魔法と竜人

キツキ寒い

1.竜人と女蜘蛛人

「いい天気ですね、ララ先生っ!」

「今頃ダヴィート達が生徒達に手を焼いてるところだろうな」

「あの子達の体力は底なしですものね」


 そこは海と山、広い平野が隣接する八角形の国、ネフィラ。

 巨大で堅固な威厳ある城、ロキソスセルが構えていて、中央に聳える塔の天辺には荘厳な鐘が吊るされていた。

 そんなアラネウスを中心に三等分された領地は、西が大きな港と商業を抱える第一区、北東が天高く突き出た鉱山と黒煙を吹く工場を抱える第二区、残った南東が主に家々が軒を連ねる第三区と分かれている。

 二人がいる場所は第三区を貫く大通り。朝日に照らされる露店や屋台が立ち並んで、多くの主婦や客引きの声が行き交う様はさながら住宅区の商店街といったところか。

 行き交う者の中には人間はもちろん、犬や猫の獣人、ゴブリンやオークといった種族まで。国外では見られないその様子はさながら、一種のパレードのようだった。

 その中央をがらがらと荷車を引いている執事然とした男がララ。執事と見紛う装いで、血の気が悪そうな青みかかった白い肌を隠している。オリーブ色の天然パーマと丸眼鏡が中性的な顔立ちを男っぽく引き立てている。蜘蛛のような相貌の男だ。

 その隣を幸せオーラ満載で闊歩する金髪ショートの少女、ルーチェ。白のワンピースにブラウンのベストといういかにも農村の娘然とした格好で、子どものようにはしゃぐのだから側から見れば少し裕福なお家のお嬢様とその従者に見えることだろう。

 先の会話の通り二人は普段教師をしている。

 現在は二人して休暇をもらい、ララの野暮用に付き合っている最中である。

 余程気分がいいのか、ルーチェはスキップに伴って鼻歌を刻んでいる。次第にターンを入れ始め、鼻歌が綺麗な歌声へと変わった。

 ルーチェの歌は特別だった。特別な力を宿していて、聞いた者はその透き通った鈴のような調に魅了される。


 ――所謂、"魔法"。


 効果は様々だが、居合わせた民の心地良さそうな笑みを察するに、今回の魔法はルーチェの心情と等しく、そういう効果なのだろう。

 道中で不足していた消耗品を買い足しつつ――朝食を作ろうとして怪我した先生に任せてられないと全てルーチェが買いに行った――、商人達の出入りが激しい城門近くまで来る。

 開け放たれた金属製の重く巨大な扉、その中を入出国する馬車や商売道具を乗せた荷車を引っ張る商人達が検問を受けた上でゆっくりとすれ違う。

 今日も子蜘蛛アリアドネ達が頑張ってくれているようだ。

 何か差し入れでも持って行こうかと荷車を物色する。

 すると、「おやおや」とララの名を呼ぶ、元気だけど一癖のある少女の声がした。

 振り返るとお得意様がいた。

 橙色の髪を右耳の後ろで結わえたサイドテールが、童顔に威厳を持たせている幾つかの切傷の効果を相殺――いや打ち消して幼さだけを残した少女、運びのプリシラだった。彼女の馬車はララの荷車とは違ってちゃんと屋根がついており、その荷台へ腰を預けていたプリシラが歩み寄ってくる。


「今回も結構な量だナ、女の子に任せる量カ?これェ……」

「依頼が依頼なものでね。人払いした方がいいかな?」


 荷車に積まれた木箱を見るなり茶化した視線を向けてくるプリシラ。

 たしかに、木箱――納品物の衣類が入っている――の重量を考えても、荷を移すために大男を一人二人雇うレベルの物だ。故に幼い少女にしか見えない女性に肩をすくめてしまう。

 ルーチェは背景で商人達の旅の疲れを魔法の歌で癒していた。

「いや、いい」と断ったのち「これが仕事だからネ」とどこか大人びた風貌で少女は語る。世界中を飛び回って日用品や収集家コレクターが大枚叩いて買ってくれそうな珍品を売って、出た利益でちょっとばかしの贅沢をする。そしたらすぐにまた世界中を飛び回る。楽な仕事じゃないサと。


「特にアンタら女蜘蛛人アラクネの織物は別格なんダァ……!どれだけ原価に上乗せしようが文句の一つも言われなイ。目にした途端、貴族どもが蝿のように集るんダヨ!ああ、懐が金貨で溢れるのを想像するだけで、よだれが止まらないヨー!!」

「アハハ、それはそれは……」


 ゲスな笑みを浮かべて金の亡者っぷりを存分に発揮するプリシラ。息を荒げてわかる人にはわかるのであろう喜びに浸る少女を、ララは苦笑いで見守るほかなかった。

「にしても……」と少女は話を切り上げ、別の話題を上げる。


「あれ、全員アンタのとこだロ」


 あれと言われ示された先にあるのは、検問に勤しむ衛兵達の姿だった。各々好きな装甲を身につけており、フルプレートの重装甲であったり、胸当や小手、肘・膝具だけを身につけた軽装甲の者もいる。ただ、その中でも一際目を引くのが全員血色の悪い白い肌、青みかかった白い肌をしている少女だということ。

 子蜘蛛アリアドネだ。


「僕のとこのだけ、ではないけどね。母様や姉様達の子もいるし、母様より前の代の子もいる。長生き子ほど戦闘にもたけてたり、面構えが違ったりするから女蜘蛛人アラクネならなんとなく見分けがつく」

「長生きの子ほど、ネェ……。子蜘蛛アリアドネは魔法とか使えるのカ?」

「いいや、魔法が使えるようになるのは人間だけだよ」

「そっカ……」


 先の態度とは打って変わって意味深長に呟くプリシラを怪訝に思いつつ雑談も切り上げ、プリシラと商談に入る。

「というかお前、その傷どうしタ。真っ青だゾ?」

女蜘蛛人アラクネの血は青いんだ。軽い切傷だし、気にることないよ」

 指の切傷を指摘され、更に一言二言交わした後、しっかり代金をいただいた。

 僕らが話しているのを見て不服げなルーチェも丁度戻ってきた。

 そろそろ帰ろうかと話していた。その時――


「あ!こら、待ちなさい!」


 振り返るとマントを身につけた少女が商店街の方へ急いで行くところだった。どうやら検問を受けずに入国したようで、衛兵の子蜘蛛アリアドネ達がぎゃーきゃー騒ぎ立てている。


「――!」


 すれ違いざま、フードの隙間から少女の顔が見えた。白にピンクのグラデーションがかかったような桜色の肌、その頬に、紅い鱗のようなものが見えた。

 更に現れた三つの黒い影が、逃げるマントの少女を追う形で商人達の中を駆け抜けていく。

「検問くらい受けろよバカー!」と子蜘蛛アリアドネ達が叫んでいた。

 なんだろう……あの子…………妙に、胸騒ぎがする。


「すまないルーチェ、荷車を頼む!」

「え、ちょっと!ララ先生!?」


 木箱がなくなりすっかり寂しくなった荷車をルーチェに任せ、ララはマントの少女達が向かった方へ駆け出す。

 プリシラが少し険しい表情を向けてきたような気がしたが、それも無視して多種多様な民が行き交う商店街を駆け抜ける。

 オークの主婦を押し退け、ゴブリンの子供を蹴飛ばし、道を中央を徐行する馬車の馬をパニックにさせ暴走させるなど騒ぎを起こしながら黒い影は商店街を突っ切っていく。

 己の立場としても彼らを助けたい思いだったが、それよりもあの少女のことが気がかりで仕方がなかった。

 やがて走る人影はマントの少女が細い路地に逃げ込んだところで、上下の二手に別れた。


 マントの少女は恐怖していた。

 素足に石が食い込み、つまづいて転けそうになっても、走り続けた。

 疲弊しきった身体で狭い路地裏に逃げ込み、見つけた窪みに身を潜めて華奢な身体を折って膝を抱える。

 赤みかかった桜色の肌は汗ばみ、痛む傷と浅い呼吸が心の余裕を削った。

 幾つかの足音が通り過ぎ、束の間の安心を得る。

 だけど、動きはしなかった。このままここで隠れていたい。隠れていればやり過ごすことができるのではないか、もしここから出て行けばまたすぐに見つかるのではないか。そう思うと身体がすくんで動くことを拒んでいた。

 身体の中が苦しい、目尻から冷たい何かが溢れる。

 胸の中を黒い何かが濁した。


「見つけたぞ!」


 道の駆け込んで来た方で黒いローブを纏った人間が二人現れる。各々の得物をぎらつかせて、ゆっくり少女の下へ歩を進める。

 情けない悲鳴が喉を抜けた。

 後退り、逃げる。

 頭上からやってきた新手がすぐに退路を塞いだ。

 心の余裕が消失する。動悸が激しく、心臓が全身を叩いている。

 胸に広がる黒い何かが凝縮し結晶化、胃酸が胃袋を燃やすような感覚に陥った。まるで身体の中で大きなエネルギーを溜め込んでいるかのように。

 そこまでしか、覚えていなかった。


 酷い惨劇だった。拳ほどの黒く濁った深青の結晶クリスタル片が路地を破壊して、黒い三つの影だったものは辺りを真紅に染めていた。

 面していた家は壁や窓に穴を開け、住民の悲鳴が聞こえる。

 砂埃が漂って、紅い雫が滴った。

 不幸中の幸いと言うべきなのか、住民に被害はなく、死者は倒れている三人のみ。

 その中心でマントの少女が倒れていた。

 頭を覆っていた布がはだけ、隠れていた尖った耳や随所に存在する赤い鱗が曝け出されている。

 この惨劇と合わせても、少女を中心に何か大きな力が爆発したとしか考えようがなかった。

 思わず唇を噛む。

 倒れている少女の下へ歩み寄り、引き寄せ、力強く抱きしめた。可能な限り暖かく、そして少女が安心できるように。

 辛かっただろう、寂しかっただろう……っ。

 少女の目蓋から温かいものが溢れた。


 気がつくと見覚えのない天井が視界に飛び込んできた。白いタイル張りのような天井。

 部屋は暗いイメージを持つ寝室だった。だけれど、どこか明るくて、とても安心する部屋。まるで母親の部屋にいるような、そんな気分になった。

 窓からは温かな日差し差し込んで、そこまで時間が経っていないことを知る。

 ――ここは……?どうして、ここに?

 身体の四肢や胴に妙な圧迫感を感じて確認すると、包帯を巻くなどして傷の処置がされていた。

 そっと包帯に触れてみる。

 ――あたたかい。

 しばらくして、メイド姿のかわいい侍女さんが部屋に来て、傷の確認や着替えを手伝ってくれた。

 姿見で自分の姿をまじまじと見つめる。

 人間とは違う桜色の肌、尖った耳、頬や腕の随所で竜の片鱗を見せる赤い鱗。獰猛に鋭い爪や牙、赤く鋭い瞳孔を持った瞳。竜人の特質は今までと変わらない。

 だけど、長く伸び切った赤い髪はピンと張って石鹸のいい香りが漂った。艶のいい白いワンピースと赤いブラウスの新品の匂い、あと傷を覆う包帯が少女にとって新鮮であった。

 のも珍しげに目を輝かせ、くるっと回ってみるとワンピースの袖や綺麗な髪が宙を舞った。それが面白くて何度も回ってみせる。終いには目が回って千鳥足でベッドへ倒れ込む。ふかふかでちょっと跳ねた。

 滑らかで心地いいシーツを頬で堪能する。

 笑みを誘われる光景に姉のような気分になった侍女は微笑を浮かべ、そっと部屋を出た。

 ――やっぱりごうかだ。

 床や壁は暗い色をしているけれど、装飾が施された姿見やベッド、机や化粧台なんかの家具が凌駕して明るい雰囲気に感じられる。

 廊下を覗いて見たけど同じような雰囲気で赤いカーペットが伸びていただけだった。

 通りすがりのかわいい侍女さんがペコっと会釈をしてくれた。


「だいじにしなきゃ……でないと、また…………」


 でもやっぱりすりすりはやめられない。

 ベッドへ飛び込んで滑らかなシーツを堪能する。

 すりすりすり。

 すりすりすりすりすりすり。


――ビリッ!!――


「あ…………!」


 不穏な音に顔を上げると、なんとシーツに三角形の大穴が開いていた。頬の鱗が引っかかって破けたんだと容易に想像しうる穴。

 桜色の肌から一気に血の気が引いて、冷や汗がだらだらと流れた。

 少女は焦った。

 シーツの布片が頬に引っ掛かっているとはいざ知らず、治ると思い込んでシーツをくっ付けたり、さっきの侍女さんがいないか廊下を覗いたり、姿見の前でくるっと回って現実逃避してみたり。

 だけどやっぱりシーツは直らない。

 わるいことしちゃった、どうしよう…………!?このままじゃ――――。


――コンコンコン――


「ひいぃぃぃぃぃっ!?」


 ノックの音に思わず悲鳴をあげてしまう。


「どうしたの!?だ、大丈夫?開けるよ?」


 覚えのない中性的な声、困惑が混じった無慈悲な宣告にもう頭の中が真っ白だった。とりあえず破けたことがバレぬようベッドの前に立ち塞がった。

 ドアが開いたのはそれと同時だった。

 男が姿を現す。

 蜘蛛のような相貌の男だった。青みかかった肌に執事服を纏い、天然パーマと見紛うオリーブの髪と丸眼鏡から覗く緑の瞳が真底心配そうに見つめてくる。

 おそらくここの偉い人なのだろう。


「だっ、だ、だいじょうぶっ……!な、なんでもないっ!」


 引き攣った笑みで手をぶんぶん振り、から笑いしながら応対する。冷や汗で頬に張り付くシーツの布片が気持ち悪かった。

 男は慌てる少女の形相に最初こそ驚いたものの、布片を見るや否や状況を察し、苦笑いを浮かべて「そっか」と呟いた。


「身体が大丈夫そうなら、少し話そうかなと思っていたんだけど」

「うんっ、はなそうっ……!」


「じゃあそこで待ってるね」とだけ言い残して男はドアの向こうに姿を消した。

 大きく長い安堵の息を吐いた。

 頬に張り付いていた気持ち悪い物が重力に従ってようやく剥がれる。

 あぶなかったぁ……もうすこしでわるいことをしちゃったのがばれ――。


「……ふえ…………??」


 シーツを破ったことがバレていたとこに気づいて目が点になったのは直後のことであった。


 廊下を案内されて訪れたのは、緑が広がる庭園だった。

 暗い色を明るく見立てている室内とは違って、正午の日差しに照られされている庭園は色とりどりの花々に飾られて白く明るい。

 振り返ると先ほどまで歩いていた屋敷不気味な面構えを見せる。暗いイメージを持つ屋敷とは不釣り合いに感じられた。それでいてちゃんと釣り合っているのだから、手入れする者のこだわりを感じざるを得ない。

 感嘆の息を漏らした。

 黄色に紅、藍色といった色とりどりの花々に囲まれて、甘い花の香りを胸いっぱいに吸い込む。


「まずは、自己紹介からかな。僕はララ、ララ・テーラー。この屋敷、ヘテロポダの主で……他にもいろんなことをやってる、とだけ言っておこうか」

「わ、わたしは――!わたし、は…………?」


 二人並んで庭園に築かれた低木の迷路を歩く。

 ララと名乗った男は気さくで、彼の会話の砕け具合が母親と話しているような気分にさせる。

 流れで自分のことを紹介しようと思ったが、自分に紹介できるようなものがないことに気づいた。あの場所でも、名前らしい名前で呼ばれたことがなかった。

 言葉に詰まってしまう。

 無意識に尖った耳の先端が垂れた。

 ララの不思議そうな視線に見守られる。

 ――どうしよう…………!


「っ!?」


 心臓が強く波打った。

 脳裏を過ぎるここへ来る前の男の顔、冷酷で残忍な、非人道的な仕打ち。処置済みの傷が疼いて、身体が震えそうになった。

 ……また、黒い何かが胸の中に沈む。


 ――やはり……この子も…………。

 中世的な相貌が悲痛に歪む。


「――名前がないのかな…………?」


 声を受けて現実に戻った。振り返ると、ララの表情は柔らかく優しくて、母親が我が子をあやす時のそれだった。

 少しむず痒くて、恥ずかしくて、無性に甘えたくなる。

 だから少し、甘えてしまった。


「うん、」

「そう……ありがとう」


 頭を撫でられた。

 なんでお礼を言われたのか、なんで頭を撫でられたのか。わからない。けど嬉しかった。

 桜色の頬をさらに赤くして、もっと撫で撫でを要求してしまう。

 耳の先端がピンと真っ直ぐに伸びた。

 黒い何かが小さくなったような、そんな気がした。


「僕がつけてもいいかな、名前」

「え……!?」


 思いがけない言葉に眼を丸くする。

 ララの蜘蛛のような緑の瞳が、優しさを持って真っ直ぐわたしの眼を、心を見つめてくる。

 暖かかった。あの時、あの場所で感じた視線と比べ物にならないくらい暖かくて、優しくて、嬉しい。

 だから頷いた。

 ――どんななまえになるんだろう……。たのしみ……!


「じゃあ少しついてきてもらえる?」

「うん!」


 また少し庭園の迷路を歩いて、ララは花壇に並んだ小さな花の前で足を止めた。

 花は黄色くて、中心から花弁が飛び出す形は星そのもので、小さな夜景のように感じる。


「君は魔法というものを知っているかい?」

「まほう…………?」


 蜘蛛のような相貌の男は、花壇に並んで黄色い花を愛おしそうに撫でた。呼応するように花は葉擦れを奏で、優しい香りを放つ。

 その姿を不思議そうに竜人の少女は見つめていた。

 迷路を進んでも景色は変わらず、黄色い花の他に紅や藍の花々に囲まれていた。心休まる匂いを胸いっぱいに満たしている時、ララは尋ねてきた。

 魔法の単語さえ初めて耳にした少女は首を傾げる。


「そう、誰もが心に秘めていて、願っていること。あるいは、自分を守るためのもの――それが魔法。まあ、これはあくまで僕個人の意見なんだけどね」


 そう言ってララは愛でていた花を摘んで茎と茎を円形に編み始める。

 花の冠になった。

 それを少女の赤い髪の上にそっと載せる。


「その花は人間の言葉で西洋茜、僕達女蜘蛛人アラクネにとって、特別な花」


 とくべつな……はな…………?

 冠に触れてみる。


「花言葉は色々あるけど、女蜘蛛人アラクネの言葉で『魔法のような出会い』、花の名前はエイラ――うん、これがいい」


 ララは暖かい母親の笑みを浮かべた。

 

「君はエイラだ」

「エイラ…………わたし、エイラ……!」


 歓喜極まってララに飛びつく。ララの身体は男にしては少し華奢で力加減を間違えてしまえば折れてしまいそうな身体だった。それでも人間離れした腕力で抱きしめずはいられなかった。それだけ嬉しかったのだ。

 すりすりと頬を擦り付ける。


「ララ、ありがとう!エイラ、うれしい!!」


 とんでもない力で抱きつかれていたララはこめかみに汗を滲ませていたが、それもすべてどうでもいいと思えた。

 この少女がどれだけ温もりを欲していて、どれだけか細い思いをしてきたのかがよく伝わってくるのだ。

 今のこの子の心は琴線のよう。

 首の皮一枚で繋がっている命綱が切れないよう、必死で助けを求めているのがひしひしと伝わってくる。

 この竜人の少女が愛おしい。

 おかしくもそう思えた。



「――ちょっと、ララ先生!」

 エイラによるベアハッグがひと段落し、庭園のベンチで休んでいた頃、甲高い怒号と共に現れたルーチェがずかずかと大股で寄ってきた。

 花冠を膝に乗せた赤い髪を撫でていたララは気づくなりバツが悪そうな顔を作る。


「いきなり走って行くからびっくりしたじゃないですか!ララ先生じゃなかったら今頃私の歌で鼓膜を破ってやろうかと思っていたところです!」

「おお、それはそれは……末恐ろしい」


 荷車を任せて先走ったことにかなり怒り心頭のようで、これでもかと眉根を寄せた顔を眼前に持ってきて、かと思ったら一歩引いた位置で腕を組む。

 僕がララでなければ一生耳が使えない人生になっていたと笑えない冗談に笑みを引き攣らせた。

 納品物という重荷がなくなったとはいえあの荷車をこの屋敷に引っ張ってくるのはかなりの重労働だ。それに今帰りという状況から察するに、本来の予定だった買い出しも済ませてくれたのだろう。

 任せっきりにしてしまった罪悪感と、なし得てくれたことへの感謝で満たされる。

 それを素直に伝えると、頬を赤らめて身体をくねらせた。


「――てッ、先生、その子は……!!?」

「ああ、ルーチェこの子は――」


 この子について説明しようとエイラに眼を向けかけた時、ルーチェが深く息を吸うのがわかった。


「――!」


 開きかけたルーチェの口を咄嗟に手で塞いで魔法を発動を妨害する。

 眼を見開くルーチェ。

 そのまま押し倒すように少女の身体を抑えた。人間とは思えない力で抵抗される。

 後ろでエイラが驚くのがわかった。

 ルーチェは塞がれた口でもごもごと抗議する。なんとか手を退けて訴えた。


「わかっているんですか先生!あれはっ……!あの子はっ――!!」


 黄色の瞳を見つめて無言で訴える。

 やめろ、やめてくれ……!その先はっ!


ですよ!?」

「――っ!?」


 その言葉は竜人である少女の存在を言外に否定しているもので、今のエイラにとっては理性を保っていた細い命綱を容易く切れてしまうものでもあった。




「――ハァっ…………ハァっ!?」


 心臓が強く波打った。

 耳鳴りがする。

 呼吸ができなかった。

 膝をつく。

 どぽどぽと重い音を立てて、仕切りに黒い何かが胸の中へ沈んでいく。澄み渡っていたはずの水が黒く濁っていき、水底で黒い塊が脈打って大きくなっていく。

 絶えず心臓が身体を叩く。

 胸部を強く握りしめてえずいた。

 身体の底が熱い、苦しい。

 全身に均等に分かれていたはずのエネルギーが身体の中心に集められ、凝縮されているような感覚に陥る。

 何も考えられない、考えたくない。


「エイラ、エイラ!大丈夫か、返事をしてくれ!?」

「何がどうなってるんです!?」


 丸くなった身体を摩るララが、金髪ショートの少女が何かを言っているが、耳鳴りのせいで何も聞こえない――聞きたくない。

 わたしは竜人なんだ。

 みんなからきらわれる竜人なんだ!

 いらないそんざいなんだ!

 心の底に沈んだ黒い塊が力を溜めて小さくなっていく。

 身体の底が、煮えたぎる溶岩のように熱い。


「――もうほっといてよ!!?」


 一瞬、身体が冷えた気がした。

 抗えない爆発に押されて身体が反り返る。

 凝縮して溜め込んだエネルギーが放出されるのがわかった。

 全身から力が抜けて、強い倦怠感に襲われた。

 不意に思い起こされるのは、あの狭い路地での出来事。

 ――そうだ、あのときも…………。

 薄れ行く意識の中で、側にいたララ達の姿が視界に映る。

 そしてその姿に、思わず目を丸くした。

 だってララは――!



「先生、ララ先生!?しっかりしてください!」


 竜人の少女が異常をきたし、魔法を発動させるまではそう長くなかった。

 少女を中心として放射状に深青の結晶クリスタルの弾丸が飛び出し、周囲にあるもの全てに被害をもたらした。屋敷の壁には穴が開き、硝子ガラスは割れ、庭園の草木はめちゃくちゃになった。

 最も酷い状態にあるのは少女のすぐ側にいたララだった。

 眼鏡のレンズはひび割れ、フレームは歪んでいる。

 全身に結晶の弾丸を浴び吹き飛んだ身体。切傷や貫通傷、側から見れば身体から結晶が生えているようにも見える。身体の至る所を青い鮮血で染めて、人間なら即死は免れない状態だった。

 銅のような血生臭さが漂う。

 両肩を抱え揺らすと呻きと共に薄目を開けた。


「良かったぁ……」


 ルーチェの黄色い瞳と緑色の瞳が絡み合う。

 しかしその瞳は竜人の少女へ向けられた。少し離れた場所で膝から崩れ、正座の姿勢で放心している。

 重症であるにも関わらず自分の身体へ鞭を打ち、立ち上がる。

 もちろんルーチェは止めようとした。


「――んなさい…………」

「え……?」


 か細い喉から搾り出された言葉に身体が震えた。

 青ざめた竜人の少女の唇が震える。


「ごめんなさい……!」

「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」


 狂気的に次々と紡ぎ出される謝罪の羅列に気圧され、寒気がした。

 今更ながらに気づく。あの子がどれだけ異質な存在なのかを。

 少女が何を恐れて何に怯えているのか。想像もつかないけれど、おそらく自分が想像し得ないものだと言うことだけは理解できた。

 そんな少女を前に、ララは歩を進める。

 一番の痛手であろう胸部を貫く結晶を気にしつつ、ふらふらと覚束ない足取りで歩いていく。

 青い血が滴り、ごろっと結晶が抜けて更に出血が加速する。


「……ララ、先生」


 私の声は彼に届いていない。

 彼は今、あの竜人の少女だけを見ている。

 少女も彼を見ていた。

 拒絶するように「ごめんなさい、ごめんなさい!」と謝罪の言葉を並べ、恐怖に染まった瞳を向けて脱力している。

 そして、少女が魔法を発動させる直前と同じ距離へ来た。

 竜人の少女の赤い瞳と、割れたレンズ越しに中性的相貌の蜘蛛のような瞳が交錯する。

 赤い小さな頭に青みかかった白い手が伸びる。

 ゆっくり伸びるその手に少女は強く目蓋を閉じた。


 次の瞬間、わたしは抱き寄せられていた。

 頬に冷たい、青い血液が染みた布が触れる。


「大丈夫、大丈夫だよ。心配しないで。ここにはエイラをいじめる者なんていないから」


 深青の結晶に心臓を貫かれているはずなのに、青い血を流しているはずなのに、蜘蛛のような瞳の男は暖かい母親のような眼差しで見下ろしてくる。

 胸が熱くなって、苦しくなって、暖かくなって、目から温かいものが溢れる。

 限界だった。

 ――どうして、どうして?わたしはわるいことをしたのに……。

 いらない子なのに……。

 どうして……どうして…………?


「うっ、ぅわあああああああああぁ!」


 わからないまま、理解できないまま、わたしは泣き出した。

 そんなわたしを、彼はいつまでも側で慰めてくれる。

 醜いわたしを、撫でてくれる。

 冷め切ったわたしを、暖めてくれる。

 胸の中に溜まった黒いものが溶けていく。


「わからなくていい、理解しなくたっていい。頑張ったんだから……」


 嗚咽が溢れる。

 声がしゃくり上げる。

 咳が出る。

 鼻水が出る。

 より強く、額を押し付ける。

 彼は撫でてくれる。

 暖かく包み込んでくれる。


 そして言ってくれた。


 ――もう、頑張らなくていいんだよ――


 と。



 長い間泣きじゃくった末、エイラは泣き疲れて眠ってしまった。

 ララの血塗れの青い膝の上で、青い血で真っ青に染めた寝顔を見せている。耳の先がピンと伸びていて、かわいらしい寝息も聞こえる。

 ララはそっと額を撫でた。

 沈みゆく夕日に照らされ、影絵として映る二人の影は子を寝かしつける母の姿そのものだった。


「それで、どうするのです、先生?」


 同情とも呆れとも恐怖とも言い難い声色で金髪ショートの少女は尋ねてくる。

 その視線は今も眠る竜人の少女へ向いていて、やはり非難がましいとも同情しているとも言えない瞳をしている。そしてそれはぼろぼろなララへも向けられた。


「どうするも何も――」


 一頻り竜人の少女の顔を見つめ、振り返った中性的相貌の男は笑みを浮かべる。


「――受け入れるよ、この竜人を」


 その顔は、我が子の誕生を祝う母親のようだった。

 ――男のくせに。

 不気味な屋敷ヘテロポダに見守られ、微風が吹いて西洋茜が葉擦れを奏でる。

 遠くからロキソスセルの鐘が響いてきた。

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