復讐
しばらく、お互い無言になった。
ミッドが椅子に腰かけた際に舞いあがった埃が、ちらちらと光の中を踊りながら落ちていく。テーブルの上に、少し傷んだ木の床に、眠そうにあくびをしている受付がいる階下に、ちらちらと落ちながら消えていく。その光景を二人は黙って見ていた。
「ひとつ、提案があるのだが」
沈黙を破ったのは、ミッドの低い声だった。
「なんだ」
「ここに来ている、あの馬鹿みたいな依頼を受けてみたらどうだ」
「依頼だと?」
ミッドの言葉を受け、ラトスは階下を見下ろした。カウンターにいる受付の男が目に映る。何度目かのあくびをしていて、今にも眠りに落ちそうだ。
「まさか、王女のか」
「そうだ」
「馬鹿なことを」
ラトスは頭を横に振り、ミッドの提案を一蹴した。
今、エイスの有力なギルドには、ひとつの人捜しの依頼が入っている。
無論、ただの人捜しではない。依頼を出したのはエイスの王家であり、依頼を請けられる実力者以外には知られないよう、緘口令まで敷いたものであった。
捜索対象は、この国ただ一人の王位継承者である王女である。
ラトスはため息と共に、「馬鹿げたことだ」と再び吐き捨てた。
王家の大事を民間のギルドに頼るなど、あり得ないことである。しかも緘口令を敷いているため、まともな情報収集などできるはずがない。つい最近まで、巨額の報奨金目当てに何十人も城を出入りしていたようだが、みな面倒になり、途中で辞退しているという。
当然、エイスガラフ城の者たちも必死に捜しているだろう。しかし依頼が出てから、すでに一か月。捜索に進展があったという話は、まったく聞かない。
「悪いが、そんなくだらないことをする気分じゃない」
ラトスは目をほそめ、ミッドをにらみつけた。
金が欲しいわけでもないのに、面倒ごとを抱えたくはない。それよりも今は、考えなくてはならないことがあった。先ほど懐に入れた紙に書かれた、≪黒い騎士≫のことだ。
ラトスが考えつづけていることは、復讐であった。
≪黒い騎士≫とやらが何者なのか分からないが、妹の死に近いことは間違いない。ならば徹底的に調べあげ、妹に手をかけた者なら殺さねばならない。その想いだけで、ラトスは半年間なんとか気力を繋いできたのだ。
世界から色が消え、心が死に絶える前に。
必ず、復讐しなければならない。
それ以外のすべては、今のラトスにとって無に等しいものであった。
「その気分は分かった上で、だ」
ミッドの目が、にらみつけるラトスを正面から見据える。
「まず、依頼を受ければ、城に出入りする機会を得られるだろう?」
そう言ったミッドの指が、埃のつもったテーブルに突いた。指先を動かし、円をえがきはじめる。エイスガラフ城のつもりなのだろう。
「いいか、ラトス。俺たちのような下流区画を出入りする者は、城には入れない。城に入れるのはみな、王族か貴族だからな」
「そんなことは分かっている」
「だがお前が知りたい情報は、城に入らなければ確たるものが得られない。そうだろう?」
ミッドの言葉に、ラトスは苦い顔をする他なかった。
捜すべき≪黒い騎士≫は、ただの強盗や荒くれではない。ミッドがあえて騎士と記したのと同様に、ラトスにもまた、黒い騎士に心当たりがあった。二人の得ている情報が一致しているならば、黒い騎士は間違いなく貴族以上の地位にいる者だ。
エイスの国では、貴族以上の者が強く保護されている。一般人が許可なく近付くことは出来ない。城内はもちろん、城外に出るときでさえ多数の護衛に囲まれている。隙はない。それほど厳重であるのに、情報を得るため城内へ侵入するなど自殺行為に等しい。
「だが、この馬鹿げた依頼を受ければ、特例で城に入れる」
緘口令を敷いているため、依頼を請け負った者は城に入ることが許されているという。となれば、依頼を利用した情報収集だけでなく、死を賭した凶行に走る機会すらあるということだ。
「ラトス。お前の想いは、城の外では叶わない」
「……そうだな」
ラトスはうなずき、ミッドを見据えた。
少し都合が良すぎる気もするが、このあり得ない状況を逃すわけにはいかない。
「馬鹿もやらなくては」
ラトスは声を低くこぼして、ゆっくりと立ち上がる。
身体を動かしたいきおいで、再び埃が舞いあがった。光に照らされる塵が、左右へチラチラとゆれる。やがてそれは光からはずれ、テーブルの上や床に落ちて見えなくなった。
ラトスは消えゆく塵を目で追ったあと、テーブルにえがかれた円を指差す。
「必ず、殺すためだ」
殺意の言葉を隠さず、言い切った。
瞬間、ラトスの色褪せた世界に、黒い靄のようなものがかかりはじめた。
立ち眩みだろうかとも思ったが、そうではない。黒い靄が視界をうばうようにして広がっていっても、身体がふらつく感覚におそわれることはなかった。「なんだこれは」と思っているうちに、黒い靄が身体の奥底に滲みこんでいく。やがてゆっくりと渦巻き、思考を黒く塗りつぶしていった。
このまま、黒く染まってしまえばいい。
頬の傷を引きつらせながら、ラトスの瞳は鈍く輝くのだった。
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