第16話 陰陽寮

 目を開ければ、じっと雪緒の顔を覗き込む小梅と目が合った。


「うおっ」


 驚き、びくりと身を震わせる雪緒。


「おはようござりまする、主殿」


 目を覚ました雪緒を見て、ひしょひしょと小さな声でお早うの挨拶をする小梅。


「お、お早う、小梅……」


 顔を覗き込まれているのでそのまま起き上がると小梅に頭突きしてしまう事になる。なので、雪緒はずりずりと身体をずらしてから起き上がる。


「捜索は順調でござりますか?」


 小梅に問われ、雪緒は表情を曇らせる。


「見付けはした……けど……」


「けれど?」


 答えず、雪緒は拳を握り締める。


 助けられなかった。それどころか、訳の分からない状況に陥っている。


 キヨは雛を自身の子だと言った。だが、それが間違いである事は明白だ。何せ、雪緒は雛の両親を知っている。キヨと雛の母親の顔は似ても似つかない。


 それでも、キヨは明確に雛を狙っていた。そこには何か思惑が在るはずなのだ。


 加えて、仄の存在も疑問に拍車をかけている。


 一つ分かる事が在るとすれば、最早雪緒の手に負えるような状況ではないという事だけだ。いや、そもそも雪緒の手に負えるような状況では無かった。雪緒はただいたずらに首を突っ込んだだけだ。


「その様子を見るに、早々に手詰まりになったようだな」


 不意に背後から声がかかる。


「晴明……」


 振り返れば、そこには呆れを隠しもしない晴明が立っていた。


「まぁ、当たり前だろうさ。怪異とは凡夫が関わるべきものでは無いのだからな。それも、確かな覚悟の無い凡夫であれば尚更だ」


「覚悟ならある。じゃなきゃ怪異に関わろうなんて思わない」


「そうか。だが、仮にそうだとして、前後が違うだろう? 其方は覚悟を持って怪異に関わった訳では無い。怪異に関わってしまったから覚悟を決めただけだ。後に退けぬから、前に進む事を選んでいるだけだ。それでは覚悟の意味も質も違う。其方のはただの消去法だ」


 馬鹿にするように言い、晴明は雪緒の近くに座る。


 肘掛けに肘を置き、冬がいつの間にか用意したお茶を飲む。


「仕方無しに選んだ答えを覚悟と言うでない。それは自分を誤魔化す方便だ」


「なんだよその言い方。俺は人を助けるためにきさらぎ駅に行ったんだ。怪異に関わる覚悟は十分にあったさ」


「見え透いた嘘を吐くな。そんな嘘で、他の誰を騙せてもこの私を騙せると思うなよ」


 晴明の鋭い眼光が雪緒を貫く。


「其方は覚悟を持っている訳では無い。其方は怖いだけだ。他人を助けられない自分が嫌なだけだ。その恐怖と嫌悪に振り回されているだけのただの凡夫に他ならん」


「そんな事――」


「無い、とは言うまいな? 何よりも、其方が一番よく分かっているはずだ」


 雪緒の反論を遮り、しっかりと雪緒の目を見据える晴明。


「自分に嘘を吐いて自身の行動を正当化しようとするな。嘘を吐いて誤魔化すくらいなら、開き直っている方がまだ可愛げがある。まぁ、だからと言って其方の行動を容認は出来ぬがな」


「……なら、俺から晴明に言う事は何一つだって無い」


 雪緒は晴明から視線を外す。


 後ろめたかった訳では無い。ただ、二人の気持ちも考え方が交わらないと分かったからだ。


 晴明は、雪緒が怪異に関わるべきでは無かったと思っている。力の無い者が人助けなどするべきではないと思っている。


 一方、雪緒の考えは晴明とは正反対だ。例え力及ばずとも、誰かを助けるために自分に出来る事をし続けるべきだと考えている。


 それが正しいか正しくないかは重要ではない。その想いを、考えを、譲れないからこそ平行線なのだ。


 でも、晴明の言う事は的を射ているのだ。酷いくらいに、雪緒の図星を突いてくるのだ。


 一度憤った頭がゆっくりと熱を冷ましていく。


 晴明の言った通り、雪緒だって分かっている。覚悟は後付けで、理由も後付けで、想いだけがずっと前を進んでいる。


「俺達は平行線だ。俺は、俺がやりたいようにやる。俺は、例え俺が死んでもあの子を助ける」


「死ねば元も子もなかろう」


「だとしても、俺はそうしなきゃいけない。それが、お前の言う自己満足に生かされた俺の義務だからな」


 自分に正しさが無い事は分かっている。けれど、正しい事が雪緒にとっての正解ではない。


「意地っ張りな奴め。ならば勝手に死ね。意地のために死ねるのであれば、其方も本望であろう」


「ああ」


 晴明の言葉に一つ頷く雪緒。


 そうだ。死んだって良い。それで雛を救えるのであれば、それで良い。その覚悟だけは、いつだって在るのだから。





 緩やかに意識が浮上する。それと同時に、確かに身体に走る痛みに穏やかな意識が刺激される。


「っ、てぇ……」


「あ、起きたっすか?」


 痛みに顔を顰めながら目を覚ませば、傍らから仄の声がかけられる。


 仄は雪緒を覗き込むようにして様子を窺う。


「軽く診てみたっすけど、多分骨に罅入ってるっすね。ちゃんと安静にしないと駄目っす」


 覗き込む仄の顔を手でどかし、雪緒は身体を起こす。


 どれくらい寝ていたか、なんてどうでも良い。平安と現代では時間の流れに大差はない。向こうに居たのはほんの二~三十分程度だ。聞いて確認するまでも無い。


「此処は?」


「旅館っす。無事だった人を此処に集めてるんっすよ。と言っても、数は全然多く無いっすけど……」


「そうか」


 しょんぼりと落ち込んだ様子を見せる仄。


 だが、雪緒は仄の感傷に浸っている余裕が無い。


「お前、なんか知ってんだろ。教えてくれ。此処が何処で、何がどうなってるのか」


「知ってどうするっすか?」


「雛ちゃんを助ける。そのためには、キヨさんが何を考えてんのか知りたい」


 キヨを止めるには、きさらぎ駅の事やキヨの事情をよく知る必要が在る。


 どう考えても、仄は訳を知っている。雪緒が知らない事でも、仄であれば知っているはずだ。


「そういう理由なら教えられないっす。道明寺さんは一般人っすからね。力も無いのにこれ以上首を突っ込まれても困るっすから」


 しかして、仄はにこっと笑みを浮かべて毒を吐くだけで何も教えるつもりは無いと言う。


「そうかよ……」


 どれだけ言っても無駄だろうと考えた雪緒は、立ち上がろうとする。


「ちょっ、駄目っすよ動いちゃ! 手当したとは言え、ちゃんと治療が出来た訳じゃ無いんっすから!」


 立ち上がろうとする雪緒の肩を抑える仄。


 雪緒は仄の手を乱暴に振り払う。


「こんなとこでじっとしてる間に、雛ちゃんが危ない目に遭ってんだよ。手当してくれた事には感謝するけど、もうほっといてくれ」


「ほっとける訳無いじゃないっすか! 道明寺さん、相手が誰だか分かってるっすか?」


「島村キヨ。旅館の女将さんで、俺の事を助けてくれた人だ」


「そう言う事じゃ無いっす! それに、あれは人間じゃ無いっす! 話が通じる相手じゃないっすよ!」


「お前に何が分かるんだよ! ちゃんと話したから分かる。あの人は優しい人で、意味も無くあんなことをするような人じゃない。……事情を聞いて、何か別の解決策を見付ければ――」


「こんな事止めてくれる、っすか? 道明寺さん、それは現実を見なさすぎっす」


 呆れを通り越して失望でもしたような目で仄は雪緒を見る。


「幽霊が見えるから、多少なりは分別が付いてると思ってたっす。でも、ウチの思い違いだったらしいっすね」


「お前の評価とかどうでも良い。現実なら見てる。その上で俺は、あの人を助けるって決めたんだ」


「無理っすよ。助けるも何も、あの人が諸悪の根源っすからね」


「……諸悪の根源? どういう事だ?」


 諦めたように溜息を吐き、居住まいを正す仄。


「道明寺さんにうろちょろされても迷惑なんで、本当の事を話すっす」


 事情を話してくれると分かり、雪緒もいったんは居住まいを正す。


「まず、ウチの事っす。ウチは陰陽寮に所属する国家公認の陰陽師っす」


「陰陽師って……晴明と同じ」


「そうっす。安倍晴明と同じ陰陽師っす。平安から千年以上続く、対怪異専門の特殊機関っすね」


 何か知っているとは思っていたけれど、まさか陰陽師だとは思っていなかった。何せ、陰陽師が存在したのは千年も前の話だ。怪異や妖怪が創作物として周知されて久しい現代に、まさか陰陽師が存続しているとは夢にも思わない。


「陰陽寮はここ最近の失踪に怪異が関わっていると判断したっす。きさらぎ駅の話もネットで出回っていたっすからね。きさらぎ駅に迷い込んだ人を救出して、幽世と現世が曖昧になった境界を正常に戻して問題解決!! って、思ってたんっすけどね……」


 仄の言っている事は良く分からないけれど、陰陽師の方では既に解決策を見つけていたという事だけは分かった。だが、想定外の事態が発生したのだろう。


「此処、きさらぎ駅じゃなかったんすよ。いや、きさらぎ駅は在るし、看板にも書いてあるんっすけど……どうにも、実在するきさらぎ駅と違うみたいなんっすよね」


「何個もあるとかそういう話じゃないのか?」


 きさらぎ駅以外にも異界駅は存在する。きさらぎ駅が二つくらい存在していても不思議はないように思える。


「それも考えたんっすけど、やっぱり違うみたいなんっすよね。基本的に異界って入るのが難しいんっすよ。立て続けに何人も異界に入れるのがおかしいんっす」

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