第17話 結界

「晴明様は、きさらぎえき・・・・・・をどうお考えなのですか?」


 横になる雪緒に布団を掛けながら、冬は晴明に問う。


「ああ。大方のあたりは付けておる」


 冬の用意した酒を飲みながら、晴明は雪緒を見やる。


「此奴はきさらぎ駅が異界であるかのように言うたが、此奴の言うきさらぎ駅は、おそらく異界ではない。未知の領域である事は確かだがな」


「ですが、現世とはまた隔絶された世界なのですよね? それはもう異界では?」


「かもしれぬが、異界と呼ぶにはあまりに出入りが簡単すぎる」


 きさらぎ駅には電車に乗らないと行けない。どのネット掲示板の記事にも、電車に乗っていたらいつの間にかきさらぎ駅に居たと書いてあった。と、雪緒が言っていた。


 何を言っているのかさっぱり分からないところも在ったけれど、電車という物に乗らなければ入れないと言うのは分かった。


「簡単、ですか?」


「ああ。異界は簡単に入れるものではない。そう考えれば、此奴の言うきさらぎ駅は異界というよりも結界に近いように思う」


「つまり、たまたま入れた訳では無く、入れる者を選んでいるという事ですか?」


「ああ」


「むむむ。どういう事でありますか?」


 話を聞いていた小梅が難しい顔をして小首を傾げれば、晴明は滞る事なく流暢に説明をする。


「結界とは、内と外を隔てる境界だ。私達陰陽師はその結界を意図的に作る事が出来る。更に、その結界にある程度の条件を組み込む事も可能だ。この都の結界にも悪しき者の侵入を拒む効果が在る」


 だからこそ、京の都は安全なのだ。加えて、この場合悪しき者でなければ誰でも出入り出来るという点も重要だ。


「また、家屋も結界だ。例えば段差、例えば仕切り、例えば戸。あちらとこちら、内と外。それを隔てる境があれば結界となる」


「ほほぉ。そんなに簡単に結界が作れるのでありますなぁ!」


「この場合、作るでは無く、そう成ると言った方が正しいだろう。ともあれ、今重要なのは、結界とは出入りに条件を付ける事が出来ると言う事。そして、その条件は異界に入るよりもかなり緩いという事だ」


「なるほどでありますなぁ」


 晴明の説明に納得したように頷く小梅。


「……つまり、主殿の向かったきさらぎ駅という場所は、異界では無く結界であると言う事でござりますか?」


「いや。結界に近いが、完全に結界という訳ではない。何せ、きさらぎ駅は現実に存在しないのだからな」


「むむむぅ? どういう事でござりまするか?」


 頭に疑問符を浮かべながら、小梅は小首を傾げる。


 そんな小梅に、晴明は丁寧に説明をする。


「まず前提条件として、異界は存在する。此処とは異なる世界は、確かに在る。高天原たかまがはら黄泉よもつくにがその最たるものだ」


 高天原が天国、黄泉国が地獄。それくらいは、小梅も知っている。


「けれど、これは極端な例だ。この世には、大きな異界以外にも、小さな異界も存在する。名の無い、小さな世界だがな」


「その一つが今回のきさらぎ駅なのでござりますか?」


「いや、違う。今回のきさらぎ駅は、人を招きすぎておる。言うたであろう? 異界とはそう簡単に入れる場所ではない」


 招きすぎている。そんな理由で異界ではないという晴明。


「黄泉国に行くのに死ぬ必要があるように、異界には入るための決まり事があるのだ」


「決まり事?」


「ああ。規則と言い換えても良い。そもそも、異界と現世うつしよは隔たりが大きい。死という覆しようのない重要条件が無いと黄泉国に行けぬように、別の異界にも入るためにも条件が必要だ。しかし、隔たりが大きいゆえに、その条件は狭くか細い。異界に行けたとあれば、殆ど奇跡とも言えるだろうな」


 そんな奇跡のような所業が、何度も行われてたまるかと、晴明は付け加える。


「何度も、大勢を招ける……いや、この場合誘い込む、と言った方が正しいか。そんなものは異界とは言わぬ。招ける条件も、おそらくはかなり広く、大雑把だ。……まぁ、時を超える此奴を見ていると、異界の方が行きやすいとは思えてくるがな」


 時間の流れには誰も逆らえない。それは晴明であっても同じ事だ。その流れに逆らって過去に来た雪緒を見てしまえば、異界の隔たりはそう大きなものではないかもしれないと思ってしまう。


「ともあれ、此奴の時代のきさらぎ駅は異界ではない。私の使う結界よりも選考基準が細かいが、異界と言うにはいささか大雑把だ」


「だから、結界に近しいって事でござりますか」


 結界とも言い切れない。けれど、異界ではない。だからこそ、結界に近しいとしか言えないのだ。何せ、晴明はきさらぎ駅を直に見た訳ではないのだから。その言葉も、多少はあやふやにもなる。


「ですがその場合、そのきさらぎ駅とはどこにある事になのですか? 異界では無いのでしょう?」


 晴明の敷く結界は京の都を守護するための結界だ。その結界に近しいという事であれば、どこかに必ずその陣が敷かれているはずなのだ。


 そして、それは実在する場所で無ければいけないだろう。廃線になった駅をきさらぎ駅として作り変えて陣を使って誘い出す、という事も出来るかもしれないけれど、そもそもの話、雪緒の住む町に廃線になった駅など無い。


 だから、きさらぎ駅がどこに、どうやって存在しているのかが分からないのだ。


 冬がそうと知っている訳では無いけれど、冬の問いももっともだ。


 晴明は特に考える間も無く答える。


「おそらく、黄泉路だろう」


「黄泉路。ああ、なるほど……」


「黄泉路とは黄泉へと続く道。黄泉路は道であって異界ではない。常世と現世を繋いでるゆえ、比較的迷いやすくはある。そこにきさらぎ駅を作り閉じ込めれば、現世では行方知れずとなるだろう」


「確かに、黄泉路であればそこかしこに繋がってはいますね」


 死が多いところは黄泉と繋がりやすい。死とは最も黄泉に近い概念だからだ。


 ただ、迷い込む程度。先程晴明が言った通り、死人では無いゆえ、黄泉へと行く事は出来ない。


 少し迷った後で現世に戻れる事が殆どだ。


「まぁ、もし仮にきさらぎ駅が結界で、それが黄泉路に作られているとしてだ。その者は相当な実力者だろうな。悔しい限りだが、私よりもな」


「え、晴明様よりもですか?」


「ああ。私の陣はそれほど細やかに入る者の選択は出来ぬ。それに、きさらぎ駅が黄泉路にあるとして、その黄泉路にどうやって町を作るのかが分からぬ」


「晴明様でも分からないなんて……」


「まぁ、当たり前と言えば当たり前だ。私の知識は此奴の時代に比べれば古臭いものだ。私の知識だけがこの世全てでもあるまい」


 言って、酒を呷る晴明。


 確かに、きさらぎ駅は現代の怪異だ。平安には、本来なら名前すら上がらない怪異。現代の怪異の事を、現代の事を雪緒の口伝でしか知りえない晴明には、その詳しい全貌を知る事が出来ない。


「なんにせよ、此奴が首を突っ込むにはこの事件あまりにも危険が過ぎる。馬鹿な事をしたものだ」


 酒を呷り、晴明は外へと視線を向ける。


「……今宵は、長くなりそうだな……」

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