくようになってきた。

「風がまったく吹いていない」

 ということであった。

「そういえば、最近学区で習ったけど、夕凪という時間帯があるらしい」

 というのを思い出したのだ。

 小学生であったが、国語の教科書に夕凪という言葉が出てきて、先生は解説してくれた。

「夕方のある時間帯になると、それまで吹いていた風が、まったく吹かなくなる時間帯というのが存在するんだよ」

 というのだった。

「それは、どういう感じなんですか?」

 と誰かが先生に聞くと、

「その時間帯というのは、日が暮れるか暮れないかという微妙な時間帯らしいんだけど、風がまったく吹いてこないらしいんだ。そしてその時間を昔の人は、逢魔が時と言って、魔物が一番出やすい時間だって言われているらしいんだ。そして、実際には、今の時代では、交通事故が多発する時間帯だということで、警察からも運転手には気を付けるようにと言われていたりするんだよ」

 と先生は答えてくれた。

「そんな話、聞いたことがある」

 と言っているやつもいて、

「田舎に行った時、おばあちゃんがそんなことを言っていたのを思い出したよ。夕方になって、暗くなる前に家に帰らないと、お化けが出るって言われていたって、お化けが出る時は風が吹かないので、すぐわかる。と言われたらしいんだ。信じてはいなかったけど、その時の話と今の先生の話が繋がっているので、少し怖い気がしました」

 と言っていた。

 どこまで、妖怪や幽霊の話を信じるかというのは、その人の感覚の違いだろうが、その時は、無性に幽霊を怖がっていたような気がする。

 特に昔行ったおばあちゃんの家が思い出されて、怖くない時でも、急に背筋がビクッとなってしまって、その理由がおばあちゃんの家だと思うことで、自分がまだ幼い子供であるという意識になってしまったことが怖かった。

 その日も足が竦んでいたのだが、ここまで足がすくみ時というのは、何かを感じた時であって、あまりいい予感はまったくなかったと言ってもよかったのだ。

 次第に、身体の重さやだるさと平行して、寒気がしてきているのも感じた。

「風邪でも引いたのだろうか?」

 と思ったが、風邪を引いていれば、あんなに酒が飲めるわけもなかっただろうにと思うのだった・

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