第19話 産女

 解けないようにしっかりと靴紐を縛る。大判の風呂敷に赤子を包み、輪っかを作って自身の胸元に赤子が来るように肩から下げる。


「本当に行くっすか?」


 その様子を見ながら、仄が心配そうに言う。


「ああ」


「異形、うじゃうじゃ居るっすよ? 勝つ見込みあるんっすか?」


「無い」


「それじゃあ犬死っすよ」


「かもな」


「道明寺さん、あの女に踊らされてるんっすよ。分からないっすか?」


「だったらなんだよ。じゃあこの子見捨てろってのか?」


「そうするべきっす。その子は怪異っす。さんざん説明したっすよね?」


 確かに、全ての説明は受けた。


 あの時、雪緒の抱く赤子がキヨの子供だと教えられた時に全て明かされた。


「この子は、島村キヨの子供ですよ」


 なんて事無いように言う着物の女。


 けれど、雪緒にとっては衝撃の事実である。


「は? え、どういう事だ、それ……?」


「言葉通りの意味ですよ。この赤子は島村キヨの子供です。まぁ、産まれる前に死んでしまいましたが」


 言いながら、着物の女は優しく赤子を抱き上げる。


「なるほど、得心が行ったっす」


 着物の女の言葉を聞いて、納得したように頷く仄。


「道明寺さん、ウチが島村キヨを諸悪の根源だと言ったのを憶えているっすか?」


「あ、ああ……」


 確かに、仄にそう言われた。けれど、その続きは教えて貰ってはいない。写真だけ見てその理由を聞いていなかった事を思い出す。


「他のどの人間も、どの異形も気配を感じるっす。万物には気配があり、霊力を感知できる自分達はその気配を敏感に感じ取る事が出来るっす」


 その感覚は雪緒にも覚えがある。この暗く淀んだ世界の中で、異形の気配を感じとる事が出来た。また、雪緒には分からない魂に付けられた印とやらを、晴明は感じ取る事が出来た。


 程度の差はあれど、霊力を感知出来れば万物の気配を感じとる事が出来る。


「でも、島村キヨだけはこの街で唯一気配を感知出来ないんっすよ。本来、そんな事は在り得ないっす。でも、島村キヨが原因だとすれば説明は付くっす」


「どういう事だ?」


「島村キヨの作り上げた世界だとしたら、島村キヨの霊力が充満しているのは当然っす。だから、島村キヨの気配だけは感知出来ないんっすよ。まぁ、世界を作り上げるだなんて途轍も無い事、本来出来っこないので憶測も良いとこだったっすけど」


 仄は着物の女を見やる。


 底の見えないこの怪異であれば、もしかしたら可能かもしれないとは考えるけれど、着物の女は微笑むだけで答えない。


「ともあれ、原理は分からずともウチは島村キヨが怪異だと思ってたっす。ただ、何の怪異かは分からなかったっす。島村キヨの見た目は完全に人っすからね。けど、その女の言葉で分かったっす。島村キヨは産女うぶめっす」


「産女?」


「そうっす。産女は難産で亡くなった妊婦の妖怪っす。夜に赤子を抱いて現れて、自分の子を抱かせるっす。文献によって様々っすけど、逃げずに赤子を抱いたら百人力を授かるとかなんとか」


「じゃあ、キヨさんはもう……」


 死んでいる。分かり切っている事実だけれど、口にするのは憚られた。


「妖であれば躊躇う事も無いっす。道明寺さんは此処で休んでてください。後は全部ウチがやるっすから」


「やるって……どうするつもりだ?」


「殺すっす。そうすれば、全部丸く収まるっすから」


 事も無げに、仄は言い放つ。


 けれど、その覚悟は在る。雪緒とは違って、言葉だけではない。


 仄は言葉通り、キヨを殺すだろう。取捨選択がはっきりしているのだ。きっと、仄は正しい。助けるべきをはっきりさせていない雪緒の方が間違えている。


 それでも、今の言葉は聞き流してはいけなかった。


「……なら、やっぱり俺はキヨさんの所に行くよ」


「ダメっす。道明寺さんには此処で待ってて貰うっす。正直、これ以上一般人に引っ掻き回されたく無いんっすよ」


「だよな、分かってる。でも――」


 言いながら、雪緒は着物の女から赤子を優しく取り上げる。


 着物の女も特に抵抗する事無く、雪緒に赤子を渡す。


「この子は絶対に届けなきゃいけない。この子のためにも、キヨさんのためにも」


 何が正しいのか、何が間違えているのか。自分にその資格があるのか、覚悟とは何か。その全てを雪緒はまだ考えあぐねている。


 それでも、この赤子をキヨに届けなければいけない。赤子はキヨに会いたがっている。それだけは、なんとなく分かる。


「そうっすか。でも、ウチには関係無い事っす。道明寺さんには此処で待ってて貰うっす。例え力尽くになっても」


 実力行使をほのめかした仄に対して、着物の女が初めて仄を視界に捉える。


「ああ、それは駄目ですよ。雪緒さんの邪魔をするなら、私が貴女を排除します。多少の齟齬・・が生じますが、端役はやくの貴女なぞいなくともどうとでもなります」


 特に威圧する事は無い。けれど、存在そのものが脅威である着物の女の発言には、それだけで圧倒的な威圧となる。


 流石の仄も分が悪い相手から威圧されればたじろがずにはいられない。


「なに言ってるか分かんないっすけど……なんであんたが道明寺さんの肩を持つっすか?」


「それは貴女ごときには関係の無い事です。貴女は黙ってこの旅館で他の人間でも護ってなさい」


 仄に冷たく言い放つ着物の女。


 着物の女の狙いや動機は分からない。けれど、雪緒が動きやすいようにしてくれるのはありがたい。


 結局、仄が何度も雪緒を説得したものの、雪緒の考えは変わる事も無く、さりとて仄に選択肢は無く、泣く泣く雪緒を見送るはめになったのだ。


「本当に大丈夫っすか? 異形が来たらどうするんっすか? 何か手はあるんっすか?」


「うるさいなぁ……無いよ。手立ても勝算も全部無い。知識だって無いし経験だって無い。俺には全部無いよ」


 やけくそ気味に言いながら立ち上がる雪緒。


「俺はお前みたいに誰かを助けられるだけの力は無い。でも、この子と雛ちゃんだけは絶対に助けなきゃいけないんだ」


「……どうして、道明寺さんがそこまでするっすか? 言っちゃなんですけど、赤の他人っすよね? その子も、雛ちゃんって子も」


「そうだな。でも……」


 雪緒は風呂敷に包まれた赤子を見やる。


「もう何もしないのは嫌なんだ」


「そうっすか……。はぁ……本当は行ってほしく無いっすけどねぇ……」


 仄の視線は少し離れたところに立つ着物の女に向けられる。


 何故だか雪緒の肩を持つ着物の女に圧力をかけられ、仄はこの場に居る事を余儀なくされている。


 最早説得も無駄だと分かれば、仄に出来る事は一つだけだ。


「これ持って行ってくださいっす。何も無いよりはマシなはずっすから」


 そう言って仄は雪緒に一本の短剣を渡す。


「悪いな」


「そう思うなら行かないで欲しいっすけどね」


「悪いな」


「おざなりっす! ちゃんと謝って欲しいっす!」


「全部終わったら、好きなだけ謝ってやるさ」


 短剣を握り締め、雪緒は旅館を後にしようとする。


 そんな雪緒に、着物の女が声をかける。


「雪緒さん。臍の緒を辿ってください。薄っすらとですが、今の雪緒さんなら見えるはずですから」


「分かった。……あんたにも戻ったら訊きたい事が山ほどある。逃げないでいてくれると助かる」


「ふふっ、ではゆるりとお待ちしておりますね」


 雪緒の言葉ににこやかに笑みを浮かべて返す着物の女。


 多分、戻って来たところで姿をくらまされているだろうとなんとなく思いながら、雪緒は旅館を後にした。

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