第2話 徐々に高まる恋愛感情

 話は、大学一年生の頃にさかのぼる。

 あれは、自分が文芸サークルに入部してからすくくらいのことだっただろうか。女性が気になって、それで入部したという、少し不純な動機での入部であったが、入ってみると、結構楽しかった。

 何しろ、何かを作り出すことが好きだったのだから、機関誌に自分の作品を載せるということがどれだけ楽しいかということを感じることができたのだ。

 人の作品を、まるで自分の作品であるかのように想像して見てみたが、人の作品でも自分のだと思うと、楽しいだろうということは伝わってくる。

 ただ、こんな思いをなぜこの時にできたのかということは不思議だった。

「自分の作品は自分のものであり。決して人の作品と比較などできるわけはない」

 と思っているにも関わらず、なぜそんな感覚になれるのか、普通なら理解できないはずだった。

 だから、それまでとそれからではそんな考えに至ることなどありえなかった。

 ただ、その時、夢を見ることができたから、文芸サークルに入ろうと思ったのだし、もしそうでなければ、大学の授業の中で、論文を書かなければならなくなった時、

「文章というのは、人から命令されて書くものなんだ」

 という意識が懲り固まってしまい、トラウマになってしまうかも知れない。

 そうなると、その後の人生はその時点でまったく変わってしまったと言っても、過言ではないだろう。

 文芸サークルに入ったのは、まだ暑くなる前で、雨が降り始める前だったので、五月くらいだっただろうか。

 そういえば、五月頭のゴールデンウイークがまだ頭の中に残っていた時期だったので、余計にそう感じる。

 高校時代までは、

「学校に行かなくてもいいんだ」

 という感覚だったのに、大学に入学すると、逆に、

「友達に会えないのは嫌だな」

 と真逆に感じるようになっていた。

 まだ、入学式から間もなかったので、新入生という意識が強かった時期でもあった。

 入部してから少ししての、一般教養の授業の時、ちょうど、テキストを忘れてきてしまっていた。その時、ちょうど横に女の子が座っていたので、思わず小声で、

「すみません。テキスト忘れてきたので、一緒に見せてくれませんか?」

 というと、その子はニッコリと笑って、

「いいですよ」

 と言って、すっと、机の上を滑らせるようにして見せてくれた。

「ありがとうございます」

 という苦笑いを浮かべると、彼女は急に噴き出したかのように笑い出した。

 もちろん、教授に聞こえないような静かな声だったので、誰の邪魔にはならなかったが、その声を聴いた時、まるで天使の笑みに見えたのだった。

 雰囲気は物静かそうで、顔の表情にはまだあどけなさが残っていて、

「俺にまで微笑んでくれるなんて、素敵な女性だ」

 と思ったのだ。

 それまで女性と付き合ったことはおろか、会話をすることすらたまにしかないのに、そんな笠原は、彼女のことを好きになっていることに気づいた。

 そう思った時、浮かんできたのが、サークルで気になっていた先輩の女性だった。

 先輩は、いつもニコニコ、ニコニコした表情しか思い浮かんだりしない。その顔に冷静な表情は思いつくことはなく、

「まるで笑いながら生まれてきたのではないかと思うほどだ」

 と感じたのだった。

 もちろん、笑いながら生まれてきたわけもないし、泣いたことが一度もないということもありえないだろう。

 だが、彼女の泣いた顔や怒った顔を見たことのある人は稀であろう。

「ひょっとすると、彼女は自分でも怒ったり泣いたりしている自分を想像できたことはないのかも知れない」

 と感じるほどだった。

 最初に一目惚れして入部までした先輩と、ジワジワとした自分の感情に気づいてきたその女の子に対しての自分。どっちも本当の自分であり、本当の自分ではないのかも知れない。

 テキストを見せてくれている女の子が気になって、講義をまともに聞くことができなかった。ただ、そのおかげというべきか、時間はあっという間だったので、講義の時間が苦痛ではなかった。

 眠くなったのも事実だった。ただでさえ五月晴れのポカポカ陽気、換気もしてあるので、いい風が吹いてくる。彼女の長い髪が風になびいているのを見ているだけで、さらに睡魔に襲われるのだった。何回か襲ってくる睡魔にギリギリ落ち込まずに済んだという感覚を繰り返しているうちに抗議が終わった。その時、まるで夢から覚めた感覚があったので、ひょっとすると、本当は眠っていたのかも知れない。

 その時は、まだ自分が彼女のことを好きになるとは思ってもいなかった。初めて好きになった女性が先輩だったので、自分はすぐに一目惚れするタイプだと思っていたのだ。

 ただ、それは、

「自分の手に届かないかもしれない」

 と感じる相手であり、先輩だという意識も強く、最初からあきらめていたのかも知れないと感じる先輩だったが、彼女には、

「すぐそばにいても、何も違和感がない。ひょっとすると自分のそばにいつもいるのは彼女かも知れない」

 と感じていたのだ。

 講義が終わってから、

「僕、法学部一年の笠原と言います。今日はありがとうございました」

 と言って自己紹介すると、彼女の方も、

「私は文学部一年の石松と言います。よろしくね」

 と言ってくれた。

 当時は今のようにケイタイやスマホなどというものがあるわけでもなく、メールやラインのIDが聴けるわけではないので、名前をいうだけだった、

 さらに、当時は、個人情報保護などという観点もなければ、ストーカーなどというものもなかったので、比較的オープンな時代だったとも言えよう。

 彼女が次の講義に移動する後ろ姿を見て、どちらかといえば、その幼児体型に、ドキッとしてしまった笠原は、先輩との違いが分かった気がした。

「先輩は、大人の魅力があるにも関わらず、活発な感じがするんだけど、石松さんは、幼さが残っていながら、落ち着いた佇まいを感じさせ、却って大人の魅力を感じる」

 と思っていたのだ。

 そんな石松さんの後ろ姿を目で追いながら、

「ひょっとして、好きになるってこういう感覚なのかな?」

 と感じ、先輩に対して抱いた思いが何だったのかを思うのだった。

 それはすぐに思い浮かんだ。

 先輩を最初に見た時、ドキッとしたのと同時に、身体が反応した。それは男としての反応で、生理的なものだった。

 中学時代の思春期の入り口で、特撮番組などのヒロインのお姉さんを見て、ドキドキしていたあの時の感覚を思い出した。

 実際に、あのお姉さんの存在がなければ、中学生になってまで、特撮ヒーローものの番組など見ることはないだろう。

 当時はまだ特撮ヒーローものが今に続くほどの長寿になろうとは思ってもいなかったので、自分が特撮ヒロインのお姉さんに憧れたのが、他の人にはない自分だけの異常性格なんだと思ったほどであった。

 だが、今まで続いていて、比較的中学高校生にも視聴者が多いということを聞くと、やはりあれは自分が異常性癖ではなく、皆そうだったのではないかと思った。

いや、異常性癖は異常性癖だったのだろうが、皆が皆異常だったというだけのことではないのだろうか。

 そんなことを考えていると、サークルの先輩に感じた感情は、

「特撮ヒロインのお姉さんに感じたのと同じ思いではないか?」

 と思うと、急に手が届かない世界にいる相手だということを意識してしまい、これを恋愛感情と結びつけるというのは、何かが違うと思うようになった。

 先輩に活発さを感じたのは、特撮ヒロインのあの活躍を見ているからだ。しかも、髪型がいかにも特撮ヒロインという感じであったのも、頷ける。

 ただ、特撮ヒロインの髪型は、時々ショートカットで、それほど活発な感じではないお姉さんもいて、そんなおねえさんにも異常性癖を感じるのだから、自分でも、どこが好きなのか分からなくなっていた。

 今回知り合った石松さんは、どの方向から見ても特撮ヒロインに感じるものは何もないので、自分が何を彼女に感じたのか、ハッキリと分からないでいた。

 実際に、誰か人と比べる何かがハッキリしていないことが、逆に魅力だったのかも知れない。何かにかぶせるかのように見てしまうことは、自分にないものを求めようとする、

「ないものねだり」

 なのかも知れない。

 それを思うと、自分にないものを人がたくさん持っているということに気づき、自虐的になってしまう。だから、自分にないものを持っている人に対して、敬意を表しているつもりで、自分も持っていると思いたいのだろう。

 だが、自分にもあるものを他の人が持っていても、何も感じないということが多かったりする。好きな人に対してなら特にそうかも知れない。だが、同じものを持っている人の方が話も合うだろうし、何よりも相手の気持ちがよく分かり、お互いに気を遣い合うことができる。

 しかも、その気の遣い方も、相手に知られることなくさりげなくできるとなると、親街に変な気を遣うことがない分、

「気遣いの応酬」

 なる、茶番を起こすことはない、

 昭和のおばさんのコントなどで、よく見かける無意味なレジ前での譲り合い。

「奥様、今日は私がお支払いいたしますわ」

「いいえ、奥様、今日こそはわたくしがお支払いさせていただきます」

 などという、会話を、レストランなどで食事をした後で、我先にと、自分が会計を払おうとする。

 後ろには他の客が待っているのに、お構いなしだ、つまりは、自分がレジを仕切ることで、今でいうマウントを取りたいだけなのだ。形は変わっても、

「マウントを取りたい」

 という気持ちに変わりはない。

 そんな会話を永遠としているのは、コントでしかないと言ってもいいだろう。

 同じ昭和でも、大学生にはそんなことはない。そんな大人たちの見苦しい、マウントの奪い合いを見たことがあるからなのか、それとも、コントで知っているからなのか分からないが、大学生が見ると、百パーセントに限りなく近い確率で、そんな、

気遣いの応酬」

 と見たくもないだろう。

 石松さんという女性との間に、そんな気遣いは存在しないだろうと覆った。もし、笠原がお金を払うとしても、石松さんなら、一度くらいは、

「自分の分は自分で」

 というかも知れないが、それは自分の考え方を示すという意味で、逆に必要なことであろう。

 だが、すぐに、

「じゃあ、次回は私が」

 と言って、その場を丸く収めてくれるに違いない。

 これが、笠原にとっての気の遣い方であり、寸分違わぬ態度を、石松さんであれば、してくれると思っているのだ。

 少しくらいは違っても、それは愛嬌として片づけられる。それが誤差の範囲と言えるものではないだろうか。

 誤差の範囲が愛嬌に変わるのだから、

「あばたもえくぼ」

 ということで、その感情が、好きだという感情なのではないかと気付いたのは、しばらくしてからだった。

 サークルの先輩には、完全に一目惚れだったのに、石松さんには一目惚れではなく、徐々に好きになって行ったという雰囲気が形成されていったのだ。

 時間が掛かるほど、そこまdの道のりが長かったのだと分かるのだが、自分の感情が恋愛感情だと自覚してから、知り合った時のことを思い出すと。

「まるで昨日のことのようだ」

 と思う。

 ということは、

「知り合った時から、本当は大好きだったんじゃないか?」

 と、気付いたのが今だというだけで、本当はずっと好きだったのだということに気づかなかっただけで、それだけ、好きだという感情の出発点を自分なりに探していたのかも知れない。

 それは見つからなかったわけではなく、分かっているのに、気付かなかった。それは、自分の顔を見るのに、鏡のような媒体がなければ見れないという、身近なものこそ距離を遠くに感じるという、そんな感じなのではないだろうか。

「断崖絶壁のところに吊り橋が掛かっている。そこをこわごわ歩いていると、今にも落ちそうで恐ろしいのだが、下を見ることもなく、まっすぐに前を見て歩いていけば、次第に怖さも薄れて、気が付いたら渡れるようになる」

 などという気休めを言っている人がいたが、実際にはそんなことはない。歩いているうちに恐怖がこみあげてきて、こみあげてきた恐怖は消えることはなく、徐々に増してくるものだ。

 それは、恐怖の根本である吊り橋を渡るという行為をやめない限り、無理なことである。それでも進もうとするのであれば、

「堕ちて死んでしまってもいいんだ」

 というだけの覚悟を持たなければいけないだろう。

 だが、そんな覚悟誰が持てるというのか、バラエティ番組などで、芸人さんは怖がりながらではあるが、キチンと演じている。もちろん、恐怖がないなどという人間はいないだろう。もっとも恐怖がなければ、その時点で人間ではないのだが。

「克服することが、強くなる秘訣だ」

 とでもいうのだろうか。

 笠原は、その頃から急に出てきた芸人へに無理強いを演出する番組構成。さらにそれを見て笑っている視聴者。何が楽しいというのだろう。

「日本人って、集団でサディストなのか?」

 と思うほどである。

 それとも、何か仕掛けがあって、絶対に大丈夫なようになっているいわゆる「やらせ」というものなのだろうか?

 そんなことを考えていると、やらせであったとしても、それはそれで大きな問題。逆にやらせなしであれば、今でいうパワハラの象徴のようなものではないだろうか。

 まさか、番組内で、

「スタッフの指示により、命に危険が迫ったり、実際に命を落としたとしても、決して訴えたり、恨んだりしません」

 などという誓約書にサインでもさせられているというのか。

 今の時代のように、これだけコンプライアンスを叫ばれている中で、このような堂々としたハラスメントが行われているなど、考えただけでも恐ろしい。

 しかも、もしこれがやらせであれば、これも大きな問題だ。

「放送倫理を著しく妨げた」

 というべき内容では、完全な放送事故である。

 それなのに、バラエティなどで行われる罰ゲームや無理強いは、どうしてなくならないのか? と思うのは、決して笠原だけではあるまい。

 そんなことを考えていると、ちょうど、石松さんと、また授業で一緒になった。

「この間はどうも」

 と声を掛けると、

「今日はテキスト忘れていませんか?」

 と皮肉を言われたと思ったので、

「いいえ、大丈夫。持ってきていますよ」

 というと、

「なあんだ。私がまた見せてあげようと思ったのに」

 と、言って、ニッコリ笑った。

 明らかに彼女のあざとさに感じられたが、会話があったのはそこまでで、また彼女は黙り込んでしまった。すぐに授業が始まったので、授業の間。

「授業が終わったら、今回は絶対に食事にでも誘おう」

 と思ったのだ。

 そんなことを考えていたので、授業の終わるまで、なかなか時間が過ぎてくれない。九十分の授業で、最初の五十分くらいは、倍くらいの遅さに感じ、そこから十分前までは普段と変わらない時間、そして最後の十分はあっという間だった。

 それを思うと、

「さっき考えていた、つり橋の上での時間配分も、今感じtくらいの配分で分ければ、何とかなったかも知れない」

 と感じた。

 ただ、それには最初の五十分の間に、なるべく恐怖を増幅させないというのが、最低限の条件であった。つまりは、ラストの四十分が町歩で、最後の十分にまで差し掛かることができれば、後は走ってでも、ゴールを目指せばいいという考えであった。

「考えていることって、意外と繋がっているものなんだな」

 と感じたが、そんなことを考えるのも、大学生だという証拠なのかも知れない。

 まだ大学の一年生も始まったばかり、最初の五十分の中のまだ、十分くらいのところなのだろう。

 そんなことを考えながら、彼女に、

「もし、お時間があれば、昼食、ご一緒しませんか?」

 と誘ってみた。

 もちろんダメ元の覚悟を決めてであったが、彼女の方も、

「ええ、いいですわ。私もちょうど、お昼に行こうと思っていましたからね」

 というではないか。

 誘っておいて、実はどこに行くかなどというあてはなかった。ただ、今の時間であれば、どこでも多いと思われるので、大学の近くの喫茶店が密集している中でも、少し遠めにあるところを考えていたが、いざ、彼女が了解してくれたことで、意外と自分の知り合いが行く店にわざと行ってみるのも楽しいのではないかと思えた。

「皆に、見せびらかしてやりたい」

 という気持ちがむくむくと頭をもたげてきたのだ。

 あれだけ断られた時、ショックを感じないような覚悟を持っておこうと思っていたにも関わらず、いざ一緒に行ってくれるとなると、せっかくなので、いい気分に浸りたいと思ったのだ。

 今までであれば、

「ここで見せびらかしても、いずれ別れることになったら、今日のことが格好悪く感じられるのではないか?」

 と感じられ、引っ込み思案な性格が表に出てくるはずなのに、そうではないということは、彼女であれば、付き合うことになっても、いいように思えたのだ。

「いや、初めから付き合うということを前提にしなくても、ゆっくり仲良くなっていけばいいんだ。彼女のことだって、徐々に好きになってきたんじゃないか」

 と考えるようになったのだ。

 この日、誘ったお店は、意外と大学生には知られていないようだ。喫茶店のまわりには、ツタが絡まっていて、駐車場もそれほど広くなく、看板も申し訳程度にできているので、正直誰も喫茶店だとは思わないだろう。

 今の時代であれば、美容院などであれば、オシャレな店として評判になるかも知れないが、何しろネットもなく、当時はまだ地元の情報誌すらなかった時代である。大学生の口利きでもない限り、常連さんだけで成り立っている店と言ってもいいだろう。

 この店は、一種のクラシック喫茶であった。

 黒と白のモノトーンを基調とし、まるで、ピアノの白黒鍵盤を思わせた。

 洋楽が好きな人なら大抵は知っているであろう、白黒鍵盤を模した曲が、そのままこの店の名前になっていた。

「エボニー&アイボリー」

 メジャーアーティストによるデュオ曲である。

「なかなか渋い店を知っているだろう?」

 とでも言いたげな、どや顔をしていたかも知れないが、彼女はそのこと触れなかった。

 店に入ると、

「いらっしゃい」

 と言ってマスターが迎えてくれたが、マスターとは、自分が常連になってからの馴染みであった。

 笠原がこの店の常連になったのは、結構早い時期からだった。まだ入学式が済んでから数日くらいしか経っていない時、大学の図書館で少し本を読んだ後お腹が減ったので、どこかに寄ろうと店を物色している時に見つけたのだ。

 夕方の日が暮れかけいる頃だったので、却って、看板に明かりが灯ったことで、ここが喫茶店であると認識したのだが、昼間なら絶対に気づくことはなかっただろうと思うと、運命のようなものを感じたのだ。

 カウンターに座ると、サイフォンで入れるコーヒーの匂いが香ばしさを感じさせた。そもそも、高校三年生になるまでコーヒーは飲めなかったのだが、受験勉強中に眠気覚ましに飲んでみると、思ったよりもおいしかったのと、想像以上の香ばしさに、一時期病みつきになった。

 コーヒーというのは、カフェインが入っているので、覚醒効果があるようで、眠気覚ましにはいいという。

 さすがに、当時爆発的に売れ始めたスタミナドリンクを飲む気にはなれなかったので、コーヒーで十分だったのだ。運命を感じて入ったお店で、コーヒーの香りが香ばしさを運んでくると、常連にもなろうかというものだ。

 しかも、小学生の頃からクラシックは好きだった。ここも店を気に入った理由だったのだが、店の客が常連ばかりだというのも笠原を行き着ける理由だった。大学生になったら、常連になれる店をたくさん作りたいというのが、笠原の目標でもあったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る