第32話「勇者候補と影の少女」



『――く目覚めよ、聖剣わらわを握る資格を持つものよ』


 声が聞こえた気がして、カレンは重い瞼をゆっくりと押し上げる。


 知らないにおいが鼻をついて、顔をしかめた。なんだろう――別に嫌な臭いではないはずなのに、本能が不快感を伝えてくる。

 だが、それのおかげで意識が鮮明としてきた。


「……ここは」


 呟き、上体を起こす。知らない部屋。……こんなことが前にもあったな、と首を捻って――思考が繋がる。


『賢者の逆さ塔』でアンジュの後輩からのお詫びとお礼の品だという菓子を二人で食べたら、まずアンジュがぐらりとくずおれ、続いてカレンも強烈な眠気を感じて倒れてしまった。そこに何者か――片方は確実にパトリック――の声が聞こえて、そして目覚めたら見知らぬ部屋にいる。


「誘拐…………、か」


 思わず苦笑がこぼれた。人生でそう何度も経験することではないだろう。一般人の感覚なら、一度だってないのが当たり前かもしれない。――ただ、カレンの特殊な出自と役割ゆえに、自然と「あり得ること」にカテゴライズされてしまっているが。


 意識を鋭く尖らせつつ、妙にふかふかのベッドから降りる。警戒のために周囲を見回す。


 趣味に合わないピンクでフリルだらけの部屋。なんといったか――確か「ロリータ」だったか「ロリィタ」だったか、そんな感じの風景だ。新品同然に見える家具からして、生活感がない。まるで昨日今日で用意されたばかりのような……。


「っ」


 と、不意に物音がして、反射的に視線を向ける。異空間収納インベントリに手を突っ込み、聖剣を引っ張り出す――と。


「あ、待って。は敵じゃない」


 そんな声を上げながら、一人の少女が姿を現した。

 灰色のフードケープを羽織った少女。墨のように黒い髪はカレンよりやや短く、前髪がパッツンと切り揃えられているのが特徴的か。

 その眠たげな紫の目に視線を合わせ、カレンはすいする。


「……キミは誰?」

「みゅーはみゅー」

「……、」


 すっと目を細めると、少女は慌てて言葉を続けた。


「ええっと、えとえと……あっ! その……アンジュ・スターリーの監視」

「アンジュの……監視?」


 それはつまり――アンジュが勇者パーティーのメンバーとして、天華教団から目を付けられていたということだろうか。


 聖剣の切っ先を少女に向け、すぐにでも斬りかかれる体勢を取るカレン。

 が、淡く黄金の輝きを纏う刃を突き付けられた少女は、わたわたとした様子で訂正した。


「ち、ちがっ……みゅーは、ローラ様の影で……ローラ様の命令おねがいで、アンジュ・スターリーを見守ってた」

「…………、なるほど」


 ローラ・メイザース。メイザース家の次期当主であり、当代最強の魔法使いと称される少女。

 ローラの家メイザースアンジュの家スターリーの関係は、師弟であり主従だ。


 何の目的があってアンジュに監視を付けていたのか――恐らく配信でメイザースや御三家にとってまずいことを口走らないか見張っていたとか、勇者パーティー関係で警戒していたとかだろうが――理由を断定することはできないが、ともあれ所属は理解した。


 とはいえ、


「……どうしてアンジュの監視が、ここに?」


 聖剣を下げつつも、警戒自体は怠らずに質問を飛ばす。と、メイザースの影の少女は「ん」と頷いて、説明を始める。


「アンジュ・スターリーを監視してたら、ダンジョンのボス部屋で倒れて、天華教団の奴らに運ばれるところを見ちゃったから……まずローラ様に連絡した」

「……、」

「そしたらローラ様が、『アンジュの方は私が見張るから、あなたは勇者候補を追いなさい。そして監禁場所を私に知らせなさい』って」

「……なるほどね」


 少女の話を信じるなら、彼女は味方だと思って良いだろう。

 そしてローラ・メイザースに連絡が行っているのなら、助けが来るのも時間の問題か。


「アンジュは、無事?」

「ん、ローラ様が言うには『ただ寝ているだけ』って。運ばれたのも自宅みたいだし」

「そう……」


 それを聞いて、少しだけ心が軽くなった。

 と同時に、申し訳ない気持ちが湧いてくる。――また巻き込んでしまった。

 ……カレンは勇者というより疫病神なのではないか、と近頃の出来事を思うと言いたくなる。


「……はあ」


 溜息を一つ。

 聖剣を胸の前に寄せて、気持ちを切り替える。


「さて、と。――キミは協力者、って認識で良いんだよね?」


 カレンが確認の意を込めて訊けば、影の少女は紫の目をぱちぱちとまたたかせた。


「う、うん。ちゃんとローラ様に、ここにいるって知らせてあるし……みゅーは今は、勇者候補の味方って言って良いと思う」

「そっか。なら、協力してほしいな。ここから脱出するために」


 言うと、影の少女はきょとんとした顔になった。


「えっと……助け、待たないの?」

「勇者は塔の中のお姫様じゃないからね。こうして戦う力もあるんだし」

「でも勇者候補はアラヤ王国のお姫様だって、ローラ様から聞いた」

「…………、」


 やはりローラ・メイザースはカレンの正体に気付いていたらしい。……当然と言えば当然か。彼女は魔導御三家メイザースの次期当主、パーティーやら何やらで王女として顔を合わせた機会は一度や二度ではない。


 ……アンジュが真っ当にローラの従者をしていればアンジュとも面識があったはずだが、なにか事情があったのだろう。彼女がローラに付き従ってパーティーに参加するような光景は見なかった、はずだ。


 と、友人の事情について考えるのは後にして。

 カレンは影の少女に背を向け、外界に繋がる唯一の扉の前に立つ。

 すると、背後から少し焦ったような声がかけられた。


「あ、その扉、外から鍵がかかってる」

「まあ、だろうね」


 そりゃそうだ、と苦笑するカレン。


「でも、キミがここにいるってことは、鍵を持っているんじゃないかな?」


 影の少女は、誘拐犯の手によってカレンと一緒にこの部屋に放り込まれたわけではない。そしてこの部屋に窓はなく、出入りはこの扉からしかできない。だから当然、影の少女はこれを開ける手段を有しているはずだ。


 という推測から放った言葉だったが、影の少女は「えっ」と言葉を詰まらせた後、「あー」だの「うー」だの呻き声を挟みつつ、やがて震えた声音で白状した。


「……その、ごめん。勇者候補がこの部屋に運ばれてきたときに、みゅーもこっそり部屋に入っただけだから……」

「あー……」


 この子は別に、自由に出入りする手段を有しているわけではないのか。


「……そもそもキミ、どうやって外と連絡取ったの? もしかしてここ、端末の電波入る?」

「ううん、さすがに対策されてる。だから敷地の外で場所だけ先に伝えた。それにいちおう、みゅーだけなら外に出られる。そういう技があるから。でも、他の人も一緒には、無理。お一人様専用技」

「なるほどね……。ちなみに扉の向こうからなら、こう、捻るだけで簡単に開けられたりしない?」

「駄目。向こうからも鍵がないと開かない。ピッキングは魔法で対策されてる。……悔しいけど、強力な術式破壊の道具でもないと無理」

「そっか……」


 思いついた方法の一つは、一人だけなら外に出られるという影の少女に鍵を探してもらって、外から開けてもらうこと。ただしこれは時間がかかる。カレンが目覚めたことに気付いた誘拐犯――パトリックがいつ来るとも知れない。なるべく早く行動を起こしたい。


 ならば、と。カレンは最終手段を取ることに決めた。

 最終手段、という名のごり押しだが……。

 

 やることは簡単。

 目の前の閉ざされた扉に向かって、カレンは聖剣を振るった。扉の枠をなぞった刃は、壁とを繋ぐ留め具を易々と斬り裂いてしまう。


「え」


 という呆けたような声を背中に受けながら、カレンは手で扉を軽く押す。

 すると、支えを失った扉――否、ただの厚めの板と化したソレは、ゆっくりと向こう側へ倒れていき――。


 バタン! と大きな音を立てる前にカレンが外に出て支え、ゆっくりと床に降ろした。


「ほ、ほわ……なんて強引な」

「『勇者の七十八技能』――〝我が道、阻むものなしワン・ウェイ、オンリー・ウェイ〟らしいよ」

「なんそれ……勇者、意味不明……」

「あはは……」


 カレンとしても「意味不明」と思うときが多々あるので、乾いた笑いをこぼすしかない。

『勇者の七十八技能』というのは、代々の勇者が編み出した絶技であり、聖剣を通して引き継いだ技術だ。決してカレンが生み出したものではない。名前も、わけのわからないぶっ飛んだ理論も。


 ともあれ、だ。

 外――廊下は、ピンクばかりの部屋とは打って変わって、病院のような白さだった。


「キミ、ここから出口までの案内とか、できる?」


 カレンが問うと、影の少女はそろりと部屋から出て、小さく頷く。


「ん……大丈夫。任せて」


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