第6話 西暦2024年11月1日午前7時59分

「やめるのか、きよぴー」

 朝倉の声で、俺は我に返る。

「朝倉は不満そうだぞ。やるならさっさと再開しろ」

 真川がせかす。

「あーもう、真川や朝倉の言うとおりや。やるで」

 青海が言って、持っているボールを床についた。

「ほら服部、早くきよぴー放して。もう」

「あらら、青海ヤケになったな。きよぴーどうする?」

「や、やるよ」

 わけがわからなくて、状況を整理する時間がほしい。だがやめて切り上げる、なんて言える空気ではなかった。

「ほな、そういうことで」

 服部が離れていく。

「まったく、きよぴー、また同じフォーメーションの練習いくぞ」

 黒田が声を飛ばしてくる。

 やるのだろうか。黒田は。

 足首の靭帯をやってしまって、バスケができない体になったのに。

「ああ」

 戸惑うが、

「じゃあいくで」

 青海がボールをトスしてきた。俺が受け取ると同時に、青海が距離を詰めてくる。

 もうやるしかない。

 俺はドリブルを開始した。迫ってくる青海の前でボールを横に切り返し、彼女をかわす。

 5年前まで、何百何千回と繰り返してきたフォーメーションだ。どう動いて、どこにボールを運べばいいのかはわかる。

 ダンッ。

 ひとつ、ボールを床につく。

 少し前の左サイドを走る黒田に、俺は目をやった。

 黒田は、普通に走っている。

 ――黒田、お前本当に大丈夫なのか?

 新人大会、藤森高校男子バスケ部崩壊のきっかけとなった場面は、いまだに覚えている。

 一瞬だけ飛んだ意識を取り戻し、俺が最初に聞いたのは悲鳴だった。

 黒田の悲鳴。

 痛いだけではない。これからバスケができなくなる。そんな未来に怯えているような叫び声だった。俺が悲鳴をあげるのを忘れてしまうほどに。

 俺の横で足首を押さえ、苦しむ黒田の顔は、それまで見たこともないくらい歪んでいて……。

 ……怖かった。

 ダンッ。

 もうひとつ、俺はボールを床につく。

 俺はセンターサークルの真ん中までドリブルしてきた。

 とにかく、やる。

 5年前にしてきたとおり、俺は左真横の黒田にパスをまわす。

 ゴール下には、左に服部、中央に真川、そして右に朝倉が待ち構えていた。

「朝倉、行くぞ」

 黒田は、右サイドの朝倉にパスを投じた。

 黒田からすると、エンドライン付近、しかも逆サイドにいる朝倉とは最遠だ。

 だが、しっかりとした膂力によって放たれたボールは、床ときれいな平行線を描いて朝倉へと飛んでいく。途中でディフェンスが阻むことができないであろう、矢のように鋭く、確かなスピードがあるパス。

 ボールはそのまま、朝倉の両手の内に収まる。

「ナイスパス!」

 思わず、俺は声をあげていた。

 黒田だ。

 それは確かに、左足首を痛める前の黒田のパスだった。馬鹿みたいに肩が強くて、長距離の正確なパスを何度も平気で放つ。

 動けている。

 あいつ、動けるじゃないか。

 朝倉はほぼノータイムで、逆サイドにいる服部にパスを飛ばした。

 ボールを持った服部が、床を大きく蹴る。

「シュートぉ、と見せかけて真川にパス!」

 服部が空中からバウンドパスを繰り出した。ダンッ、とボールが床を揺らす。

「受け取った」

 真川がシュートを仕掛けた。だが、ボールはリングの右側に当たってはじかれて……

「任せろ」

 ゴール下に駆けつけた朝倉が、大きく跳ねた。

 変な方向に飛ぼうとするボールを取り、ダンクシュートを決める。

 体育館に大きな音が響き、空気が震える。

 ――これだ。

「朝倉、大胆だな。朝っぱらからダンクシュートだなんて」

 ボールを拾った真川が、呆れながら笑みを浮かべた。

 ゴールのリングにぶら下がっていた朝倉が、床に降り立った。

「今のはああしたほうが確実だったから」

「俺かきよぴーで拾ってシュートに持ち込むということもできたけどな。なあ、きよぴー」

 黒田が俺のほうを向いてくる。

 だが俺は、黒田の話を聞いていなかった。

「おいきよぴー?」

 黒田がまともに動けるだけではない。さっきのフォーメーション。滑らかに仲間がそれぞれの向かうべきポジションに向かい、鋭いパスを繰り出し、確実にシュートを決めた。今は相手はいないが、きっとディフェンスがいたとしても巧みにかわしていただろう。

 確かに、藤森高校男子バスケ部の動きだ。

「きよぴー、聞いているのか?」

「ああ、すまない。フォーメーションのことを考えていてつい」

「寝ぼけているんだか集中しているんだかよくわからんな。とにかく戻るぞ」

「ああ」

「ほら、ボール」

 真川が俺にボールをよこしてくる。

「青海、もう一度頼む。今度はスピード上げるぞ」

 俺は青海にボールを戻した。

「了解」

 センターサークルの後ろまで戻り、ボールを持った青海と対峙する。青海がパスをしてきて、もう一度ドリブルを繰り出した。

 黒田が怪我する前の力強い動きを見せてくれる。5年前の仲間たちが、当時のままのプレーをしている。

 それにかまけたせいで……

 最も奇妙なことを忘れていた。

 俺も走って、跳ねて、膝にたくさんの負担をかけている。なのに、5年前に使いものにならなくした右膝が痛まない。

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