第34話「至高に灼かれたもの」



 監禁部屋を(鍵のかかった扉をぶった斬るという強引な手法で)抜け出したカレンは、アンジュの監視をしていた影の少女――名を聞いたところ「の名前はミュリエル」と答えてくれた――の先導で出口を目指した。


 隠密行動を意識していたが、どういうわけか全くひとがなく、また警備ドローンの類いや召喚生物も見かけない。

 不気味なほど静かな白い廊下を忍び足で進みつつ、カレンは思考する。


(……階段を上がった回数は二回。ミュリエルはこれで出口に向かっているって言ってたけど……まさか、私が寝ていた部屋は地下? 窓を一切見かけないからわからないな……)


「ん、ここも上がる」


 囁くように情報伝達を行い、ミュリエルが階段をさささっと駆け上がる。足音を気にせず普通に階段を上がるよりもスピードがあるのに、全く音が立たない。さすがメイザースの「影」といったところか。


 協力者の妙技に内心で感嘆しつつ、カレンも探索者として――ついでに前世の経験、聖剣によって引き継いだ過去の勇者の絶技『勇者の七十八技能』のおかげで――習得した技術を駆使して、静かに階段を上る。


 待っていたミュリエルが素早く周囲を確認した後、迷わず右へ進路を取った。


「……本当にあってるの?」


 三度目の上昇を経て、じわじわと湧いてきた不信感からの問いに、ミュリエルは気分を害した様子もなく淡々と答える。


「ここは、魔法工房アトリエ。侵入者対策のために、迷路みたいに道が複雑になってる」

魔法工房アトリエ……なるほど」

「しかも魔法か遺物かの影響で、空間がぐっちゃぐちゃになってる。さっきも階段を上ったけど、実際には下の階に進んでる。廊下、階段、部屋がそれぞれ継ぎ接ぎに繋がってる感じ」


 魔法使いの研究室、すなわち魔法工房にはその魔法使いの努力の成果があり、それを他の人間に持って行かれないよう、工房の主は侵入者対策の機構をいくつも用意しているのだ。ここの仕掛けは、内部に足を踏み入れた人間を逃さないことで、研究成果を持ち出されないようにしているのだろうか――。

 そんな推測をしつつ、カレンは工房の主について言及する。


「この工房の主って、アンジュを上回る魔術師ってやつかな?」

「?」


 カレンが口にしたのは、『あかていの檻』での強制転移を起こした存在のこと。飛ばされた先の部屋で「星外の脅威」――てん教団の言う「天恵」によく似た機械兵が待ち受けていた。これと繋げて考えるに、天華教団信徒であるパトリックとその魔術師が協力関係にあり、カレンの誘拐を企てたのではないか――そして今いるここはその魔術師の工房アトリエなのではないか、と。


 首を傾げたミュリエルにそのことを簡単に説明すると、影の少女は少しだけ考えるように俯いた後、ゆるゆると首を振った。


「アンジュ・スターリーを上回る存在っていうのが、みゅーとしてはちょっと考えつかない……けど、それが実在する人物なのかはともかく、工房アトリエの主は別のやつ」

「別の……?」

「ん。あ、普通の魔法工房アトリエとはちょっと違うかも?」


 なにやら首を捻って、うんうんと数秒間唸ってからミュリエルは言葉を出した。


「え、っと……ここは使、の方が意味が近いかも」

「魔獣使い……パトリックの工房、ってことか……」


 最初に見たときは召喚術士サモナーかと思ったが、アンジュが言うにはパトリックは使役術士テイマーらしい。「ノーヴェガルダ」と呼ばれた魔鳥、そして「オットハティ」という狼を連れたトレンチコートのロリコンの姿を脳裏に浮かべ、カレンは顔をしかめる。


 あの変態の工房の中だから、不快なにおいを感じたのか――などと考えつつ、カレンは尋ねる。


「……魔法か遺物かで道が超複雑になっているんだよね? 本当に出口まで辿り着けるの?」


 口にしてから、だいぶ失礼なことを言ってしまった――とカレンは反省するが、しかしミュリエルは気にした様子もなく、ただ一言だけ、


「ん、信じて」

「……、」


 ミュリエルが信用するに足るか判断する材料は、彼女がローラ・メイザースの配下であり、アンジュの監視であったことだけ。それも自己申告でしかないのだから、本当かどうか証明することはできていない。

 ……そもそもローラがアンジュに監視を付けた理由(アンジュが変なことをしないかの見張り、あるいは勇者パーティーの動向を知るため?)もカレンの推測でしかない。これがもし悪意を持ってのことであれば、信用などできようもない――。


(……いや、たぶん違うかな……)


 直感でしかないが――ローラがアンジュを見る目は、飛び出る言葉に反してどこか優しかった。カレンにはローラが、幼馴染みを気にかける不器用な少女に見えた。貴族的態度と思考はアラヤ王国のお姫様であったカレンには見慣れているので、仮面の下の本音を覗けてしまったのだ。


「……、」


 それを判断材料に使うことはややリスキーかもしれないが――カレンは自分の感性を信じることにする。ミュリエル自身からも悪意は感じられないのだし、とついでに付け足しておく。


 と。


「ん。……ん?」


 奇妙な声を漏らして、先を行くミュリエルが足を止めた。白い廊下には不釣り合いな鉄色の扉の前。カレンは横に並び、影の少女に視線を向ける。


「どうしたの?」

「ん……その、」


 ミュリエルは言いにくそうに言葉を濁す。その視線は前方、鉄の扉に向いている。

 ――いや、とカレンは遅れて気付く。ミュリエルの右目に浮かぶ魔法陣に。


 自身の知識をフル活用するが、辛うじて読み解けたのはそれが「千里眼」の要素を含んだものということだけ。アンジュであれば完璧に解読できたかもしれないが、カレンの知識量ではこんなものだ。


 あるいは魔眼、のようなものだろうか。

 状況とミュリエルの様子からして、魔法を使って扉の先を覗いているのかもしれない。

 ややあって、魔法陣を消したミュリエルがぼそぼそとした感じで言う。


「……この先、門番がいるっぽい」

「門番?」

「ん」


 ミュリエルは小さく頷いて、


「来たときは、いなかった。たぶん、この工房アトリエの主が、置いていったんだと思う」

「……、」

「もうすぐ出口なんだけど……」


 付け足すようにこぼされた言葉に、カレンはなるほど、と思う。


(工房の仕掛けが中の人間を逃がさないためのものなら、出入り口の前には最強のトラップを仕掛ける。当然と言えば当然、か)


「……よし」


 小さく気合いを入れて、聖剣を握る手に力を込める。

 ここを突破すれば、出口はすぐ……その言葉を信じ、カレンは扉に手をかける。

 するとミュリエルは、どこか慌てたように早口で、


「あっ、あっ、その、みゅーはあんまり強くなくて……だから、」

「ん? あはは、大丈夫だよ、私が守るから。だって私は――勇者だから」


 慣れ親しんだ呪文を口にして。


「行くよ――」


 一際重厚な扉を開き、二人で部屋の中へ足を踏み入れる。

 薄暗く、窓のない部屋。広さは、体育館くらいはあろうか。ただし床に引かれた色とりどりの線はバスケのコートではなく何らかの魔法陣だが。


 ゴォン……と扉の閉まる音が部屋に響き、それに反応してか部屋の中央でナニカがもぞりと動いた。


「……ッ」


 部屋の中央に、一体の獣が鎮座していた。

 鷲のような上体と翼、しかし獅子のような後ろ足。合成獣キメラという単語がカレンの頭に浮かぶが、それよりも相応しい名があった。


「――そいつは、グリフォン」


 その声はカレンでもミュリエルでもない、男の声。

 反射的に顔をしかめたカレンが声の方に視線を向ければ――ベージュのトレンチコートを着た男が、反対側の扉から現われる姿が目に入った。やつはゆっくりと鷲獅子グリフォンに近づいていく。


「パトリック……ッ」

「おはよう、我が至高マイ・ビーナス。できれば部屋で待っていてほしかったのだがね」


 気色悪い言い回しにカレンは更なる不快感を覚え、聖剣の切っ先をパトリックへ向ける。


「どうして私をこんなところに連れてきたの?」


 殺意を滲ませながら問いかければ、誘拐犯はにちゃりと笑った。気色悪い。


「キミを至高の芸術にするためだ」


 ――いや。


「そのために――」


 本当にこの男が気持ち悪いのは、これからだった。



「キミに、女の子を産んでもらおうと思ってな」



 カレンは全身の肌が粟立つ感覚がして、顔を引き攣らせた。

 一歩後ろの位置でミュリエルが「やば……」と小さく呟くのが耳に入る。

 男は続ける。


「産まれた子は、きっとキミに似ているだろう。そして、。教団にはその技術があるのだ」


 瞬間、カレンは口元に手を当てていた。

 胃の中のものがせり上がってくる感覚。

 本当に、本当に気持ちが悪い。

 それ以上に――おぞましい。


「あの日――八年前のアラヤ王国でキミを見たとき、僕は感動に打ち震えた。一目惚れだった。十歳くらいの肉体が至高だと僕は思っている……劣化せず、瑞々しくて、けれど未発達で、不完全。十歳のキミはそれはもう素晴らしかった。そのまま飾っておきたいくらいにな」


 だが、とパトリックは唄うように続ける。


「同時に、僕は高潔な精神を愛していた。キミのような、大義のために突き進む……否、心をこそ崇めている。あの日、勇者候補に覚醒したキミは、僕の理想の精神を持っていた。つまり――」


 己の性癖を気持ちよく語る男はうっとりと頬を染めて、


「キミは至高の精神と見た目を同時に有していた。美しく不均衡で、素晴らしく歪なヒト。これこそが真の芸術だと僕は思い――そしてッ」


 くわっ! と「真の芸術」とやらを崇めるものは目を見開く。


「肉体が劣化せいちょうしたキミは、しかしその精神をさらに素晴らしいものへと昇華していた! それを感じ取ったとき、僕は思ったのだ。もし――そう、宿、と!!」


 だから。

 パトリックは己の計画を語る。それはもう自慢げに、これこそが最上の行いだと誇るように。

 悍ましい行為を、言葉にする。



。それで完成だ――真なる芸術の、な」



 ――『賢者の逆さ塔』のボス戦前に、アンジュが語ったことを思い出す。


『たぶん賢者は、魂を移す――つまり元の肉体を捨てて、作ったコピー体に乗り移ろうとしたのね。自分の血肉を使ってホムンクルスを作れば、拒否反応のない器を作れるでしょうし』


 これと、パトリックが言っていることは、似ている。

 


 パトリックはロリコンだ。彼が語ったとおり、彼の思う理想の体――十歳の肉体に、彼が理想だと称したカレンの精神を移す。


 賢者と器を用意する手段が違うのは、単純にその技術がないからなのか、それとも別の理由があるのか。アンジュの口ぶりでは魂の移動(あるいは器への定着)に拒絶反応とやらがあるらしいが、自分の血肉を使えばそれを抑えられる――すなわち自らの胎内はらから生まれた子なら、拒否反応も少ないと考えたのだろう。


 と、推察して、カレンはより強い吐き気を覚えた。


 やつが、カレンを犯そうとしていることに。

 子を、まるで実験動物のように扱うことに。


 気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い――


「死ねよ、本当に」


 どす黒い感情を殺意に変換して叩き付けてやれば、パトリックは反射的に足を一歩引いた。その動作を誤魔化すように咳払いをした後、彼はグリフォンの首を撫でながら、


「キミは勇者候補だが、子に引き継がれるとは限らない。天華教団としても良いことだ。……おっと、その聖剣は預からせてもらうがな。キミはそんなものがなくても、高潔な精神を宿し続けるだろう?」

「……、」

「すでに準備は整えてある。あとはキミに子を産んでもらうだけだ。案ずるな、八年前のキミの写真はいくつも残してある。それを使えば勃起つさ」

「きっっしょ……との子なんて誰が作るか。寝言は寝て言えよ、ロリコン」


 殺意と蔑みの視線を受けてなお、パトリックはにちゃりと笑った。


「ここは僕の工房ホームだ。魔法使いの魔法工房アトリエに入って、まさか簡単に出られるとは思っているまいな……?」

「私は勇者だよ――まさかその程度の魔獣で押さえ込めるだなんて思ってないよね?」


 聖剣を構える。背後でミュリエルが「みゅーはサポートに徹する……」と囁いた。頷き、カレンは目をすがめる。


 その程度、とは強がりだ。あの魔獣は恐らく、上級ダンジョンのボス――いや、最上級ダンジョンの階層ボスとしても通用するだろう。しかもここは敵のホーム。苦戦は必至だ。


 とはいえ――諦めるつもりはない。

 体を好きにさせたくない……というのももちろんだが、カレンはこんなところで拘束されるわけにはいかないのだ。


 カレンは勇者候補。勇者候補には、やるべきことがある。

 そのために、まずは、目の前の敵を斬り伏せる――!


「行け、三番目の鷲獅子トレグリフォン!」


 パトリックが魔獣に指示を出すと同時、カレンも爆発じみた勢いで飛び出した。


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