第26話「変態と勇者の卵」



「それは喜ばしいことだ。この八年間、僕も一秒たりともキミの姿を忘れたことなどなかった。――あの可憐な十歳のキミを、ずっと想っていた」


(きっっっっしょ。え、気持ち悪すぎる……!?)


 カレンに向けられる粘ついた視線に対し、アンジュは反射的に心の中で叫んでいた。

 あまりに不快な人間を目にして、アンジュは鳥肌が立つ思いだった。


 ……やつの視線を直接受けるカレンはさぞかし辛いだろう。むしろアンジュがカレンの盾になるべきでは?


 そう思い、アンジュは前に出ようとして――カレンに手で制される。

 そして、カレンはアンジュの動きを遮るように挙げた手に、大剣を握った。

 ――聖剣だ。


「ほう。……それが聖剣、勇者の剣か」


 男が感心したように声を上げる。


「しかしそれは、異世界に持ち去られたものではなかったかね? それともけんざき少年と同じく、新しき聖剣かね?」

「いいや――正真正銘、歴代の勇者が継いできた聖剣だよ。ある旅の魔術師が異世界の勇者から返してもらって、私に与えてくれたもの」

「……なるほど。これは同志たちに伝えねば」


 ――なんと、カレンの聖剣は本物だったのか。

 いや、直感的に……というか肌で感じる魔力の質から本物だと理解していたが、まさか本当に異世界に持ち去られたはずの「あの聖剣」だとは思わなかったのだ。最後の勇者が握った妖精剣と同じで、精霊やら妖精やらが新たに作り出したものだと誤解していた。


「悪いけど、聖剣これはまだ秘匿事項なんだ。昨日の配信に乗せてしまった時点ですでに大問題なんだけど……たちに直接伝わるのはもっと不味いからね」


 剣呑さを前面に押し出した声を発し、聖剣の切っ先を男に向けるカレン。


 いくら不審者だとしても聖剣で斬るのはやり過ぎでは……? と思うアンジュだったが、あまりの緊迫した空気に口を挟めない。


 ――ダンジョン内で探索者同士が戦うことは、事態だ。

 モンスターとの殺し合いを日常的に行う性質上探索者には荒っぽい人間が多く、戦利品の分配で揉めたり獲物を横取りされたと騒いだりといったことを始め、こうして因縁のある人間がばったり出会って剣を抜くこともままある。


 もちろん探索者協会は――というかどこの国も法律上――決闘を禁じているが、人目のない、周囲を破壊しても問題ない(というか普通は破壊できない)ダンジョンという絶好のスポットで、剣も銃も魔法も持ち出したデンジャラスな喧嘩がそれなりの頻度で起こる。


 ……といっても、人死にが出ることは少ない。探索者協会側もある程度対策を打っているし、頭に血が上っていてもさすがに殺しまではしない良識をほとんどの探索者が持ち合わせているからだ。


(……うん、カレンもきっと、峰打ち――は両刃だからできないけど、剣の腹とかで叩いて気絶させる程度で済ませるでしょ)


 と、そんな思考を読み取ったわけではないだろうが、カレンが背後のアンジュに囁いた。


「アンジュ。アレは、ここで殺さないと駄目だよ」

「え?」


 さらりと物騒な言葉が出てきて、アンジュはぎょっと目を剥いた。


「えっと……確かにロリコンはキショいけど、殺すだなんて……。捕まえて警察に引き渡すだけじゃ駄目なの?」


 あ、でも現行犯じゃないと警察に突き出すのは難しいわね、と続けようとしたアンジュに、カレンは首を振った。


「ロリコンがキショいのは同意するけど、それが理由じゃないよ」

「じゃあ、なんで?」

「――アレはで、だから」


 ぎしり、と。

 カレンが聖剣を強く握った音か、それともあまりに強烈な殺気にダンジョンの壁がきしんだ音か。


 勇者の卵から向けられる殺意を全身で受け止める男は、口元に笑みをたたえたまま、場違いなほどに優雅な礼を取った。


「――、残念なことにお二方。僕はパトリック・ニコルソン。てん教団生体研究部所属の一般信徒であり、幼き女の子を守護するものだ」


 変態であることを恥じるでもなく堂々と主張する男――パトリックにドン引きしつつ、アンジュは彼の自己紹介の一部に引っかかっていた。


「天華教団……?」

「星の外からきたるものを歓迎する、おぞましい気狂いどもだよ。時代が時代なら外患誘致罪でしょっ引かれるテロリストだね」


 強い語調で言い切るカレンにアンジュは少しだけ首を傾げるが、アンジュが何か言うよりも先にパトリックが声を挟んできた。


「酷いな。僕たちはただ、天からの贈り物をありがたみ、人類のかてとするために活動しているだけだ」

「星外のものがこの星にとってプラスになるわけがないよ」

「視野狭窄的な考えだ。星の外から来るものは神の施し。それを遮ろうとする勇者こそが悪だと、千年より昔から言われているがね」

「……千年より昔から、星外のものこそが星の敵だよ。勇者の活動の本質は、ソレを排除することにある。――って、口論したところで意味はないのも大昔から言われていることか」


 相互理解を放棄して、カレンは剣先で空を切る。その動作に反応し、パトリックも魔力をおこした。


 張り詰めた空気は、些細な切っ掛けで爆発する火薬庫の中にいるようで。


 ――しかし。


「〝縛れ〟」


 詠唱。

 直後――の影が実体を持ち、足を縛った。

 アンジュが多用する影縫いの魔術である。


「む――」

「ちょっ――なにをするの、アンジュっ!?」


 パトリックが足を動かそうとしても影を引き剥がせず一歩も動けないさまに顔をしかめ、カレンが味方からの妨害に泡を食って顔だけ振り向く。


 今にも殺し合いが始まろうとしていた現場を収めた魔術師は、ふんっと一つ鼻を鳴らして、


「あたしの前で、あたしに関係ない殺し合いなんてしないで」

「――っ」


 他人の闘争を見て楽しむのは古来より人類の血に刻まれた本能だが、かといって仲間がよくわからない理由で殺人者になるのを見過ごすほどアンジュは薄情ではない。

 しかしカレンはアンジュの言い分が気に入らなかったようで、


「関係ないわけじゃないよ。――勇者パーティーにとって、天華教団は敵だから」

「そう。だからといって、法を犯してまで戦うのはどうかと思うけど?」

「ここでアレを生かして帰すわけにはいかないからね。そもそもアレは前科があるし。……それに、ダンジョン内のことならいくらでも誤魔化せるよ」

「驚いた。勇者様は人類の守護者を唄いながら、人殺しを許容するのね」

「綺麗事だけじゃ勇者は務まらない……ってのはわかってのなじりか。なら私はこう返すよ――『それが人類のためだから』」


 

 カレンの目は怖いほどに澄んでいた。


 皆のために、人を殺す。そのことに疑いを持たず――あるいはすでに乗り越え、決意を固めている。


「素晴らしい――」


 声と共に、手を打つ音。

 賞賛を送ったのは、パトリックだった。

 両足を影に縫い止められたまま、腕を大きく広げ、胸をり、ロリコン男はにちゃりと笑う。


「キミは八年前のあの時から変わらない。高潔で、意志が強く、決して折れない。素晴らしい、本当に――嗚呼ああ、あの日の幼きキミが重なる。美しい……ッ!」

「…………きっっも」


 アンジュが思わず吐き出してしまった言葉は、しかし感動に全身を震わせるパトリックの耳には入らない。


 変態男は絶頂したようにぶるりと一際大きく体を揺らし、それから恍惚とした表情をカレンに向けた。勇者の卵が引き絞った悲鳴を小さくこぼす。


「あの麗しき姿と美しい精神の調和が、僕の心に真の芸術を刻んだのだ。しかしアレは流星のような一瞬の煌めき、二度とは触れられない失われた至高だと思っていた。だが――違った。キミは美しい精神を、さらに昇華していた」

「……、」

「惜しむらくは、肉体が成長してしまったことだ。嗚呼ああ――本当に、惜しい。けれど、それに関しては僕に考えがある。天華教団の一員としては問題かもしれないが、なに、キミが聖剣を手放せばどうにでもなる話で――」

「黙れ」

「おっと」


 カキン――ッと。

 一本の短剣が宙を舞った。

 カレンが服の袖に隠していた短剣を放ち、パトリックがこちらも隠し持っていたナイフで弾いたのだ。


「アンジュ。――私はアレがロリコンだから殺そうとしているわけじゃないんだけど、そろそろ気持ち悪すぎて死にそうだから、魔術の拘束を解いてほしいかな」


 真顔だった。

 あらゆる激情を抑え込み、ただ目の前の敵を斬り殺すことだけに集中するカレンの平坦な声に、アンジュは一瞬遅れて答える。


「……確かにアレは実害を出す前に牢屋に放り込むべきだと思うけど、あたしは仲間が――」


 言いかけて。

 それよりも適切な表現を見つけて、アンジュは少しだけ考えた後、言い直すことにした。


「と、友達が、殺人犯になるのは……ちょっと、許容できない」

「……、」


 カレンは少しの間固まって。

 ややあって、「ん……」と声をこぼす。


「その……気持ちは嬉しい、けど……これは、必要なことだから」


 あるいは自らに言い聞かせるようにそう言って、カレンは聖剣を構え直す。

 ――と。


「っ?」


 不意に、ピリッとしたものを肌で感じた。

 すぐ近くで感覚。

 最近――というかお昼にもあったそれは、やはりアンジュの予想通りで。


「召喚術――」

「ふむ、すまない。迎えが来たようだ」


 心にもない謝罪を口にするパトリックの横に、全長三メートルの赤い鳥が現われる。パトリックが「ノーヴェガルダ」と呼んだ魔鳥だ。


 前回はあの魔鳥がパトリックの肩を掴んで持ち上げ、大空を飛んで逃げたが、ここは天井高五メートルのダンジョン内。さらにはアンジュの影縫いの魔術がパトリックの足と地面とを縫い付けているのだ。もし魔鳥が力尽くで持ち上げようとすれば、足で掴んだパトリックの肩がえぐり取れるかもしれない。


 しかし。

 彼が召喚したのは、一体だけではなかった。

 青白い毛並みの狼が空間の穴から現われ、パトリックの足下に侍る。


「……転移? ダンジョンの中で、そんなこと……」

「違うわ、カレン。アレは召喚術よ。ダンジョン全体にかかっている転移阻害の影響を受けないわ」

「なるほど……」


 カレンの認識を正している間に、動きがあった。

 パトリックの足を床に縫い付ける影に、狼が顔を近づけ――噛みついた。


「なにを……、っ!」


 アンジュが抱いた疑問――その答えは、目の前の現象そのもの。

 ――狼に噛みつかれた影が、霧散したのだ。


術式破壊コードブレイク……!?」


 信じられないものを見た、と目を剥くアンジュに、拘束から脱したパトリックは距離を取るように後退しつつ、自慢するように言う。


「固体名オットハティ。月を呑み込む狼を元に改造した、術を食らう魔法生物だ」

「……っ」

「僕の本領は召喚士ではなくこちらでね。――っと、そうだ、時間が押していたのだったな。すまないが僕は帰らせてもらう」

「逃がすわけが――」


 ない、と牙を剥くカレンに、パトリックはにちゃりと笑って、


「準備が整ったら、必ず迎えに行く。それまで待っていてほしい」

「きっっっっしょいんだよ変態があッ!」


 絶叫。

 と――同時、カレンの全身から黄金の光が発せられた、ような気がした。


(えっ?)


 直後、カレンが爆発的な速度で飛び出す。――アンジュは影縫いの魔術を解いていないし、狼が食らったのはパトリックのものだけだ。だというのに――。


「む――オットハティ!」

「っち」


 聖剣を振り下ろそうとしたカレンの横腹に、命令を受けた狼が跳びかかる。狼の口内に並ぶ鋭い牙を目にしたカレンは剣の軌道を変え、狼の脳天に刃を叩き込んだ。


 ギャンッ! という一瞬の悲鳴。続いて、どちゃっと水気を含んだ音を立てて肉塊が床に叩きつけられた。

 自らが斬り捨てた狼に目もくれず、カレンは足を踏み込み――。


「やれ、ノーヴェガルダ」


 ――直後、しゃっこうが周囲を染め上げた。


「ッ」

「〝吹き飛ばせ〟!」


 魔鳥が生み出した炎が、ダンジョンの通路を埋め尽くす勢いで広がる。

 対し、アンジュの魔術は強風を発生させるもの。昼のときと違って引火を心配する必要はない。咄嗟だったため威力はそこまでではないが――視界を塞ぐほどの炎を吹き消すことはできた。


 が。


「……、」

「……逃げられたわね」


 ベージュのトレンチコートを着た男は、姿を消していた。


 透明化の魔法やアイテムでも使ったか、それとも緊急脱出用の『戻りの宝珠』でも持っていたのか。手段は不明だが――事実として、パトリックはアンジュたちの前から脱したのだ。


「…………ごめん」


 ぽつり、とカレンが声をこぼす。

 唐突に発せられた謝罪にアンジュが目を向けると、勇者の卵は俯いていた。聖剣を握る手はだらりと下げられ、その背中に覇気はない。


「それは、何の謝罪?」


 デジャブを感じつつ問いかけると、カレンは俯き加減のまま答える。


「私と関わると、変なやつに襲われる」

「……、」

「昨日のことだって、そう。あの転移術は、私を狙ったものだったんだよね? ……巻き込んで、ごめん」

「…………はあぁ」


 心底呆れたと言わんばかりに大きく溜息を吐いてやると、カレンはピクリと肩を揺らし、ゆっくりとこちらに振り返る。

 その勇者にあるまじき情けない顔に半眼を向けながら、アンジュは言う。


「同じパーティーの仲間なんだから、互いに迷惑をかけるくらいでちょうど良いのよ。……それに、理由がよくわからなかったからちゃんと説明し直してほしいけど、アレは勇者パーティーの敵なんでしょ? なら罪悪感なんて余計なもの覚えないで」

「……、でも、昨日のは……」

「ああもうっ! いちいちそんなこと気にしなくて良いのよ! だいたいあたしは感謝してるんだからっ」

「かん、しゃ……?」


 なにを言っているのかわからない、と困惑をあらわにするカレンに、アンジュは腕を組んでふんっと鼻を鳴らす。


「ええそうよ。あんたは巻き込んだって言うけど……そのおかげであたしは強敵と戦えて、あたしを上回る魔術の腕を持つ存在を知ることができたんだから」


 カレンは危険な目に遭わせたことを謝りたいのかもしれない。

 けれど、アンジュにとってそのアクシデントはプラスだった。マイナス要素を打ち消してたっぷりおつりが来るほどに。――魔術を極めたという驕りを打ち砕いたあの一件は、アンジュにとって必要なことだった。


「だから謝らないで」

「……、ありがとう、アンジュ」


 ごちゃ混ぜになった感情を呑み込むように喉を鳴らしてから、カレンは短く感謝の言葉を口にした。

 多少はマシになった顔を見て、アンジュはふっと笑みを浮かべる。


「でもまあ、色々説明してほしいけど」

「うん。説明するよ――」


 言って、ふとカレンは周囲を見回す。


「……先に、ダンジョンから出ようか」


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