路地裏
暗闇に落ちないよう、灯りをいくつも並べた中央区画。
日が高いころの喧騒を忘れないように、未だ多くの馬車や人が行き交っている。
ラトスは足を速め、人の多い大通りから裏通りへ抜けていった。
傾いた陽の光が届かない、裏通り。薄暗く、空気が重い。砂を踏むような感覚が足裏に伝わり、整備されていない石畳だと実感する。大通りと同じ石畳であるのに、道端にたまった土からは雑草までも伸びていた。
「おう、ラトスじゃねえか。仕事かよ?」
不意に、道端にいた男の一人が声をかけてきた。ラングシーブの者ではないが、どこか見覚えがある。同業の冒険者だろうか。
「ああ。そうだ」
「もう寝る時間だぜ? じゃあな」
過ぎていくラトスの背に、男が手を振る。ラトスはふり返ることなく腕だけ上げて、男に返答した。
これくらいの時刻になると、先ほどの男のような人間たちが街の底から這い出てくる。誰も彼も、闇夜にまぎれて生きる者たちだ。
表ではできない商売をしている者をはじめ、男を誘う者や、女を誘う者。
ナイフを片手ににらみ付けてくる者。もうすぐこの世からいなくなる者。
華やかな中央通りの影に、面白くもない現実を生きている者たちが姿を見せはじめる。
ラトスはそれらを横目に、裏通りのただ中を歩いていった。
やがて、陽の明かりが消える。
裏通りに夜の帳が下りた。
戸口や木窓の隙間から滲み出る、弱々しい光。
足元だけがなんとか見える程度に照らしだしている。
ラトスは目を細めて、人が増えはじめた裏通りの先を見た。すると道端に座りこんでいる男が目に止まった。フードを被っていて、少し顔を上げている。その様は夜をのぞきこんでいるかのようであった。
「……昼間に見た、占い師か」
ラトスは小さく声をこぼし、フードをかぶった男の傍を通り抜けようとした。近付いてみれば、やはり間違いない。昼間に群衆の中心で占いをしていた男だった。店仕舞いをしているわけではないようだが、なぜか今は一人の客もいない。
占い師の男のすぐ傍を通る。男の目が、夜からラトスへ、ゆっくりと向けられた。フードの中に見えるふたつの瞳が、不気味に浮かんでいる。視線が交わった直後、占い師の口元に笑みが浮かんだ。
「……なんだ?」
ラトスは立ち止まり、占い師の男を見下ろす。すると占い師の男が間を置かずに立ち上がった。まるで声をかけられるのが分かっていたかのようだ。ラトスは妙な不快感を覚え、思わず半歩退く。
「ラトス=クロニスですね」
占い師の男が声をこぼした。その声は笑い声のようでもあり、歌うようにも聞こえた。ところが感情だけがこもっておらず、人間が発声とは思えない不快さを含んでいた。
「おまえは誰なんだ」
「何者でもありません。ただ、あなたを待っていました」
人形のような笑顔を貼りつけ、占い師の男が応える。
ラトスは怪訝な表情を向け、さらに半歩後ろへ退いた。
「あなたが探しているものを私は知っています」
占い師の男が一歩、ラトスに寄る。
「人探しのことか?」
「ええ、そうです」
また一歩、近寄ってくる。
「それは助かる。お前は情報屋なのか」
気味の悪い男だが、情報屋であればありがたい。城で得ている情報以外、ラトスは何も持っていないからである。緘口令同然の状況を分かった上で情報ならば、真偽問わず多くのことを知っておいたほうがいい。
「情報屋、ですか。そう。そのようなものです」
占い師の男が、道化のように深々と頭をたれて一礼した。
「ならば、聞こう」
ラトスは道端に寄って、建屋に寄りかかった。それを見て、占い師の男が小さくうなずく。ラトスと同様に道端へ寄り、少し距離を取ってラトスの隣に立った。
暗くなった路地裏に、占い師の男の声が静かに通る。大げさな身振り手振りを混ぜてはいるが、占い師の男の話は存外分かりやすいものであった。しかし大筋は、ラトスが知っている情報と大差がない。緘口令の水面下で出回っている王女失踪の噂に、尾ひれがついたものばかりである。
この程度か。
目新しい情報が無さそうなことで、ラトスは半ば聞き流しはじめていた。するとラトスの態度を感じ取ったのか、占い師の男が声を低くした。笑っているような声から、事務的で冷たい声に変わっていく。
「隠された場所?」
「ええ、そうです」
占い師の男がうなずく。事務的で冷たい声になりはしたが、人形のような笑顔に変化はない。かえって不気味さを際立たせた。
「エイスの東門を出てしばらく進むと、小さな沼があります」
占い師の男の指が、宙をなぞりはじめた。
「エイスの東にある国まで十数日ほどかかりますが、そこまでは行きません。まっすぐに森を突っ切れば、三日ほどで着くでしょう」
「そこに探しているやつがいるのか?」
「そうです。そこに、隠れています」
つまり監禁されているのだろうか。
ラトスは怪訝な表情で占い師の男を見据えた。
占い師が宙にえがいて説明した場所は、エイスの国からやや北東の位置であった。国と国をつなぐ大道からは大きく離れていて、ただただ森が広がっているだけの地域にあたる。野路すらないと思われるそこは、不便以外何もない。誘拐されている可能性が高いにしても、辺鄙に過ぎる場所に王族を隠すとは考えにくい。
「そこにいるとして、だ」
ラトスはしばらく考えたあと、頭を小さく横に振った。
真偽を考えるのは、今である必要はない。そもそも目の前で笑顔をたたえている男自体、得体が知れないのだ。疑っていればきりがない。
「そこで俺は、どうすればいい?」
「合言葉を言うだけでよろしい」
「合言葉だって?」
「そうです。疑わしいと思われるでしょうが」
占い師の男がうなずいた。
人形のような笑顔の奥に、鈍く光る瞳。思考を読み取っているのではないかと、ラトスは頬をゆがめる。
「その沼のあたりに、珍しい小石、いや砂粒ですかな。まあ、それは行って見ていただければ分かるでしょうが」
言いながら、占い師の男がその場で四つ這いになる。土で汚れた石畳に顔を近付け、何者かに平伏しているような姿勢を取った。
「その砂粒に向かって、合言葉を言うのです」
「……なるほど」
あまりに馬鹿馬鹿しい内容だと、ラトスは眉をひそめた。しかし冗談を言っているわけではないらしい。騙すのであれば、もう少し受け入れられやすい話をするに違いないからだ。
ラトスは四つ這いの占い師に右手を差し出し、肩をすくめてみせた。
占い師の笑顔が、不気味に揺れる。予想通りの反応だと言わんばかり。
「それで。その合言葉というやつは何だ?」
差し出された右手を取って起きあがった占い師に、ラトスは首をかしげる。すると占い師の男が、小さな紙切れを懐から取りだした。受け取って開いてみると、エイスの国では使われていない文字が記されていた。
「初めて見る文字だな。……何と書いてあるんだ?」
仕事柄、様々な地域をめぐっているが、こんな文字は見たことがない。しばらく考え込んでいると、占い師が愉快そうな表情を浮かべてラトスの傍に寄った。
「そこには、≪パル・ファクト≫と書かれています。それが、合言葉です」
「聞いたこともない言葉だ」
「使われていない言語なのです」
「……古語か」
「ほう、驚きました。まさしくこれは古語です」
占い師の男が驚いた表情を作り、両手を広げる。その仕草はあまりに大仰で、舞台の上で何かを演じている役者のように見えた。占い師というのは皆、このような雰囲気を作るのが好きなのだろうか。
「とにかく。これで何とかなるのだな?」
「ええ。それだけで」
「分かった」
ラトスはうなずき、懐から金貨を一枚取り出した。依頼交渉時に受け取った前金の半分だ。ラトスは礼を言いながら、占い師の男に手渡した。
エイスにおいて、金貨一枚は半年生活できるほどの価値がある。自分の情報に価値があると信じているならば、何の疑いもなく金貨を取るだろう。しかしわずかでも偽りが混じっていると自覚していれば、迷いが生じる。手や目の動きにかすかな戸惑いが宿っているのを見て、嘘を見抜くこともできるのだ。
金貨を受け取る、占い師の手。迷いなく金貨を握り、笑顔を見せてくる。
「きっと、良い旅になると保証します」
占い師の笑顔の奥にある、鈍い光。夜が落ちた裏路地に、不気味なほど映えていた。
まるで夢を見ているようだと、ラトスは顔をしかめる。ふとなぜか、少し前にすれ違った同業者の言葉を思い出した。
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