森の底
森の底へ
真夜中の森の中を歩いていた。
エイスの国は、広大な大森林に囲われている。森を切り開いて延びている大道など、森の広さからすればわずかなもの。ほとんどの地域が自然のまま、古くから受け継がれている。エイスから遠く離れるほど野路も少なくなるので、森の奥へ行くのは面倒なことこの上ない。ラトスはついに途切れてしまった野路を後にして、草木生い茂る森を突き進んでいた。
明かりとなるのは、手に持つ小さなランタンのみ。
光が届かない場所はすべて暗闇に落ちていて、何も見えない。顔を上げれば月が見えるが、多くの枝葉がわずかな月光すらもさえぎっている。もしもランタンを失えば、朝が来るまで動けなくなるだろう。
「あ、の! ちょっと、ちょっと待って、ください!」
後ろから声が聞こえた。年若い女の声。
ラトスは立ち止まり、声が聞こえたほうへふり返った。そこには深い暗闇しかないようだったが、よく見るとずいぶん離れたところに小さな明かりがあった。ラトスは目をほそめ、自らが持つ灯りをゆらす。するとラトスの灯りの動きに合わせて、小さな明かりも小刻みに揺れた。
「ちゃんと待っているぞ」
近付いてくる明かりに向け、ラトスは声を飛ばす。
やがて小刻みに揺れる明かりと共に、赤みがかった黒い総髪の女性が現れた。軽装ながら上等な布と革で縫われた衣服に身をつつみ、剣を佩いている。剣の鞘には細やかな装飾がほどこされていて、上級の兵士か騎士と一目で分かるいでたちであった。
ラトスは肩をすくめ、息を切らしながら近付いてくる黒髪の女性をじっと待つ。
「もっと……。もっと、ゆっくり……。本当に。お願いですから」
「ゆっくりだったと思うがな」
「女の子のゆっくりは、そうじゃないんです」
「……お前は兵士だろう?」
「いえ。だから。兵士じゃ……ないんです」
息を切らしている黒髪の女性がうなだれる。
縁もゆかりもない彼女と出会ったのは、つい昨夜のこと。占い師の男と別れてすぐ、見計らったかのように彼女から声をかけてきたのだ。
「そうだったな。王女の従者、メリー様だ」
「まだ信じてくれていないのですか!?」
黄色い怒鳴り声が、森の暗闇に広がっていく。
小さな獣が驚いたのか、遠くでいくつか草葉の擦れる音がした。
嘘か、まことか。メリーは自身のことを王女の従者と明かした。そして王女を捜すために同行させてほしいと、出会ったばかりのラトスに嘆願してきたのだ。
ラトスにはメリーの身分の真偽を見抜く術がなかったが、憔悴しきっていたメリーが嘘をついているようには見えなかった。なにより、メリーの力ない瞳が演技と思えなかった。少なくとも依頼を請けたばかりのラトスに王女捜索の同行を願い出てきたのだから、城中でそれなりの立場にある者であることは間違いない。
となれば、これは好機だ。
ラトスは面倒な振りをしたうえで、メリーの同行を許すことにした。
まず欲しいのは、確たる情報である。占い師の言うあやふやなものではなく、王女失踪にかかわる本物の情報が必要だ。仮にメリーのすべてを信用するとすれば、望むものの多くが手に入ることになる。加えて、城中に仕えているメリーを利用すれば、本来の目的である復讐にも役立つかもしれない。
「信じているさ。お前が王女の最後の目撃者なのだろう?」
「……そうです」
「今の俺には、お前の言葉を覆す意味が無い。真偽を確かめるまでは信じておくさ」
「それって信じているって言います?」
「さあな。それは俺が決めることだ」
ラトスは頭を横に振り、再び森の中を歩きだした。
王女の最後を目撃したらしいメリーが言うには、王女がいなくなったのは森の中だという。それも、占い師が指示した「隠された場所」で姿を消したと言うのだ。どうやら王女とメリーも占い師の助言を得て、隠された場所へ秘かに赴いたらしい。何の目的でそこへ行ったのかラトスは問いかけたが、口外できないことであるようで、メリーの口がその問いに答えることはなかった。
ラトスを追うようにして歩くメリーの顔が、ゆがんでいる。
疲れているのか。それとも、ラトスには伝えることができない何かのために苦しんでいるのか。どちらにせよ、メリーには後がないはずであった。王女を目の前で見失っただけでなく、従者の身でありながらただ独りで城へ戻ったからだ。王女の命令で秘かに行動していたことも災いして、王女が消えた今、彼女の結果を弁護する者はどこにもいない。
進む足を鈍らせているメリーに、ラトスはふり返る。
「ずいぶんと足が遅いが、ここへは一度来たのだろう?」
「あのときは、もっと街道を通ってきたので……」
メリーの頭ががくりと垂れた。なんともお貴族様らしい返答だ。
これから行く「隠された場所」までは、まっすぐ森の中を進んでも二日、三日かかる。街道からは離れているので、ぎりぎりまで街道を利用したとすれば五日以上かかったことだろう。ずいぶんと遠回りし、高級品である栄養価の高い携帯食料で食いつないで目的地へ向かったに違いない。秘かに城を抜け出したにしては、ずいぶんな旅行ぶりだ。
「メリーさん、悪いが」
ラトスはメリーに手を差し伸べつつも、眉根を寄せた。
「手持ちの食料は、石みたいに固いパンと少しの肉だけでね」
「わかってますよ」
「そうか」
「ええ」
ラトスの強い口調におびえることなく、メリーがラトスの手をつかむ。気丈に顔を上げ、ラトスをにらむように目を見開いた。
「でも、すみません。ご迷惑を……」
気丈に振舞った表情が、一瞬で崩れていく。悔しそうに唇を結び、再びうなだれた。
暗い顔色。昨夜出会った時からずっと、メリーの表情に余裕はない。心身ともに疲れ切っている上、森の中を延々と歩きつづけてきただから無理もないだろうが。部外者のラトスから見ても、今のメリーの気力を維持させているのは王女への忠心や想いだけだと見て取れた。それを失えば、すぐさま心が砕け散るに違いない。
哀れではある。
そして都合が良い。
メリーの必死さは、ラトスも十分に理解できた。必死ゆえの盲目さも、どの程度になるか予想がつく。ラトスの目的のために利用するには、もってこいの存在だ。
「陽も落ちて大分経った。そろそろ休もうか」
ラトスは辺りを見回し、息を抜く。
メリーを利用するとすれば、今無理をさせて不信を募らせないほうがいい。
「……はい」
「明日は、もう少し歩く」
「はい……!」
「今日はここで野営だ。いいな?」
ラトスは緊張しているメリーから荷袋を受けとり、肩にかついだ。すぐ近くの木に寄り、二人の荷袋を幹にしばりつけていく。そうしながら目の端でメリーの様子をうかがっていると、彼女の拳が何度か強くにぎられているのが見えた。自分自身を叱咤しているのだろうか。目を細め、唇も結んでいる。やがて気持ちを入れ替えたらしく、ラトスの傍へ来て野営の手伝いをはじめた。
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