交渉
「お待たせした!」
息を切らしながら入ってきたのは、中肉中背の男であった。ずいぶん走ったのだろう、着ている衣服が乱れている。こまやかで華美な装飾の衣服を見るかぎり、高位の人物だと見て取れた。
「大臣、こちらはラングシーブのラトス=クロニス殿です」
「うむ。聞いておる」
大臣と呼ばれた中肉中背の男が、額の汗をぬぐいながら応える。部屋の中へ慌ただしく入り、テーブルをはさんでラトスの正面に座った。テーブルの上にはいつの間にか証書と紹介状が並べられていて、大臣が目を通しやすいようにしてあった。
大臣の目が、書類とラトスの顔を交互に見る。やがて目を丸くし、うなり声をあげた。
「いや。これは実に素晴らしい」
おおげさに両手を広げ、大臣がにかりと笑う。
ついで証書と紹介状を手に取り、ひらひらと振りはじめた。
「これほどの経歴を持っている人は、なかなかいないでしょう」
「確かに、その通りですな」
大臣のお世辞に、老執事が相槌を打った。
しかし社交辞令を含んでいない部分もある。ラトスの経歴は、実際異様な面があるからだ。
第一に、ラトスは元々傭兵であった。幼いころから戦地におり、成長するにつれ各地を転戦していた。その後ラングシーブとなったが、傭兵時代からの情報網と戦闘能力が功を奏し、数多くの依頼を達成しつづけた。ここ半年はまったく動いていないものの、ラトスの実力はラングシーブ内だけでなく、エイス中の冒険者の中で屈指のものと言っていい。
「クロニス殿。早速仕事の話をしても?」
「もちろん。そのほうが……助かりますが」
「はは。君も私も忙しいというわけだ」
たどたどしいラトスの敬語を聞いて、大臣が愉快そうに笑う。
しかし瞳の奥に笑みはなく、ぎらつかせていた。
「こちらから出せる情報は、後程、彼に聞いていただきたいのだが」
笑顔を張りつけたまま、大臣の手が後ろに控えている老執事に向けられた。その手に応じ、老執事がラトスに向きなおる。丁寧に頭を下げ、再び直立した。
「まず、互いの絶対条件を確認しましょう」
「絶対条件……ですか」
不確かな暗黙の了解ではなく、明確な取り決めをしようというわけだ。大臣たちからすれば、王女の命にかかわる問題であるから当然だろう。早いうちにできるだけ不明瞭な点を排除したいのは、妙な話ではない。
素早く交渉を進めようとする大臣の視線が、ラトスを捉えつづける。大臣とはエイスの国において国王の次に権力がある者だ。やはり並の人間ではない。笑顔の奥に備えた鋭い眼力で、ラトスがどれほど信ずるに値するか、完全に測ろうとしている。
「ええ。こちらはふたつあります。まずひとつは、依頼を受けていただいてからすべて完了となるまでの間、王女殿下に関する物事はすべて、最優先でこちらに提出していただく」
「それは、もちろん。もうひとつは?」
「依頼を受けた後、国の威信を損なう言動は行わないことです」
「つまり、余計なことを言うな、やるな。と」
「そういうことです」
事前に知っていた通りの内容である。事実上の緘口令であり、この条件によっていずれの者も王女の捜索が思うように進んでいない。しかし大臣たちの立場からすれば、絶対に外せないことなのだ。間違っても国内外の一般人に「王女が行方不明になった」などと、知られてはならない。
「クロニス殿は、なにかありますかな」
「こちらからも、ふたつ」
大臣に促され、ラトスは少し前かがみになった。
言うべきか、言わぬべきか。ラトスは迷いながら両膝に肘を突く。
「ひとつは、こちらが必要とする情報と金。それを先に全部もらいます」
「前金ということですか」
「そうです」
「できる限りをしましょう。それで、もうひとつは?」
「もうひとつは……」
ラトスは、まだ考えていた。
違う方法が他にないか。これから口にする提案が、間違っていないと言えるのか。
考えを巡らせているうちに、ふと奇妙なものが見えはじめた。
ラトスの胸の奥から、黒い靄のようなものが滲みでてきたのである。その靄は、ミッドの話をしていた時に見えたものと同じもののようであった。同時に、周囲の時の流れが緩やかになった。大臣たちの動きが、空気の流れが、息苦しいほどに鈍くなっている。
次第に黒い靄が大きくなる。
渦巻きながらラトスの思考を塗りつぶしていく。
考える必要などないと言っているのか。ふり返るべきものが見えなくなるよう、黒が満ちていく。
棄てるべきだ。
復讐を果たし、許せぬ自分自身をも、殺すべきなのだ。
夢の中にまで出てくる妹の姿を思い出し、ラトスは奥歯を噛み締めた。
暗い夢の中でラトスを見つめる、妹の暗い表情。うらめしそうにして、ラトスになにかをさせようとしている。そのすべてを汲み取ることは出来ないが、その暗さを晴らすことがラトスに残されたすべてであった。
黒い靄の中で、大臣を見据える。
いつの間にか、時の流れは元に戻っていた。大臣たちが眉をひそめ、ラトスが次になにを言うのか待っている。
「もうひとつは、……王女を連れ帰れたならば」
「ならば……?」
「王女と交換で、俺の妹、シャーニを殺した者の名を教えてほしい」
ラトスは静かに、力強い口調で言った。
王女を人質にして脅したも同じことを、淀みなく言い切った。
直後、ラトスの視界から黒い靄が消えていった。
思考力も澄み、何事もなかったかのように元通りになっていく。
「……なんと」
大臣から笑みが消えた。徐々に顔がゆがんでいく。
「城内に殺人を犯した者がいると?」
にらむようにして大臣が問うと、ラトスは表情を変えずにうなずいてみせた。
これでもう、後戻りはできない。普通なら、大臣の不信感をあおったことで破談となるところである。しかしラトスには、そうはならないという確信があった。目の前にいること中肉中背の男が、そこらにいる愚かな貴族とは違うと認めたからだ。
「少し調べれば分かることです。俺も隠そうとは思わない。いや、どうせ隠せはしないと」
「難しいことです。それは」
「そうでしょう。ですが、はっきりと言っておく」
ラトスは大臣と老執事をにらんだ。
顔をゆがめたままの大臣と、表情を変えない老執事。無礼千万と言われても仕方ないはずだが、まだ追い出しにかかってくる様子はない。想定通りで、話を進めても問題ないだろうとラトスは心の内で胸をなでおろす。
「この度の依頼で、俺以上の適任者はいません」
多少はったりであるが、誇張しすぎてはいないとラトスは自負していた。
ラトスの情報網と行動力を、目の前にいるこの男が逃すとは思えない。城下の人間にまで助けを求めるほどに手段を選ばない人間だからである。王女を見つけられる確率が上がると見れば、ラトスだけでなく罪人ですら使おうとするだろう。
「犯人の名は、王女を見つけられなければ、望みません」
「ほう?」
「それに、そちらのふたつ目の条件は必ず飲みます」
大臣が出したふたつ目の条件は、国の威信を損なう言動は取らないようにというものだ。
ラトスはこれを逆手に取って、信用を得ることにした。
暗に、復讐のための一助をもらえれば、その後は死刑になっても構わないと伝えたのである。
「クロニス殿。これは、あなたの命に係わりますぞ」
「そのつもりで、ここにいます」
大臣の言葉に、ラトスは即答した。
自身の腹の底をさらけだした上で、多額の報酬を求める者は意外と裏切らない。少なくとも、期待している報酬を依頼主が用意している限りは。大臣から見ればラトスは狂犬に違いないが、報酬さえ確約すれば使いやすい手駒にも見えるはずだ。そう思わせることができれば、ラトスの勝ちである。
しばらく沈黙がつづいた後、大臣の頭が縦に小さく振られた。
「わかりました。少し、考えます。なるべく期待に添う答えを出しましょう。今はそれでも?」
「それで構いません」
ラトスは大臣をにらんだまま、うなずいた。
話がまとまり、老執事が依頼登録のための証書を持ってきた。
登録と、誓いのための血判を互いに押す。
「お互い、命懸けというわけです」
大臣が自嘲するよう笑った。
本当にその通りだと、ラトスは苦い顔を返してみせた。
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