第15話 邂逅

 二人は街の反対まで無事に辿り着く事が出来た。


 キヨの言った通り、街の反対には駄菓子屋と公園が在った。


 公園は雪緒が思っている以上に大きいものだった。てっきり、子供が少し遊べる程度の規模かと思ったけれど、大きな池や鉄棒、ぶらんこや回転塔などの遊具の在る立派な随分と公園であった。


 広大な範囲を持つ公園には所々に異形が居り、遊具で遊んだり、長椅子に座っていたり、池を覗き込んでいたりと様々な様子を見せている。


 やっている事は可愛らしいけれど、その存在の禍々しさは隠しきれない。


 物陰からざっと公園内を見渡してみるも、小柄な影は在れど少女の姿は見当たらなかった。


「別のところを探しますか」


「そうね……」


 公園を離れ、別のところを探す事にする二人。


 ざっと見ただけだけれど、公園に探し人は居ない。何せ、公園にはろくに隠れられる場所が無い。ざっと見るだけで充分だった。


 現代の公園のように巨大なアスレチックが在る訳でも無ければ、小山に出来たトンネルが在る訳でも無い。隠れられる場所が無いのだから、探すだけ無駄である。


 公園から離れ、別の場所を探そうとしたその時、雪緒の目に一つのお店が目に入る。


 硝子張りの格子戸が開かれ、中に駄菓子の並んだ棚が見える。


 雪緒の知らない駄菓子や、包装は違えど知っている駄菓子などが並んでいた。


 警戒の中に一瞬だけ興味が湧き上がる。


 ちらりと、雪緒は駄菓子屋の中を覗き込む。


「……っ」


 駄菓子屋の奥。棚と棚の狭い隙間。外からは見えず、雪緒みたいにちょっと角度を付けて覗き込まないと見えないくらいの場所。そこに、人影が在った。


 人影からは少なからず異形と同じく妖しい気配を感じた。けれど、こうして近付いてみなくては分からない程の気配だ。


 妖しい気配を感じて、警戒を強める雪緒。


 だが、どうもおかしい。少しの違和感が雪緒の中に生じる。


 雪緒は一歩踏み出して駄菓子屋へと踏み入る。


 人影は背を向けながら、必死に何かを食べているようだった。


 よく見やれば、周囲には駄菓子の袋が散らばっており、よく耳を澄ませば、包装を破く音と乱暴に駄菓子を咀嚼する音が聞こえてきていた。


 乱れた長い髪は、申し訳程度に側頭部に括られている。土や埃で汚れた服は所々に穴が空いており、靴も何処かで無くしたのか片方しか履いていなかった。


 汚れ、穴が空き、ぼろぼろになってはいるけれど、雪緒には見覚えのある服装だった。


 何せ、彼女は服を数着しか持っていない。付き合いは短くとも、憶えてしまうのは容易だった。


「……雛ちゃん?」


 ゆっくりと、雪緒は声をかけた。


 声を掛けられた背中はびくりと大袈裟な程に跳ねるけれど、やがて恐る恐る雪緒の方へと顔を向けた。


 雪緒を見た人影は、その可愛らしい目をこれでもかと見開いた。


「お兄さん……」


「――っ、雛ちゃん!」


 声を上げ、雪緒は少女――雛の元へと向かおうとした。


 彼女こそ雪緒が探し求めていた少女だ。確証なんて少しも無かったけれど、見付けられた事に心底から安堵する。


「こ、来ないでっ!!」


 だが、雪緒が近付こうとしたその時、雛は金切り声を上げて雪緒を拒絶する。


 蹲り、背中を向けて身体を丸める雛。


 まさか拒絶されるとは思っていなかった雪緒は、思わず呆気にとられてしまう。


「お、俺だよ雛ちゃん。公園で遊ぶお兄さんだよ。俺、雛ちゃんを探しに来たんだ。お母さんも、心配してるから、一緒に帰ろう?」


「嫌、来ないで!!」


 優しく声をかけても、返ってくるのは拒絶の声だけだ。


「雛ちゃ――」


「お願い……!!」


 雪緒の言葉を遮り、ぎゅっと自身の身体を抱きしめる雛。


「わたしを見ないで・・・・……!!」


「見ないで……? 雛ちゃん、何言って――」


 言葉の途中で違和感に気付いた。気付いてしまった。


 自身の身体を抱きしめる雛。その行為自体におかしな点は無い。だが、明確におかしな部分が在る。


 自身を抱きしめる手。その数が、一つじゃ無いのだ・・・・・・・・


 右に三つ、左に二つ。指の本数もバラバラで、腕の関節の数も、腕の長さもバラバラだ。だが確かに複数の手が雛の身体を抱きしめていた。


 嫌な予感が脳裏を過ぎる。いや、予感では無い。もう目に見えた結果だ。まごう事無き事実だ。ただ、雪緒が受け入れたく無いと思っているだけだ。


「雛ちゃん……それ……」


 雪緒が雛の変化について口に出そうとしたその時――


「ごめんなさい、雪緒くん」


 ――キヨの声が聞こえて来たと認識した直後に、身体に衝撃が走る。


 一瞬、喉を締め付けられたと思った。苦しみを感じる前に、今度は宙を浮く浮遊感。その少し後に背中に走る衝撃。


 無様に地面を転がり、雪緒はようやく何があったのかを理解する。


 首根っこを掴まれて、後ろに放り投げられたのだ。


 誰に? そんなの、答えはもう出ている。


「ぇほっ、げほっ……!! ……なんで……っ!!」


 咳き込みながら身体を起こし、雪緒は自身を投げた張本人――キヨへと視線を向けた。


 雪緒は道の端まで転がされている。


 首根っこを掴み引っ張って道の反対へ飛ばす。キヨの細腕では、決して出来ない芸当だ。いや、キヨ以上の体格の者でも、雪緒を道の端まで投げ飛ばすのは不可能だ。


あの人・・・の言う通りだった。貴方と一緒に居れば、必ず見つかる。貴方を信じて良かったわ」


 人間のなせる限度を超えている。それはつまり、その者が人間では無いという証左でもある。


「ごめんなさい、雪緒くん」


 キヨは雪緒を振り返らずに謝る。


「何が……何がごめんなさいなんですか……ッ!!」


 痛む身体に鞭打って立ち上がる。


「動かないで、雪緒くん。私、雪緒くんはこれ以上傷付けたく無いから」


 言いながら、キヨは雛の元へと歩く。


「ひっ……!!」


 引き攣った声を上げて、雛は逃げようとするけれど、あっさりとキヨに掴まってしまう。


 キヨは雛の腕を引き、その身体を引きずって駄菓子屋の外へ出ようとする。


 何が起こっているのか、キヨが何を考えているのかは分からない。けれど、何か良くない事をしようとしているのだけは理解が出来る。


 頭の中が混乱で渦巻く。


「待ってくれキヨさん、ちゃんと説明してくれ!!」


 キヨへ詰め寄り、事の次第を問い質そうとする雪緒。


「来ないで」


 キヨは雪緒を睨みつける。


 しかし、睨まれたくらいで納得できる訳が無い。


 キヨへと詰め寄る雪緒。けれど、突如として雪緒の身体に衝撃が走る。


 衝撃に吹き飛ばされ、ごろごろと転がっていく雪緒。


「ぐ……っ」


 先程のキヨが引っ張ったのとは比べ物にならない程の衝撃。


 雪緒をどかすための力では無い。雪緒を害するための力で吹き飛ばされたのだ。


 衝撃に顔を顰めながら、地面に這いつくばって衝撃の方へと視線をやる。


 そこには、一体の異形の姿が在った。その異形はキヨを攻撃する事無く、雪緒の方にだけ意識を向けているようであった。


 異形一体だけでも雪緒の手に余る。だと言うのに、事態は更に悪化の一途をたどっていく。


 公園から、曲がり角から、家の中から、わらわらと異形が現れる。


 そのどれもが身の危険を感じる程に嫌な雰囲気を纏っている。本来では即座に逃げなければいけない状況だけれど、全ての異形がキヨに敵意を向ける事も無くキヨの周りに留まっている。


 今すぐに逃げなければいけない。それは分かっているけれど、雛を置いて逃げられる訳がない。


 こんな訳の分からない状況だ。それに、命の危機を感じる程の悪い状況でもある。逃げ出したところで責められる事なんて無いだろう。誰が見ている訳でもない。逃げたって、誰も雪緒を責めないし、そもそもそんな事実が在った事すら表に出ない。


 きさらぎ駅こんな場所で起きた事を、誰がどうやって世間に広める事が出来よう。よしんば広めたところで、確証の無い噂程度にしかならない。世間からすれば、非現実的な在り得ない場所なのだ、此処は。


 けれど、そんな事、誰が許しても自分が許さない。


 倒れている雪緒に心配そうに眼差しを向ける雛。その眼差しには心配以上に、恐怖の色が含まれている。当たり前だ。こんな状況で恐怖を覚えないはずが無い。


「ぐっ、そ……!!」


 雪緒は痛む身体に鞭打って立ち上がる。


 他人からの忠告や心配を裏切って此処に来た。自分勝手だし、馬鹿な行いである事は十分わかっている。


 それでも、雛の助けを求める眼差しを裏切る事は出来ない。


 立ち上がった雪緒を、キヨは白けた目で見やる。


「……その子……その子、俺が探してた子です。返してください、キヨさん」


 痛みに顔を顰めながら、雪緒はキヨを真っ直ぐ見やる。


 キヨが何を考えているのかは分からないけれど、雛がキヨの子供では無い事はあまりにも明白だ。


 その上でキヨが雛を自分の子供だと言い張るのであれば、それは何ならかの企みあってこそだろう。


「駄目よ。この子は、私の子だもの。誰にも渡さないわ」


「その子は貴女の子供じゃない! ちゃんと両親が居て、ちゃんと帰る家が在るんだ!」


「いいえ。私の子よ。例え私が産んでなくてもね、産み直してしまえば私が親。そうでしょう?」


「何を言って……」


 訳の分からない事を言い出すキヨに、雪緒は困惑する。


 困惑を示す雪緒を余所にキヨは続ける。


「私ね。強い子を産みたいの。今度こそ、ちゃんと強い子供を産んであげたいのよ……」


 雛を掴む腕に力が入る。


 雛が痛みに顔を顰めても、キヨは力を緩める事が無い。


「この子を産んで、今度こそ私はちゃんとした母親になるの。だから、ごめんなさい雪緒くん。分かってくれなんて言わないわ。私の苦しみは貴方には分からないのだから」


 もう話す事は無いとばかりに、キヨは踵を返す。


「や、や……っ!」


 嫌がる雛を無理矢理引っ張り、キヨは歩き出す。


 歩きだしたキヨに異形達も続く。


「待ってくれ! その子はキヨさんの子供じゃないんだ! 分かるだろ!?」


 痛みに顔を顰めながらも、キヨを追おうとする雪緒。


「来ないで、雪緒くん。邪魔するなら、雪緒くんも殺さなくちゃいけなくなるから。私、雪緒くんは殺したくない。だから、分からなくても納得して」


 振り返る事も無くキヨが言う。


 泣きながら、雛は雪緒を見る。


 それでも、声を上げない。いや、上げられないのだ。声の上げ方を知らないのだ。


 大丈夫。分かっている。目だけで充分伝わる。


 必死に脚を動かす。


 必死に身体を前に押し進める。


 けれど、キヨ達の歩く速度の方が速い。必死に追い縋ろうとしても、その倍以上の速度でキヨ達は離れていく。


 やがてキヨ達の姿が見えなくなったところで、雪緒にも限界が訪れる。


「くっそぉ……っ」


 地面に倒れ込み、それでもなお前に進もうと手を伸ばす。


 そんな雪緒に影が差す。


 異形かと思い焦るけれど、影の主は聞き覚えのある声で雪緒をなじる。


「はぁ……道明寺さんってバカっすよねぇ。大した力も無いのに来るっすか、普通?」


 雪緒の前に回り込み、その場にしゃがみ込む。


 影は雪緒のよく知る人物だった。いや、よくは知らない。ただ、知っているというだけだ。


「土御門……」


 顔を上げて名前を呼べば、土御門仄はにこっと可愛らしい笑みを浮かべる。


 けれど、その笑みに常の親しみは無く、あるのは雪緒に対する呆れたと怒りだけであった。


「こうなりそうだったから、釘を刺したんっすけど……どうやら余計な事をしちゃったらしいっすね」


 言いながら、仄は雪緒に肩を貸す。


「少し先に旅館が在るっす。寝るならそこで寝て欲しいっすね。地べたじゃ風邪ひくっすよ」


 冗談交じりに言う仄。けれど、雪緒は返す言葉が無い。そんな余裕、雪緒には無い。


 休んでる暇なんて無い。一刻も早く雛を助けに行かなければいけないのだから。


 そんな雪緒の思いとは裏腹に、身体はまったくと言っていいほど言う事を聞かなかった。


 徐々に意識が薄れていく。


 また晴明に小言を言われるのかと思いながら、雪緒は意識を手放した。

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