焚火

「そういえば」



 二人の荷袋を木にしばり終えると、メリーが口を開いた。

 ラトスの顔色をうかがうように、のぞき込んでくる。



「ラトスさんは、行商人、なのですか?」


「行商人だって? まさか」


「旅慣れてるみたいなので、そうなのかと」



 森を歩く速度を見て、そう考えたのだろうか。ラトスは苦笑いして、頭を横にふってみせた。その反応に、「そうなのですか?」とメリーの首が傾ぐ。どうやらあまり一般的な知識がないらしい。不思議そうな顔をする彼女を横目にして、ラトスはロープを取りだした。荷袋を縛り付けた木とは別の、少し離れたところにある手頃な木を選び、その間にロープを張っていく。



「俺はラングシーブだ」


「ラングシーブ……。それって盗賊の?」



 メリーの声に陰りが生じた。上体を後ろに退き、ラトスから目線をはずす。王侯貴族の一般常識に漏れず、メリーもまたラングシーブを犯罪者の集団と教えられてきたようだ。



「すべて否定はしないが」



 ラトスは無表情に応えつつ、二本の木の間に張ったロープに布をかぶせた。両端を縛って固定した後、視線を逸らすメリーの顔を見る。



「そうだな。盗賊紛いのことをすることは、あるかもしれない」


「紛い、ですか?」


「ああ。紛いだ」



 ラトスはうなずいてから、メリーを手招きしてみせた。警戒しているメリーの肩が、びくりとふるえる。しかし簡易的に作った布のシェルターを手のひらで指し示すと、ほっとしたように肩を落とした。


 そそくさとシェルター近くに寄って座り、ラトスを見上げるメリー。警戒こそ解いていないが、先ほどまでの悔しそうな表情が消えている。この程度で気持ちを切り替えてくれるなら、安いものだ。ラトスはメリーの表情に片眉を上げ、自らも彼女からわずかに距離を取って座った。


 身体を冷やさないよう早々に熾した火の傍で、二人はしばらく話をした。

 というより、ラングシーブに対する貴族の一方的な誤解を解く話が、主であった。


 ラングシーブが盗賊と呼ばれる原因は、ふたつある。ひとつは契約以外で得た副収入を依頼主に渡さないこと。もうひとつは、言葉巧みな交渉によって副収入となる枠を増やす者がいることだ。しかしそれらは、ラングシーブだけが行っているものではない。大なり小なり、商売をしている者は皆がやっていることである。



「つまり冒険者というより、商売人という感じですね」



 ラトスの話を聞きながら、メリーが大きくうなずいた。


 メリーは良くも悪くも純粋だった。聞けば、まだ十九歳だという。

 若さゆえの純粋さと、貴族として狭い世界を生きてきたために、思考や知識に偏りがあるようだった。自ら得た市井の知識などはほとんどなかったらしく、興味津々にラトスの話を聞いている。



「では副収入として得たものを依頼人がどうしても欲しいと言ったら、どうするのですか?」


「もちろん売るさ。高値でな」


「ずるいですね」


「賢しいと言ってほしい。限られた力をすべて利用して戦っているんだ。これからもそうさ」



 焚火の明かりを見つめ、ラトスは自らに言い聞かせるように声をこぼした。


 弱くなりつつある火に、細い枯れ枝を投げ込む。

 間を置いて枯れ枝が爆ぜ、火はわずかに強くなった。



「ではもし、行ったこともないような場所へ依頼で行くことになったらどうするのですか?」


「ああ、それはな……」



 メリーの質問攻めがつづく。

 ラトスは面倒に感じながらも、メリーの質問にひとつひとつ答えていった。いつの間にかメリーの目から、ラングシーブに対する軽蔑の色は消えている。まるで子供と話しているようだと、ラトスは心の内で苦笑いした。


 深まる夜に、焚火の明かりが温かくこぼれだす。

 森が夜の静けさを取りもどすのは、しばらく時がかかりそうだった。



 その夜。

 ラトスは夢を見た。


 暗がりの中に、少女が一人いる。

 直前までメリーと話していたので、夢にまで現れたのかと思ったがそうではなかった。暗がりからぼやりと近付いてきたのは、死んだはずの妹、シャーニであった。


 薄暗いラトスの家の中。シャーニがじっとラトスを見ている。

 シャーニが立っているところより少し奥に、小さな暖炉。火が入っていて、音なく揺らめいていた。時折音なく爆ぜて、少女の後ろ髪を強い赤に染める。


 恨んでいるのか。

 早く復讐をしてほしいのか。

 それとも、ラトスも早くこちらに来いと言っているのか。


 ラトスを見るシャーニの目に光はなく、ぼそぼそと何か言っている。しかし何と言っているかは分からない。シャーニが亡くなって半年、毎夜夢にシャーニが現れるのに、一度も言葉を聞き取れたことはなかった。


 そのうちにラトスは夢の中で胸が苦しくなる。

 苦しさで膝を突き、必ず妹の顔を下からのぞき込むかたちになった。そんなラトスをシャーニが見下ろし、追い撃つように何か喋りつづけている。


 シャーニの頭上。天井からぶら下がる小さなカンテラが、ゆらゆらと揺れている。

 カンテラとシャーニを見ているうちに胸の苦しみは最大になり、ついに夢の中でラトスは気を失いそうになった。




「ぐ、はあ! はあ! く、は……はあ」



 呼吸を荒げ、ラトスは目を覚ました。

 同時に、身体の下に敷いていた枝葉のすれる音が鳴る。ラトスは何度か地面を手でさわり、周囲を見回した。


 森の中。

 朝日はまだ昇っていないが、少し明るくなりはじめている。

 ふと、すぐ近くで枝葉のすれる音がした。目を向けると、音の鳴った方向に布で作られたシェルターがあった。その下でメリーがもぞもぞと動き、眠っている。


 ラトスは何度かまたたきをし、呼吸を整えようとした。しかしどうも息がしづらい。身体の中に黒い靄がかかっていて、ラトスを締め付けているようだった。


 妹の夢を見たあと息苦しさにおそわれるのはいつものことだが、今日はいつもと違う。黒い靄のようなものが身体に渦巻いて目が覚めるのは、初めてのことだった。身体の中も、頭の中も、黒い靄のようなものが渦巻いている。息苦しさに加え、思考力までも消そうとしているようであった。このまま狂気に憑りつかれたほうが楽になれるのではないかと、ラトスの頭の奥が一瞬鈍く光った。


 うずくまり、ラトスは夢に出てきたシャーニの顔を思い出す。


 もしかするとシャーニが黒い靄を出していて、余計な考えを消そうとしているのだろうか。心を鋭くさせ、憎しみを忘れるなと、伝えてきているのではないか。ただひたすらに、目的を果たせ、と。


 ラトスは頭をかかえて、しばらくそのままうずくまった。

 布のシェルターから、メリーの寝息が聞こえる。ゆるやかに抜ける風が彼女の寝息を運び、森を静かに鳴らせていた。


 この森の奥に、占い師の男が言っていた「隠された場所」とやらがある。王女捜索のためではなく、自らの目的を果たすための何かが、そこにあるはずだ。それさえ掴めば、早々に王女を見つけられるかもしれない。長くシャーニを待たすことなく、復讐を遂げることが叶うかもしれない。


 これでいい。

 間違っていないだろう?


 決意を新たにした直後、頭の中の黒い靄が消えはじめた。思考が晴れ、鋭くなっていくのを感じる。同時に胸の苦しみも消えて、これまでのことが嘘のように清々しい気分になった。


 ラトスはすっかり消えてしまった焚火跡の炭を、足で踏みつぶす。その音でメリーが目を覚ましたのか、布のシェルターの中から枝葉のすれる音がした。間を置いて、小さなあくびも聞こえてきた。

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