第28話「勇者、始まりの記憶」
――これは夢だ。
カレン・メドラウドと名乗る少女は、直感的に察した。
――そしてこれは、過去の記憶だ。
煌々と燃え盛る炎の風景に、かつて「フィオナ・サキ・アヴァロン」と名乗っていた少女は胸を押さえた。
ズキリ、と心臓の辺りが痛んだ。過去に感じた痛みすらも再現するほど、鮮明な夢。まるで「忘れるな」と言われているかのように、少女は頻繁に過去の記憶を夢に見る。
ここは、楽園。
人類最後の生存圏。
その――最後の風景。
「――お嬢。あとは頼んだ」
いつのまにか、少女の前に誰かが立っていた。見覚えのある顔。名前も知っている。――その最期も、記憶に焼きついている。
そのよく知る誰かは、拳銃を片手に走り出した。利き手を失っているため、慣れない左手の指をトリガーにかけている。――あれはただの拳銃ではない。勇者の剣や魔王の杖を参考に作られた、侵略者に対抗するための武装。
その人は、侵略者どもに襲われる人々を救うために走り出した。
肘の辺りから右手を失い、いくつかの骨を折り、少し身動ぎをするだけで激痛を感じるはずなのに。
その人は立派だった。今でも思う。
しかし――七歩を数えたところで、瓦礫の影から飛び出してきた真っ白なライオンに噛みつかれ、ひび割れたコンクリートの上に内臓をぶちまけた。
「――っ」
少女の口から音にならない悲鳴がこぼれた。
――少女は、この後に起こることを知っている。
これは過去の再現。ゆえに、全ての登場人物は少女の記憶をなぞって動く。
血の海に沈むぶよぶよのナニカを前足で踏みつけて、ライオン――否、純白のボディをした機械の獣が、少女に狙いを定めた。
少女は動かない。
あの時、動けなかったから。
そして。
そして。
そして――。
プツン、と視界が切り替わった。
まるで、動画の途中で別のサムネをタップしてしまったときのように。
どこかのビジネスホテルの一室。ベッドに寝かされていた少女は起き上がる。
風景だけでなく、少女の姿も変わっていた。そのことに気付いたのは、目線の高さがいくらか低くなっていたからだ。
恐らく、十歳の時だろう。
既視感のある風景。きっと、このあとに起こるのは――。
「おお――起きたか、可憐な少女よ」
予想通り――記憶にあるとおりに、変態が部屋に現われた。
パトリック・ニコルソン。今日、ダンジョンで遭遇したときよりも若く見える。……当然か、これは八年前の光景なのだから。
当時、「カレン・ミク・アヴァロン」と名乗っていた少女は、毅然に変質者であり誘拐犯である男を睨み付ける。
「――ッ」
「ふふ、そんなにご褒美を与えないでくれ。鎮めるのが大変なのだ」
気持ち悪いことを言って、気味の悪い笑みを浮かべるパトリックに、十歳の少女はそれでも心を強く持って立ち向かう。
――この時、心が折れなかったのは、どうしてだったか。
確か、他にも誘拐された子供たちがいて、彼らのために奮い立ったのだったか。
あるいは――ようやっと思い出した前世の記憶に、「こんなところで折れていられない」と心に火を灯したのだったか。
転生した少女は、しばらく前世の記憶を忘れていた。
しかし、ずっと由来のわからない違和感を抱えたまま幼年期を過ごし、小学校に入学する辺りで「知らないはずの記憶」を夢に見始めた。
人が死に、街が燃え、世界が落ちる終末の記憶。
機械の怪物と戦い、冒涜的な化け物と戦い、人と戦った血の記憶。
その記憶が前世だと気付いたのは、十歳の時。
パトリック・ニコルソンという
なにが直接の切っ掛けだったのかはわからないが――ともあれ前世の記憶は呼び覚まされ、少女はフィオナでありカレンになった。
そして同時に、勇者の素質を引き継いでいることを悟った。
シーンが切り替わる。
カレンが明確に勇者候補となった場面だ。
パトリックに監禁されていた子供たちを助けるため、心を奮い立たせ、カレンは立ち向かった。勇者候補として覚醒したカレンは、十歳の体でありながらパトリックが使役する魔獣どもをなぎ倒してみせた。当時のパトリックが使う魔獣が初級ダンジョンのモンスター程度の強さだったとはいえ、異常なことだ。
「ああ、なんということだ……。キミは芸術だ。真の芸術――この世で最も素晴らしい精神と肉体を持つ、アンバランスで超越的な釣り合いが取れた存在だ。それがいつかは失われてしまうなんて信じられない。
だが、パトリックが切り札として喚び出したソレに、カレンは手も足も出なかった。
……いや、カレンは善戦した方だろう。前世においてそいつと戦った記憶があったから、瞬殺されずに済んだのだ。
それでも年齢的なハンデと――なにより有効な武器を持たなかったことが原因で、カレンはソレを前に血を吐き倒れた。
敗北。
パトリックの常人には理解不能な思想を元に「永遠」とやらにされてしまう――。
直前で、
「せっかくの勇者候補を殺そうとするだなんて、ホントにデブリどもの汚染は厄介ね」
嫌だ嫌だとばかりに溜息を吐きながら現われたのは、幼い少女だった。
……否、見た目は少女(幼女?)だが、実際には長い時を生きた魔術師だ。
「な……にものかね、キミは?」
「――そうね。旅の魔術師シオン、とでも名乗っておこうかしら」
輝くような金髪をツインテールに結い上げた少女は、パトリックからの「なんて素晴らしい日だ――こんなにも美しいものを二人も目にすることができるなんて」というわけのわからない言葉を聞き流し、指を振った。同時に、詠唱。
「〝滅せよ〟」
たったそれだけで、勇者の卵を瀕死に追いやった化け物を殺してみせた。
それが、カレンが初めて見た魔術。
ついでとばかりにくるりと細い指で円を描くと、パトリックが従えていた魔獣たちが自ら体をねじ切った。カレンは数秒経ってからシオンが魔術で殺したのだと気付き、失礼なことだが恐怖のあまり悲鳴をこぼしてしまった。
ともあれ――。
その後、天華教団の信徒を名乗る何者かが乱入し転移魔法(あるいは魔法道具?)を使われパトリックには逃げられてしまったが、カレンを含め誘拐・監禁されていた子供たちはシオンによって助け出された。
ちなみにシオンは、カレンの勇者覚醒を感じ取って駆けつけたらしい。
カレンが切っ掛けで監禁されていた子供たちを助けられた、と考えれば少しは気が晴れるが――しかしカレンは自分の力不足を嘆いた。勇者候補だというのにまるで弱い、と。前世の記憶も相まって、カレンは凄まじく自分を責めた。
責めて、責めて――その想いを聞いたシオンが、こう諭した。
「あんたはまだ勇者候補、勇者の卵なのよ。レベル一が弱いのは当たり前でしょ?」
前世も含めて「クソザコ」と貶されたカレンはとんでもないショックを受けた。
落ち込みながら、どうすれば強くなれるのかを訊いた。
すると魔術師シオンは少し考えた後、質問を質問で返してきた。
「あんたはなんで強くなりたいの?」
カレンは語った。自分には前世の記憶があること、世界の滅びの風景を見てしまったこと、それがもしこの世界でも起こるのなら勇者である自分が強くならねばならないこと。
それを聞いて、いくつか前世の記憶に関する質問を挟んだ後、シオンは言った。
「まず一つ、勘違いを正すわ。――あんたの前世は、別の歴史を辿ったこの世界の未来よ」
カレンは絶句した。世界線の分岐だとか平行世界理論だとか、サブカルチャーで嗜んだ程度の知識しかないが……まさか異世界ではなく過去に生まれ直していたなんて、と。
……思えば気づくヒントはいくつもあった。自分の名字なんてその最たるものだ。「アヴァロン」は前世でも今世でもアラヤ王家が持つものだったのだから。
「ただ……分岐はすでに起こっているから、ある意味で異世界と言っても良いかもしれないわね」
魔術師シオンは少しだけ目を伏せた後、こう説明した。
「ターニングポイントはいくつかあるんだけど……三百年前のダンジョンの出現、ハルシオン・レッドフォードとユイメリア・ヴィンクスの出会い……いえ、やっぱり一番はアレかしら」
シオンは一呼吸おいてから、こんな質問を投げてきた。
「あんた、異世界の勇者ってどこから来てるか知ってる?」
カレンは前世と今世の両方で学んだ知識を漁って、「地球、あるいは日本と勇者たちが呼ぶ世界から」と答えた。
その回答にシオンは満足そうに頷いて、
「その世界――地球が魔王によって滅んだ場合はこの世界も滅びに向かい、ある切っ掛けによってなかったことになれば今この時代に繋がるのよ」
意味がわからなかった。
――異世界の勇者の故郷が滅んだから、この世界も滅ぶ?
――なかったことになったから、今の世界がある?
しきりに首を傾げるカレンに、シオンは苦笑を浮かべて、
「ま、良いのよ。過ぎたことだから。――それよりも、どうしたら強くなれるか、だったわね」
話を戻すシオン。いよいよ聞きたかったことが聞ける、とカレンも真剣な表情になる。
そんなカレンの様子を見て――どうしてかシオンは、その幼くも美しい顔にほんのわずかに苦いものを混じらせた。
だがすぐに不敵な笑みで雑多な感情を塗り潰すと、異空間から魔術であるものを取り出した。
それは、一振りの剣。
子供が持つには大きすぎる大剣を魔術かなにかで浮かせ、カレンの前に持ってくる。
「それは、聖剣。あるいは
シオンは語る。
「今から六百年前、異世界の勇者・
カレンの前世においても失われていた、この星で生まれた聖なる剣。
カレンがその柄に指を触れると、パッ――と黄金の粒子が舞った。
まるで、資格ある存在に反応するかのように。
「あんたはまだ勇者の卵だけど――これの力を完全に引き出せるようになれば、いつかこの星を襲う侵略者どもにも対抗できるはずよ」
だから――。
旅の魔術師シオンは、賢者か導師のように、少女に道を示した。
「――カレン。あんたの抱えるその記憶を現実にしたくないのなら、勇者になりなさい」
これが、カレン・ミク・アヴァロン――そしてカレン・メドラウドの始まりだった。
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