第37話「VSルーラー」



 ――八年前、勇者候補として覚醒したカレンは、パトリックの喚び出した「切り札」によって瀕死に追い込まれた。


 は、白い異形だった。

 簡単に言葉で表わすなら――「馬に乗った白い騎士」だろうか。

 頭に冠を乗せ、手に弓を持った騎士。


 と、カレンは戦ったことがあった。

 前世――フィオナと名乗っていた頃のことだ。

 侵略者の用いる、通称「四騎士」。そのうち、一番目に数えられた化け物――それが「ルーラー」。


 そしては、今、カレンの目の前にいた。

「子羊のけっしょう」などという薬を服用したパトリックの体を苗床に、産まれたのだ。


「星の敵で、勇者の敵……」


 カレンの言葉を復唱するアンジュ。

 ローラが眉をひそめて呟く。


「なぜあのようなものが……。いえ、てん教団が星外のものを『天恵』と呼び崇めていることは知っているけれど、――まさか、アレが『天恵』?」


 ローラの言う「アレ」が目の前の怪物のことを指しているのか、パトリックを怪物に変えた薬のことを指すのか。

 答えはカレンにもわからない。

 わかるのは――状況は格段に悪くなった、ということだけ。


「……仕組みも理論もわかんなかったけど……パトリックは人じゃなくなった、って認識で良いの?」


 白い化け物を見上げながらのアンジュの言葉に、カレンは頷いて肯定した。

 アレが数秒前までパトリックだったとわかるものは欠片も残っていない。肉体は完全に異形の怪物に取って代わり、魂すらも変貌の材料にされたことだろう。


「ちなみにアレ、元に戻せたりする?」


 いちおう訊いてみるけど、といった調子でのアンジュの問いに、カレンは首を横に振る。


「無理。……戻せないからこそ、凶悪な生物兵器だったんだし」

「ふぅん? 生物兵器、ね……。元の肉体情報が残っていれば……いや、あんなのもう時戻しでもしないと無理かしら。準備もなしにできるものじゃないわね」

「そもそも元に戻すだなんて悠長なことを言っていられる状況ではなさそうだけれど」


 ローラの言葉と同時、今まで不自然に沈黙を保っていた化け物――ルーラーが動きを見せる。

 真っ白な馬に乗った騎士は、弓を持つ手とは反対の手を頭上に掲げ――「オォ――ッ!!」と鬨の声を上げた。


 にちゃり顔のロリコン男が発していた声とは違う、中性的で、年齢の特定ができない奇妙な声がビリビリと部屋に反響する。

 その声にカレンは、ダンジョンである種のモンスターが増援を呼ぶ時の遠吠えハウルを思い浮かべた。


「ッ、何かはわかんないけど――妨害した方が良い気がするわッ」


 叫び、アンジュが人差し指をルーラーに突き付ける。「〝撃ち貫け〟!」の呪文をトリガーに、彼女が頻繁に用いる闇色の槍を発射する魔術が起動。

 魔術の槍はルーラーの顔を目指して飛翔し――しかし着弾する直前、ルーラーが高く上げていた手を振り下ろし、槍を叩き落とした。


「ちッ」

「〝ホワイトライトニング〟!」


 ローラの電撃魔法に合わせるように、カレンもやつの口内を狙ってナイフを投擲する。

 ――が、しかし。


「なっ……結界……?」

「アレは……ッ!」


 結論だけ言えば、二人の攻撃は通用しなかった。

 アンジュの時と違って、ルーラーは防ぐ素振りすら見せなかった。

 だが、攻撃が肌に触れる寸前、血色の防御膜シールドが突如出現し、純白の雷撃もナイフも弾き飛ばしてしまったのだ。


 既視感。

 ――その正体は、『あかていの檻』での強制転移、その先で待ち受けていた真紅の蜘蛛型機械兵との戦闘時の光景。


(概念防御……。あの時と同じなら、アンジュの魔術だけは通るんだろうけど……どうして――?)


「まずいわ。床の魔法陣が……!」


 ローラの声に反射的に視線を落とすと、床の魔法陣――パトリックが仕掛けた罠が起動していた。いや、ただ起動していたのではない。赤、青、黄、緑――全ての色の線が発光していた。


「なにが――」


 カレンの困惑の呟きに、答えたのはアンジュ。すでにパトリックの術を読み切っていた魔術師の少女は、その異色の目をわずかに細めながら素早く説明する。


「たぶんパトリックの最終手段よ。完全起動は総召喚――つまりこの工房アトリエにいるパトリックの使役魔獣を全て喚び出すってこと」

「……っ!」


 ルーラーに変貌する直前、パトリックは己が使役する全ての魔獣を呼び出し、総力戦を仕掛けようとしていた。怪物に成り果ててもなおその意志が残っていたのか――あるいはルーラーが元の肉体と吸収した魂から情報を読み取り、有効な手段として利用したのか。

 真実はわからない。

 だが、魔法陣は確かに起動し、魔獣たちが次々に部屋に現われ始める。


「アンジュ。あなた、やろうと思えば召喚を妨害できたのではなくて?」


 ローラのわずかに責めるようなニュアンスの言葉に、しかしアンジュは険しい顔で答える。


「…………、できたわよ。いや、できるはずだった。パトリックが人のままだったらできた……んだけど、今は、押し切られた」

「……押し切られたって、あなたの魔力量で? 馬鹿みたいな出力で放出できるあなたが?」

「いちいちムカつく言い方ね……でも、そうよ。ショートさせようと横から魔力を流したら、向こうの圧力が強すぎて押し返された」


 舌打ちを一つ。苛立ちと、悔しさと――勘違いかもしれないが、わずかな喜色。

 ふふっ、と不敵に微笑んで、アンジュは口の端を吊り上げた。


「良いわね――良いじゃない。逆境こそがあたしの魔導を高めるのよっ!」

「お馬鹿なこと言ってないで構えなさいお馬鹿さん! 来るわよッ」


 ローラの警告に、カレンも聖剣を構え直す。

 魔法陣から現われた魔獣たちは、召喚主の変わり果てた姿に一瞬だけ困惑の表情を見せたが――あるいはパトリックを認識すらできず、ただ単にこの場で最も恐ろしい存在に背を押されたのか――、本能的に敵愾心を向ける相手である人間に牙を剥いた。

 天馬ペガサスが青白い雷光を纏って空を駆け、魚の鱗を持つ鰐グランガチが敵を噛み砕かんと大口を開け、月を呑む狼ハティが獣の俊足で襲いかかる。


「っ――ァアッ!」


 主人マスターを失った使役獣は、積極的な殺処分の対象。哀れみの感情を呑み込んで、カレンは聖剣を振るった。


 ローラが魔法で薙ぎ払い、カレンが聖剣で斬り飛ばし、アンジュが魔術で虐殺する。

 ローラが「退路の確保」を理由にミュリエルをこの場から遠ざけたのは英断だった。彼女は戦いが得意ではないという。パトリックの背後を取ったときの暗殺者染みた動きが彼女の戦闘スタイルだというなら、このような対多数戦闘では活躍の機会は少ないだろうし。


 術士キャスターは対多数の戦闘において凄まじい戦闘力を発揮する。アンジュとローラは、爆炎で焼き、電撃を連鎖させ、空気の刃で切り刻む。どちらも史上稀に見るレベルで優秀な術士だ。歴代の勇者パーティーのメンバーにも劣らないほどに。


「っ」


 一方で、カレンはどうだ。

 聖剣に記録されたものを読み解くことで『勇者の七十八技能』を引き継ぐことができたが、しかし完全再現には到っていない。そもそも聖剣抜刀もできていない。以前、ローラに言われたことだが――カレンは勇者パーティーという由緒正しき英傑たちの先頭に立つ実力がない。


 それでもなんとか食らいつき、聖剣を振るう。せめて自分の身は自分で守れるくらいには戦えると、示さなければ――。

 いや。

 その程度の意志で、気持ちで、ぬるい自分のままで良いわけがない。


「――ッ、〝跳ね返せ〟!」


 と、アンジュの呪文。透明度の高い橙色の幕が三人を包むように展開される。

 直後、ズドンッ!! という凄まじい衝撃が部屋全体を揺らした。

 衝撃の発生場所は、アンジュが展開した防御幕シールド。ヒビ割れ、穴が空いている。――攻撃により破られたのだ。

 その攻撃の主は、馬の上で弓を構える騎士。魔力で作っているのか、血色の矢の輪郭がわずかに揺らめく。


「ちょっ? 跳ね返せなかったっていうか、押し負けたんだけど!?」


 アンジュの驚愕の声を聞いて、カレンは顔が引き攣るのを自覚する。

 ――この魔術は、以前にも見たことがある。真紅の蜘蛛型機械兵のビームを反射した魔術だ。威力を十倍にして返す、などと配信で自慢げに語っていたが……。

 あのアンジュの魔術が破られた――という事実は、カレンに強い衝撃を与えた。


「第二射、来るわよ!」

「あんたも手伝いなさいよローラ!」

「私は魔獣どもの相手で手一杯よ! アンジュ、あなたに大物の相手をする権利をあげるわ。主人の心遣いに感謝なさい!」

「手に負えないだけでしょ、当代最強が聞いて呆れるわね――〝二重に守れ〟!」


 言い合いの間にも二人の術士は異能の技マジックを駆使して魔獣を屠り、ルーラーの攻撃に対処する。

 アンジュが発動した魔術は、呪文のとおり、防御膜シールドを二枚張るものだった。


「一枚で無理なら二枚ってね!」

「思考回路が単純に過ぎるわ」


 ローラは呆れていたが、しっかりと効果はあった。一枚目は穿たれてしまったが、二枚目の膜はルーラーの放った魔力の矢を受け止めることに成功する。

 ルーラーの攻撃を凌いだアンジュは、一つ頷いた後、カレンとローラに視線を向けて口を開く。


「ローラの指示は関係ないけど……あたしが大物――ルーラーだっけ? あいつの相手をするわ。カレンとローラは、魔獣どもをお願い」

「う、うん……了解」

「ええ、頼まれてあげるわ。しっかりやるのよ、アンジュ」

「いちいちうっさいな……カレン、邪魔だったらそこの金髪お貴族様にビンタでもなんでもして黙らせて良いからね」


 そんなことを言いながら、アンジュの視線には信頼が乗っていた。二人は幼馴染みで、だからこそ互いの実力に信を置いているのだろう――と、カレンにも感じ取れた。


 うらやましいな、なんて少しだけ思って。

 自分にはまだアンジュに信頼されるような実力がないのだと、言外に示されたような気がして。



「――カレン。背中は任せたからね」



 と――。

 ふっと笑ってかけられた声に、カレンは。

 じわりと湧き出したものが溢れないよう必死に抑え込んで、笑い返した。


「うん、任された」


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