第9話 藤森高校男子バスケ部監督
ホームルームを終えると、俺のいるクラスの生徒たち、特に女子たちがざわつき始める。
「なあ、1限目楽しみやな」
「まだ火曜日の朝なのに何なのこの幸福感」
「先生ぇ~、早く来て~」
そんなお気楽な会話が耳につく。
1限目の授業は日本史。このクラスのみんな(特に女子)が浮ついている。これから売れっ子タレントが登場しようとしているような雰囲気だ。
「ほんと日本史の先生最高だよね」
「若いし、優しいし、イケメンだしイケメンだしイケメンだし」
「笑顔が素敵だよねえ」
「笑顔でいったら、私この間の模試で日本史全国2桁台になって、先生にべた褒めされたよ。ヤタスマイルをひとりじめしちゃった」
「きゃーうらやましー、このレキジョー。うちを差し置いて裏切ったなー」
「しょうがないでしょ。あの先生のせいで日本史好きになったんやから」
この浮ついた教室の様子も、5年前のとおり。
だが、俺は無視する。
今は状況の整理が大事だ。
東京にいたはずの俺は、ツインテールの女の子を助けた。すると、女の子が5年前に行ってもらうと言って、俺の手を掴んできて……。
そして、テレビのチャンネルを変えるように、この学校の体育館にいた。
着ているものだって、就活用のリクルートスーツから、トレーニングウェア姿に変わった。5年前の仲間たちに囲まれて、学校を去ったはずの青海までいて、一緒に朝練をして……俺がずっとここ、藤森高校にいたかのように。
東京で苦戦する就活生をしていたことのほうが、むしろ何かの悪い夢だったみたいだ。
スマホの日付は2024年11月1日。
間違いない。
あの女の子の言うとおり、俺は本当に5年前に戻ってきた。
藤森高校男子バスケ部のキャプテンに就任した、あの日に。
俺はこのまま、高校生をやり直すのだろうか。まさか、何かの拍子に5年後の未来に戻ったりすることはないのか。
――わけがわからなすぎる。
チャイムが鳴った。
教室のドアが勢いよく開かれる。
「やあ、みんなおはよう! 日本史の授業を始めるぞー!」
爽やかな声とともに、日本史の先生が登場。年は26歳。すらっとした体つきで、しかも高身長。優しい笑顔を教室のみんなに振りまいている。
教室の空気が一気に色めき立った。女子はみんな静かにはしているが、うっとりと頬を染めて視線を日本史の先生に向けている。キャーーとかフォーーとかいう嬉しい悲鳴が響いてもおかしくないくらいだ。
「き、ききき起立! ききき気をつけ、礼」
日直の女子が舌をもつれさせる。
「日直の澤田さん、緊張しているんだね。でもいい声してるよ」
日本史の先生に褒められて、かえって澤田さんが顔を赤くした。
着席した俺は、教卓に立つ男を見つめる。
やはり、この人もいた。
この先生の名前は、
日本史教師であると同時に、青海の歳が離れた兄であり、藤森高校男子バスケ部の監督。俺が愛媛から京都の藤森高校に入学するきっかけを作った人だ。
「前回の授業は明治維新だったね。じゃあ復習にクイズです。戊辰戦争で箱館に逃げ込み、五稜郭で政府軍に抵抗を続けた旧幕府軍の指揮官は誰?」
はいっ、と一斉に女子たちの手が上がる。
「じゃあ最初に上がった吉田さん」
「榎本武揚です」
「正解! ちゃんと覚えていて嬉しいぞ!」
八孝が笑顔を浮かべる。これが女子キラーのヤタスマイル。一部の女子生徒を全国模試の日本史で2桁台の順位にしてしまうほどの威力を持つ。
「は、はわわ~、褒められちゃった……」
ヤタスマイルに貫かれた吉田は、机に突っ伏して悶えている。
和やかな空気。
これも、5年前の再現だ。何ならこの授業で、明治維新のどこまで取り上げるのかもわかる。
八孝はこの授業の後、俺に話しかけてきて、昼休憩に監督室に来るよう言う。
監督室に出向いた俺は、八孝からキャプテンを引き受けるかどうかの最終確認をされ、俺は意気揚々と引き受けると答える。
打倒河北友に密かに燃える俺は、集中しきれないまま午後の授業を受け、夕方、体育館で部員たちを前にキャプテン就任を宣言。俺が中心となって練習が始まる。
それが、2024年11月1日の流れだ。
嬉しいわけがない。
だって最後は新人大会の惨劇につながるのだから。
鬱エンドの映画をもう一度観るよりも性質が悪い。
八孝が軽快なノリで授業を進めていき、女子たちがそれをうっとりしながら聞き、男子たちが嫉妬に満ちた視線を八孝に向ける。
そうして、授業は進んでいく。
「……というわけで、武士改め士族の不満は各地で内戦を引き起こして、最後には西郷隆盛が西南戦争を引き起こした……おっと」
八孝が話している最中に、チャイムが鳴った。
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