第18話 子供

「とまぁ、憶測にはなるっすけど、きさらぎ駅の全容はこんな感じっす。きさらぎ駅の事を理解している陰陽寮からしても、今回の件は訳わかめっすね!」


 仄は晴明の事を知らない。けれど、奇しくもきさらぎ駅の説明は晴明と同じ程度の理解度だった。


 陰陽寮はきさらぎ駅の発生する理由を知らない。けれど、対処の方法は理解している。


 怪異の専門家である陰陽寮所属の陰陽師である仄がお手上げ状態なのであれば、雪緒に対処できる道理は無い。


 そう考えてくれると思い、仄は全てを話したのだ。


「……この場所の事は分かった。それとキヨさんが諸悪の根源ってどう繋がるんだ?」


「あー……」


 雪緒に問われ、仄は言葉に詰まる。


 あえてぼかした所を突っ込まれたのだ。キヨを良く思っている雪緒に真実は話しづらい。


 けれど、この旅館に居ればいずれは気付く可能性のある事だ。仮に仄がこの旅館を出て行ったとして、雪緒がじっと待っている訳が無い。


「雪緒さん、歩けるっすか?」


「ああ、問題無いけど」


「それじゃ、一緒に来て欲しいっす」


 仄が立ち上がれば、雪緒は痛みに顔を顰めながらもゆっくりと立ちあがる。


「大丈夫っすか?」


 言いながら、仄が手を差し伸べるけれど、雪緒は差し伸べられた手を払いのける。


「大丈夫だ」


「そっすか」


 優しさを無碍にされて面白いはずが無い。仄はむすっとした表情を浮かべながら、目的の場所へと向かう。


 質素だけれど趣のある内装の旅館。普段であれば人々で賑わうだろう旅館も、今は人の気配は――


「此処俺達以外にも誰か居るのか?」


 ――無い、訳では無かった。


「居るっすよ。此処に迷い込んだ人達を、ウチがこの旅館で保護してるっす。って、さっきも言ったっすよ」


「そうだったっけか……」


 自分の事で手一杯で、仄の話をまったく聞いていなかった。


 そして、仄と自分との違いに愕然とする。


 雪緒はただ連れ込まれただけだ。まだ誰も助けられていないし、その手立ても無い。


 けれど、仄は誰かを助ける力も在れば手立ても在る。


 雪緒のようにただ助けたいという意志だけ携えて来た訳では無いのだ。覚悟と手順を持って、このきさらぎ駅に来たのだろう。


 きっと、雛を助けるのだって雪緒じゃなくたって良い。いや、仄の方が適任まであるだろう。


 だって雪緒はただの素人であり、仄はその道の専門家なのだから。雪緒が勝手に首を突っ込んだ方が話がややこしくなるのだ。


 知らず、拳を握り締める雪緒。


 そんな雪緒の心中に気付いた様子も無く、仄は旅館の入り口で脚を止める。


「これっす」


 そう言って仄が指差すのは、一つの写真。


「え……これって……」


 壁には幾つか写真が飾られており、どれも白黒だ。


 だが、問題はそこではない。


 仄が指差す写真。そこに、見覚えのある人物が映っていた。


「キヨさん……?」


 着物を着て、笑顔で料理を配膳している女性の写真。その女性は紛れも無く島村キヨであった。何せ写真の下に白い紙がはみ出ており、そこに『大正二年 五月四日 島村キヨ』と書かれていたのだから。


「大正……って、どういう事だ?」


「知りたいですか、雪緒さん?」


「「――っ」」


 雪緒の直ぐ真後ろ。背後にぴたりとくっつくように女は雪緒の耳元で囁いた。


 突然の事に驚愕しながら、慌ててその場から退いて背後を確認する雪緒。


 そこには、いつの間にか着物の女の姿が在った。


「あんた……!」


 雪緒をきさらぎ駅に入れた張本人である正体不明の着物の女は、驚く雪緒の顔を見てくすりと微笑む。


「誰っすか、あんた」


 いつの間にか取り出していた日本刀を構え、雪緒を庇うように雪緒と着物の女の間に割り込む仄。


 雪緒も仄もまったく着物の女の気配を感じなかった。音も匂いも、何も感じなかったのだ。


 こんなに近くに居て、息遣いも衣擦れの音も聞こえる程なのに、まったく感知出来なかった。


 明らかに自分達よりも格上の存在。それも、いつだって二人を殺せる程の実力を持つ存在。その事を理解しているから、雪緒と仄の表情は険しい。


 険しい表情を浮かべる二人とは対象に、着物の女の表情は余裕綽々といった様子だ。


「教えて差し上げましょうか、雪緒さん?」


 仄の問いには答えず、雪緒に問いかける着物の女。


「教えるって……キヨさんの事か?」


「ええ、そうです。あの女が何者で、何が目的か。私は全て知ってますよ」


「どうしてあんたが知ってるんっすか?」


 仄の問いに答える事無く、着物の女は真っ直ぐに雪緒を見る。


 まるで、仄など居ないと言わんばかりに存在を無視し続ける着物の女に、仄はむっと眉を寄せる。


「この人が知ってても不思議じゃない。何せ、此処に俺を招いたのもこの人だからな」


「それ本当っすか?」


「ああ」


「めっちゃ重要参考人じゃないっすか……!!」


 招いたという事はつまり、この世界の仕組みを知っていると言う事に他ならない。


 仄の中で着物の女の重要度と警戒度が上がる。


「うふふ。それで雪緒さん。知りたいですか? 彼女の事を」


 本音を言えば、知りたい。けれど、知ったところで雪緒に止められるとは思えない。


 何が何でも雛を助けなければいけない。その気持ちに変わりはないはずなのに、どうしても自身の力の無さに目が行ってしまう。


 雪緒が答えに窮していると、ふと玄関の先に気配を感じた。


 異形かと思ったけれど、それにしては弱く、また優しい・・・


 雪緒は二人から離れ戸まで向かう。


「道明寺さん?」


 突然の事に訝しむ仄に対して、着物の女は変わらずに笑みを浮かべる。


 玄関の戸を開ければ、そこにはナニカが居た。


「お前は……」


 玄関先に居たのは、キヨが見て取り乱した存在。


 キヨはずっと追って来る異形だと言っていた。雪緒は遠目にしか見ておらず、その姿形もはっきりと認識できていなかった。


 折り畳まれた手足。丸まった背筋。所々血で汚れてしまっているけれど、一目見て分かる。


「赤ちゃん……?」


 それはまごう事無き人間の赤子だった。はいはいも出来ないくらいの年齢だろう事は見れば分かる。


「どうしてこんな所に……」


 しゃがみ込み、どうすべきか悩んでいる間に着物の女が雪緒の背後から胎児を覗き込む。


「あらあら、此処まで来たんですね」


「知ってるのか、この子の事?」


「ええ、勿論」


 頷き、事も無げに着物の女は言い放つ。


「この子は、島村キヨの子供・・ですよ」





 きさらぎ駅内。旅館から正反対に在る、まるで事故でもあったかのような痕跡の残る交差点に、おどろおどろしい肉塊が屹立していた。


 それは生き物のように蠢き、胎動し、脈打つ。


「……大丈夫。今度こそ、強く産んであげるからね」


 その肉塊に寄り添い、優しく撫でるキヨ。


「今度こそ、絶対に……」


 肉塊は胎動する。誕生の瞬間を待ちわびながら。

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