依頼
エイスガラフ城への道中、ラトスの足は鉛のように重くなった。
悪感情しか抱いていない心というのは、実に暗く、息苦しい。
加えて、ふくらみつづける復讐心が、ラトスの全身に重りを科していた。
ただの一獲千金を狙う冒険者であったなら。
または、純真な少年のごとき心を持っていたならば。
ラトスの胸中は、城に入れるという期待と喜びで満ちていたかもしれない。しかし、ラトスはどちらでもなかった。殺された妹の復讐を果たすためだけに、足を進めているのだ。
ようやくたどりついたエイスガラフ城を見て、ラトスの心はさらに重く、苦くなった。
何度も見た景色ではあるが、城を包む空気は城下街とまるで違う。
城の周りは白い壁に囲われ、石畳には塵ひとつ落ちていない。その景観を守るため、常に多くの兵が警備にあたり、多くの使用人が清掃に励んでいた。ラトスが塵ひとつ落ちていない石畳に足を踏み入れると、多くの兵と使用人の目が一斉にラトスへ向く。客人に向けられる目ではない。塵に等しい異物を見る目で、にらみつけてきた。
ラトスは無数の視線を気にすることなく、進んでいく。
足の向く先には、門があった。衛兵が二人、門前で直立している。その衛兵の姿は、城下街を囲う城壁の大門にいる衛兵とは明らかに違っていた。兵の体格が良いだけでなく、きらびやかな甲冑に身をつつんでいる。指先ひとつ動かすことなく門外へ気を配る様は、銅像のようにも見えた。
「そこで止まってください」
衛兵の一人がラトスに気付き、丁寧な口調で言った。
槍をにぎりなおし、石突を二度、石畳に打ち付ける。威圧感を受け、ラトスの足は自然と止まった。
「入城のご予定ですか?」
「そうだ」
「ご用件を窺っても?」
ラトスを見据える衛兵の手が、槍を強く握りなおす。
笑顔を貼り付けてはいるものの、ラトスが害をもたらす者かどうか見抜こうとしていた。
「人捜しの依頼を受けている」
ラトスは無表情で答えた。笑顔の衛兵を見据え、徹底的に平静を装ってみせる。
ここで自身の内にある悪感情に気付かれてしまったら、すべて台無しだ。
「身分証となるものは、お持ちですか」
「ああ、持ってきている」
「確認いたします」
衛兵にうながされるがまま、ラトスは手にしていた証書と紹介状を見せた。それはギルドから発行されたもので、少なくともラトスが不審人物ではないと証明してくれるものであった。書類を受け取った衛兵が、内容を確認しつつラトスの顔をじっと見る。しばらくして、衛兵の表情に緩みが生じた。
「ありがとうございます」
証書と紹介状をラトスに返すと、衛兵の手指が何度か動いた。それは門の奥に控えている別の衛兵への合図であったらしい。素早く駆け寄ってきた年若い衛兵に、ラトスと話していた衛兵が短く指示をする。
「案内をする者が、門の奥に控えています」
指示した若い衛兵が門へ戻っていくのを確認して、ラトスと話していた衛兵が笑顔を向けた。これまでとは違い、少し余裕のある笑顔だ。どうやら一応、ラトスを信用したらしい。
「武器等は、門を潜ったところでお預かりしますが」
「ああ。構わない」
「ありがとうございます」
最後まで笑顔をくずさない衛兵が、ラトスに一礼する。
ラトスも礼を返し、門へ足を進めた。
着ている衣服を念入りに確認された後、ラトスは長い時間待たせれた。
依頼の交渉を行う場所へはすぐに向かえるかと思っていたが、なにかが手間取っているらしい。ようやく駆けつけた案内人のぬぐいきれない汗を見るかぎり、ずさんな扱いをされているわけではないようだが。
「お待たせしました」
「ずいぶん時間がかかるのだな」
「申し訳ありません」
案内人が額の汗をぬぐいつつ、ラトスに向かって一礼する。時間がかかった理由を答えることは出来ないのか、にらみつけてみても、案内人の頭がさらに深く下がるだけだった。
案内人に連れられ、城の前庭を歩いていく。
真っ直ぐエイスガラフ城に入るかと思いきや、案内人の向く先は違っていた。巨城を横目に、離れの屋敷へ進んでいく。とはいえ、その屋敷もまた豪壮なものであった。城下街にあるどの建屋よりも厳めしく、華もある。
「少々お待ちください」
扉の前まで来ると、案内人が銀細工のノッカーで四度小さくたたいた。
しばらくして扉が開く。出てきたのは白髪の老執事であった。ラトスは一礼し、短く挨拶する。
「こちらへどうぞ」
老執事の静かな声に、ラトスは肩を強張らせた。
まねくような仕草をしてラトスの進む先を誘導する、老執事の姿。外見に反し、内面に力強さを感じる。城仕えの執事はこういうものなのかと、ラトスはわずかに片眉を上げた。
「どうかなさいましたかな」
「……いや、なんでもない。先にこれを」
ラトスは肩の力を抜き、持ってきた証書と紹介状を手わたした。受け取った老執事が、静かに頭を下げる。そうして奥の部屋のひとつを手のひらで指した。ラトスはうなずき、老執事に促されるまま屋敷へ足を踏み入れた。
通された部屋は、応接室のようであった。室内の中央に、膝ほどの高さの小さなテーブルがひとつある。それを取り囲むように、椅子が整然とならんでいた。奥には暖炉があるが、火は入っていなかった。
「ラングシーブの方がいらっしゃったのは、初めてです」
老執事の目が、証書と紹介状にそそがれる。次いで、こちらで少しお待ちくださいとラトスを手招き、椅子へ座るよう促した。
「これだけの経歴で、今まで名乗りを上げてくださらなかったのは、実に残念です」
「俺たちは嫌われているからな」
「確かに。お互い様と言えますが」
老執事の口元がゆるむ。応じて、ラトスも口の端を持ちあげてみせた。
エイスにおいて、ラングシーブと貴族の関係は冷え切っている。
貴族はラングシーブを盗賊同様と揶揄し、ラングシーブは貴族を世間知らずの愚者と罵るほどだ。
盗賊と嫌われるのには理由がある。多くのラングシーブが依頼されたもの以外を仕事中に獲得した時、こっそりと懐に入れてしまうためだ。依頼主からすれば、副収入を横取りされた気持ちになるだろう。
しかしラングシーブ側にも事情があった。貴族が発行する依頼は難度の高いものばかりであるのに、報酬が少ないためである。
世間知らずの貴族は、危険な地域での情報収集、情報不足の遺跡や洞窟を先行調査することが命にかかわるということを知らない。どれほど交渉しても、旅賃程度しか支払わない貴族もいる。ラングシーブを協力者ではなく、使用人と同等に見ているからだ。
「言うじゃないか」
「これは。失礼しました」
口元だけ笑う老執事が、頭を下げる。
冗談を交わし、「お互い様」という言葉を選んだ老執事に、ラトスは片眉を上げた。どうやらこの老執事は、今回の依頼では「対等」に交渉が行われるはずと、暗に伝えたいらしい。主人の意向を汲み、主人の仕事が素早く済むよう下準備をする老獪さ。どことなく奇妙を感じ、ラトスは心の内で首をかしげた。
しばらくして、部屋の外から誰かの声が聞こえた。
声の主はバタバタと音を立てて近付いてくる。ついには部屋の前まで来て、乱暴に扉を開けた。
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