第40話「若草の少女」



 休日なので昼過ぎまでぐっすり寝ていようと思ったら、八時くらいに電話がかかってきて起こされてしまった。


『おはよーさん、アンジュ』

「……ん、なに?」

『聞いたぞ、何か大変だったんだって?』


 携帯端末の向こうから聞こえてくるビアンカの声に、寝起きのアンジュはローテンションで答える。


「んー、まあ、ちょっとね……でもすっごい敵と戦えたし、結果オーライって感じよ」

『ふぅん。ま、お前が無事ならいいさ』

「ん…………、というかなんで知ってんのよ?」


 カレンの誘拐事件が起きたのは昨日の配信のすぐ後。アンジュが目覚め、ローラと一緒に助けに行ったのがおよそ三時間後だ。半日も経っていないのに、ビアンカはいったいどこから情報を仕入れたというのか。


『とある筋から、な』

「なにそれ」

『色々あんだよ、色々。……いや別に法は犯してないからな』

「別にそこは心配してないけど……」


 ビアンカは言葉遣いが荒いしクラスメイトへの接し方もやや雑なところがあるので誤解されがちなのだが、どうやら彼女の母親が法の守り手……治安維持系のお仕事をしているらしく、アンジュよりもずっと規範意識は高い。


「……ローラに後処理任せたのは間違いだったかしら?」

『いや? むしろそれが最善だろ。隠蔽工作、政治的配慮はお貴族様に任せるのが一番さ』

「それは……まあ、そうね。……ローラがきちんとしていたなら、なんでビアンカが知っているのか余計にわかんないんだけど」

『たまたま伝手があっただけだよ、気にすんな』


 ビアンカは雑に言って流した。恐らく追求しても、のらりくらりと躱されてしまうだろう。


『と、そうだ。お前に伝言があるんだった』

「伝言?」

『ヴェルディエ後輩から』


 彼女の言う後輩とは、ナディアのことだ。ナディア・ヴェルディエ。そういえば二人はどっちも名字呼びだったわね、と益体もなく考えた。


「ナディアから?」

『おう。――、だとさ』

「……、そう」


 意味を理解し、アンジュは目を閉じる。瞼の裏に浮かぶ顔。ふわふわの若草色の髪を思い描き、アンジュはそっと息を吐いた。


「……ありがと、ビアンカ。――ごめん、用事ができたから、切るわね」

『ん? おう。……ああ、アンジュ。後輩ちゃんによろしく言っといてくれ』

「――、ええ。わかったわ」


   ◆ ◆ ◆


 ナディアが指定した「いつもの場所」というのは、彼女と何度も一緒の時間を過ごしたあの花畑のことだろう。


 休日の学園は、部活動に励んだり研究室に通ったりする生徒で溢れているため、制服を着て入れば警備員に止められることはない。

 高等部の校舎の裏、不思議な色の森に入り、花畑を目指す。


 と――純白の花々の中心で、一人の少女が立っていた。


「ナディア」


 声をかけると、後輩の少女は若草色の髪を翻す。


「先輩。来てくれたんですね」

「ん、まあね」


 短く挨拶を交わして、沈黙が降りた。見つめ合ったまま、どちらも口を開かない。

 さあっ……と風が花々を撫でる。ナディアのふわふわ髪が揺れ、アンジュの銀のツインテールが靡いた。

 しばらくの後、切り出したのはアンジュだった。


「どうしてカレンを浚ったの?」


 直球の質問に、ナディアは曖昧な笑みを浮かべた。


 ――六度目の配信の後に食べたお菓子。睡眠薬入りのそれは、ナディアから貰ったものだ。「必ず、勇者候補さんと一緒に食べてくださいね」という言葉まで添えられて。

 そして、『賢者の逆さ塔』のボス部屋でそれを食べ、強烈な睡魔に襲われ、意識を失う寸前。聞こえてきた会話は、パトリックと――ナディアのものだった。


 どうしてナディアがパトリックに協力していたのか。

 脳内で渦巻く疑問のまま、アンジュは問いかける。


「あのロリコンクソ野郎に脅されていたの? もしかして家族を人質に取られたとか? 相談してくれれば、あたしはなんとしてでもナディアを助けて――」

「いえ、違いますよ、先輩」


 ふわりと笑って、後輩の少女は否定する。


「わたしはわたしの目的のために、勇者候補の誘拐に協力しました。睡眠薬を用意したのも、『子羊のけっしょう』をに渡したのも、全てわたしの意志です」

「なでぃ、あ……」


 そんな、まさか。

 言葉が出ず、アンジュは異常に渇いた喉を鳴らした。

 ナディアは一転して微笑みを消し、真剣な表情で口を開く。


「――先輩、勇者候補には関わらないでください。あの人と一緒にいると、嫌な人たちに目を付けられてしまいます」


 いつか、ローラに上から目線で言われ、そして目の前の少女にも願われたこと。

 ――勇者パーティーを抜けろ、カレンと関わるな。

 未だに彼女たちがなにを思ってそれを要求するのかわからないが――アンジュの答えは決まっている。


「誰と関わるかはあたし自身が決めるわ」


 はっきり言うと、ナディアはくしゃりと顔を歪めた。


「お願いします、先輩。てん教団は本当に厄介なんです」


 ナディアがどうして必死にそれを願うのか。

 天華教団が厄介だから、どうというのか。アンジュを心配している? 少女の言葉と様子から、きっとそれが一番の理由だと推測できる。

 それでもアンジュの答えは変わらない。


「ハッ。あたしの魔術があればどうってことないわ。むしろ、あたしの魔術の実験台として――腕を高める相手としてありがたいわね」

「そう、ですか……」


 ナディアは様々な思いを呑み込むようにそう言って、俯いてしまった。

 再びの沈黙。

 ややあって、ナディアは顔を上げる。


「……先輩の意志はわかりました。きっと、わたしの言葉などではそれを変えることはできないでしょう。だってそれが、先輩の強さですから」

「……、ナディア――」

「ですので、先輩。最後に一つ――いえ、二つ。伝えたいことがあります」


 困ったように眉を八の字に曲げながら、ナディアは告げる。


にとって、勇者とその仲間は積極的な排除対象です」

「……、」

「上層部……特に命令権を持つ高位司祭は、勇者パーティーを殺害対象としています。ですので、先輩が勇者パーティーのメンバーで居続け、勇者候補と関係を持ち続けるのであれば、敵意を持つ存在に気をつけてください。……お金に困った探索者が、事故を装って仕掛けてくる、なんてこともあるかもしれませんね。先輩は配信の影響で広く知られていますし」

「……ふんっ。そんな卑劣な奴らにあたしとカレンが負けるわけないわ」


 鼻を鳴らして言えば、ナディアは「ふふっ」と小さく笑みをこぼした。

 それから後輩の少女は、一歩、後ろに下がる。

 ふわり、と。いつもの微笑みを浮かべ、



「――先輩。大好きです。ずっと、愛しています」



 瞬間、――ぶわっ! と勢いよく花弁が宙を舞った。

 突風が巻き起こり、白い花弁がカーテンとなってアンジュの視界を遮る。


「ッ、ナディア!」


 肌に感じる柔らかな魔力。この突風は、ナディアの風魔法――。


 やがて人為的な風は止み、花びらが雪のように降り注ぐ。

 後輩の少女の姿は、すでにそこにはなかった。

 一人取り残された魔術師は、ぐっと奥歯を噛みしめる。


「……言い逃げしてんじゃないわよ、馬鹿……!」


 一方的に思いを告げて。

 ナディア・ヴェルディエという少女は、この時を最後に、姿を消した。


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