第31話「勇者候補という少女」
――アンジュが目を覚ますと、そこは見慣れた自分の寝室だった。
「っ……?」
ベッドからゆっくりと上体を起こし、なぜだかほんのり香ったメロンのような匂いに首を傾げつつ、ぼんやりとする頭を少しずつ動かす。
(あたしは……ついさっきまで、ダンジョンで配信をしてて……それで、確か、ボスを倒したから配信をやめて……)
時系列順に記憶を辿るにつれて、意識がはっきりとしてくる。
(ナディアから貰ったお菓子を、カレンと一緒に食べて――)
直後になぜか強烈な眠気を感じて、抗えずに意識を落とした。
その流れを思い出し――アンジュは飛び跳ねるようにベッドから降りる。
「――いけない、カレンを助けないと……!」
意識を失う直前に聞いた、声。
あれの片方は――
もう一人の声も恐らく天華教団の信徒のものだろう。パトリックとその人物により、アンジュはなぜか自分の家に帰されたが――カレンはどこに運ばれた?
彼女も自分の家に帰された、とは考えにくい。
そもそもパトリックは天華教団の信徒だから、勇者候補であるカレンを殺害することが目的かもしれない……しかし、その場で殺されたよりは、どこかに運ばれた可能性をアンジュは考えた。
『準備が整ったら、必ず迎えに行く。それまで待っていてほしい』――昨日、パトリックがカレンに放った言葉だ。
パトリックはカレンに執着するような言動をしていた。気持ちが悪いほどに。そんな人物が、ただ殺すだけ――なんてことをするとはどうも考えづらい。もっと
「……出ないっ」
カレンと交換した番号に電話をかけるも、一分以上コールを鳴らしても相手は反応しない。メッセージアプリも既読はつかない――カレンはまだ目覚めていないか、連絡手段を奪われているのか。
アンジュは焦りを募らせる。
「って、そうよ、探しものの魔術を使えば……!」
詳しい理論と術式を教えてくれた師匠曰く「失せ物探しの
する、直前で。
バタン――と寝室の扉が開き、何者かが部屋に入ってきた。
すわ誘拐犯のお出ましか――と咄嗟に攻撃用の術式を構築し直すアンジュだったが、侵入者の姿を見て、パチパチと目を
「――起きたわね、アンジュ」
その人物は、豪奢な金髪を腰まで流した少女。
「ローラ……? なんであんたが……」
アンジュの幼馴染みであるその人――ローラ・メイザースは、その青い瞳をまっすぐとこちらに向け、言い放つ。
「あなたに付けていた監視から連絡があったのよ。あなたと勇者候補が、天華教団に浚われた――って」
「は……? 監視? ちょっと、どういうことよ」
「余計な話は後で。――勇者候補の現在地を知りたいのでしょう? ついてきなさい」
◆ ◆ ◆
――夢を見ていた。
カレン・メドラウドが、カレン・ミク・アヴァロンと名乗っていた頃の記憶を、夢でふわふわ追っていた。
いつものように再現される過去の記憶を流し見つつ、カレンはぼんやりと考える。
カレンは王族だった。「アラヤ王国」という、今いるここ――「クルシュラ・アーヴァン王国」よりも東の方に存在する、小国のお姫様。
……といっても、強い権力があるわけではない。王は象徴的なものだし、その子供たちは有力者と縁を繋ぎ血を残すことにしか意味はない。
いや――血を残すことこそに意味がある、と知っているものたちは言うだろう。
事実、ある種の未来の記憶を持つカレンとしては、確かに必要なことだったと理解している。
アラヤ王家――「アヴァロン」という家系を遡ると、今はなきディレス皇国に繋がる。
異世界の勇者・
その国の一番の特徴は、異世界の勇者を召喚する秘術を持つ、唯一の国であること。
ディレス皇国では、異世界から勇者を召喚し、その血を皇家に取り込んできた。
しかし勇者の恨みを買って壊滅。政を行っていた貴族のほとんどが聖剣によって粛正され、領地は勇者が放った謎の粒子――現在では研究により「属性バランスを掻き乱す極小の魔力粉塵」と判明している――によって容易に人類が立ち入れない死地と化した。
完全に死んだ国。
しかしわずかな国民と、生き残ってしまった皇族の一人が、東へ渡り、国を興した。
彼らは国を滅ぼした勇者を恨まなかった。
むしろ、勇者にそんなことをさせる原因を作った自分たちこそを呪った。
……ディレス皇国において、彼らは異世界の勇者を信仰する少数派だった。
彼らは当時の暴挙を止められなかったことを悔やみ、反省し、――しかし抱え続けた信仰心ゆえに、集団の中にある思想を生んだ。
「尊き異世界の勇者の血を繋ごう」
「尊き我らの英雄を後世に継ごう」
それがアラヤ王国の始まりであり――。
すなわち王家、アヴァロンの血筋とはつまり、ディレス皇族に取り込んできた異世界の勇者の血を継ぐものなのだ。
(だから私は、前世も今世も、勇者候補として覚醒できた――)
ある意味で、カレン・ミク・アヴァロンという存在はアラヤ王国の悲願なのだ。
同時に、羽澄春香の件が強烈に灼きついている周辺諸国からすれば、生まれてきてはまずい存在でもあり――。
ゆえにカレンは、己の名字を「メドラウド」と偽り、賢者メロディアの手を借りて、アラヤ王家とは関係のない人間として探索者になったのだが……。
(……やっぱり安直すぎたのかな。初代国王の名前、モードレッドをもじっただけだし)
面倒な政治の話だ。
正直言ってどうでも良い。
けれど、足を引っ張られてはたまったものではない。だから名を変えた。前世から一度改名したようなものなのだ、今更そこにこだわりはない。
背景が移る。
前世を自覚し、勇者候補に覚醒した日からの日常。
カレンは修行に没頭した。旅の魔術師シオンに言われたとおり、聖剣の力を完全に引き出す――すなわち「聖剣抜刀」を習得するために。
政治的な話は面倒なので、カレンは己が勇者候補に覚醒したことは家族にも隠した。幸いにも「勇者候補の覚醒を感じ取った」などというトンデモ感覚を持っている存在はカレンの周囲にはいなかったようで、問題はなかった。「将来は探索者になりたいから」――と誤魔化して道場や山(父=国王の私有地)に籠もり、人目につかぬよう聖剣を振りまくった。
修行漬けの日々は、カレンの周囲から人を遠ざけた。
同年代の友人など望むべくもなかった。
……もともと立場的なものと精神性の乖離から、親密な関係を築ける人間などいなかったのだ。だからカレンは悲しまなかった。
それに、心の中に友はいた。終末の世界で親交を結び、肩を並べて戦い、――そして勇者たる
ある日、賢者メロディアから接触があり、その日から彼女の手を借りてダンジョンに潜った。他の探索者の目に触れないようにしながらモンスター相手に聖剣を使い、少しずつ前世の技術を取り戻しながら、聖剣抜刀を試みた。
でも駄目だった。
いつまで経っても、聖剣はカレンに応えてくれなかった。
場面は変わる。
突如、夢の世界に大声が響き渡った。
「――やった、やりましたわ! 本物! 本物の異世界の勇者様ですわ!」
聞き覚えのある少女の声。それはカレンの妹のものだ。
(――ああ、これは、あの日の……)
一瞬で思い至った。これはアラヤ王国でも一部のものしか知らない、今から約二ヶ月前、異世界召喚という不慮の事故が起こった日だと。
――模範的なアラヤ王国人として異世界の勇者の伝説を信仰し、その余りに余った若き情熱と王族として与えられた一般よりも高額の小遣いを惜しみなく注ぎ込んだ結果、失われたはずの技術「異世界召喚術」を復元してしまった、妹……とその友人の魔法使い。
その術式が失われた秘術を完璧に復元できていたのかは定かではないが――後に秘密裏に検証実験が行われたが、再現性はゼロだった――事実として、
……ただの召喚術の事故だったら、まあ問題はあるにはあるが、話を知ったものに厳重な箝口令など敷かれなかったはずだ。
だが剣崎少年が語る「神様に会って、その人に転生させてもらった」という眉唾の話――しかし異世界の勇者の伝説を信仰するアラヤ王国では信じざるを得ない話――と、なにより彼が手にしていた一振りの長剣が、王家を震撼させた。
なんとそれは、歴代の勇者が継いできたものとは別の、全く新しい聖剣だったのだから。
……いや、これによって最も動揺したのはカレンだっただろう。
「本物の聖剣」をシオンから受け取ったカレンとしては、「新しい聖剣」の持ち主の出現は天地がひっくり返るにも等しい衝撃だったのだから。
(だから私は、その人を見に行って……それで)
更なる衝撃を受けた。
その人は――すでにカレンより一段上のステージにいたのだ。
剣崎竜之介という異世界召喚者は、聖剣抜刀を使いこなした。
けれど。
しかし。
カレンとしては悔しい思いだった。
自分が八年――勇者歴で考えるなら前世も合わせてその倍以上――かけてできなかったことを、その日初めて聖剣を握ったばかりの少年が易々と行った。あたかも始めから使える基本技、むしろ使えて当然というくらい平然と。
自分の努力は何だったのだろう?
自分には才能がないのだろうか?
――自分は、実は勇者の素質などないのではないか?
「あんたの抱えるその記憶を現実にしたくないのなら、勇者になりなさい」
しかし。
それでも。
自分の存在意義が霞み、それまでの歩みの全てを否定された気持ちになっても、カレンの芯は揺らがなかった。折れてはいけなかった。
炎の記憶。終末の光景。
決して忘れない、絶望と、屈辱と、憎悪と、懺悔と、――そして「勇者」という役割ゆえに。
焦燥にも似た想いに押され、カレンは必死に努力して、力を付けて、技を磨いて、鍛えて――。
「条件を呑んでくれるなら、仲間になってあげても良いわ」
今世で初めての仲間ができて。
その才能に嫉妬して。
その力に心強さを感じて。
自分の至らなさに奥歯を噛みしめて。
「と、友達が、殺人犯になるのは……ちょっと、許容できない」
今世で初めての友と呼んでくれる存在ができて。
その自信溢れる態度に眩しさを感じて。
己を上回る存在に嫉妬するでもなく獰猛な笑みを浮かべる姿に、頭を殴りつけられたような衝撃を受けて。
自分の低劣な心に吐き気を催して。
こんな自分が、彼女と並び立てる存在なのかという思いが、心の底に燻る。
いや――それ以前に、共に戦ったかつての仲間を、果たして友と呼んでも許されるのだろうか。
こんな、弱く、醜く、卑劣で、未だに候補止まりの自分が――。
けれども。
それでも――。
……、
…………、
………………。
『――
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