第13話 自己満足
「お早う。随分とまぁ、早起きなものだな」
雪緒が目を開けた途端に聞こえてくる冷たい声。
見やれば、少し離れた場所で晴明がお茶を飲んでいた。
月明かりに照らされながらお茶を飲む晴明は、まるで一つの絵のように美しく、文句のつけようの無い程に芸術的に見えた。
「おはよ……って、そんな時間でも無いだろ」
月明かりが在る事から分かる通り今は夜だ。おはようを言うにはいささか早過ぎる。
良く見れば、晴明もいつもの狩衣ではなく白の寝間着を身に纏っていた。
「ああそうだな。まだまだ夜は深い」
言いながら、晴明は湯気の立ったお茶を飲む。
「其方が先の世で寝ている間に魂だけこちらの時代に来ている。先の世の生活の仕様が今と変わらぬのであれば、其方は夜に寝ている事になるな」
「まぁ、そうだけど……」
「つまり、今起きた其方が寝ているのは夜では無い、と言う事だな。何せこんな夜更けに起きておるのだからな」
「そうなるな」
きさらぎ駅の中はずっと薄暗いので時間の感覚が狂うけれど、眠る前にキヨが見せてくれた懐中時計はお昼頃をさしていたので時間に間違いは無いだろう。
なんの悪びれもせずに頷く雪緒に、晴明は少しだけ眉を寄せる。
「……昼寝をしていた、という訳ではあるまい」
「そうだけど……なんで分かるんだ?」
雪緒が素直に問えば、晴明は苛立たし気に湯呑を置く。
「嫌に妖しい気配を漂わせておるのだ。気付かぬ方が難しいわ」
「気配……?」
「ああ。誰に付けられたのか知らぬが……相当強力な妖に出逢ったようだな。いや、魅入られと言うべきか。魂にまで印を付けられておるぞ、其方」
「え、そうなの?」
自分ではまったく分からない。身体にもなんの異常も無い。
けれど、一つ思い当たる節があるとすれば、電車の中で出逢った着物の女だ。
今まで出逢った中で一番危険だと思った怪異。逢った事も無いのに雪緒の事を知っていた事もあり、着物の女が雪緒の魂に印を付けた可能性は高い。
「ああ。寝ているところを飛び起きるくらいには色濃いな」
健やかに寝ていたところに急に我が家に見知らぬ妖の気配が現れたのだ。妖退治も請け負っている晴明からすれば、警戒して飛び起きるのも当然である。
雪緒が起きるまでに少々時間が在ったので、雪緒の様子を窺いながらお茶を飲んでいた、という訳だ。
「それは……ごめん」
「ふんっ。謝るくらいなら、何が在ったのか説明をしても良いのではないか?」
明らかに不機嫌な様子の晴明。
寝ているところを起こされたのもそうだけれど、雪緒が面倒事を背負ってきた事も晴明が不機嫌になっている原因だ。
不機嫌になっている晴明に対しての申し訳無さもあったけれど、自分が今まで経験をした事のない事態に対しての不安もあった。
怪異の専門家である晴明に相談すれば、事態を解決する光明が見えるかもしれない。自分から首を突っ込んでおいて光明を求めるなど、随分と都合の良い話かもしれないけれど。
「実は……」
雪緒は素直に晴明に今に至るまでの経緯を説明する。
きさらぎ駅に人探しに入った事。きさらぎ駅が俗に言う異界という場所になる事。きさらぎ駅に入る前に出逢った着物の女の事。今は、きさらぎ駅の中で少しの休息をとっている事。
平安に来るまでに在った事を説明すると、晴明は呆れたように溜息を吐く。
「……この大馬鹿者が」
「いや、だって……」
「だってもへったくれも無い。軽率に怪異に関わりおってからに……」
軽率に。そう言われ、雪緒は眉を寄せる。
「俺だって、軽率に関わった訳じゃ無い」
「いや軽率だ。其方、その様子だと怪異への対処の仕方も知らねば、きさらぎ駅から出る方法も知らぬのだろう?」
晴明の言葉に、雪緒は何も言えない。何せ、晴明の言葉はまごう事の無い事実なのだから。
「其方は危険だと分かっている場所に何の準備も無しに立ち入ったのだ。知識も道具も経験も無い其方の行動を、軽率と言わずに何と言う。ああ、言い換える言葉なら一つ在った。其方の行動は自殺行為だ。つまり、無駄で無為な行動だ」
きつい言葉で雪緒の行動を否定する晴明。
晴明の言葉が冷たいのはいつもの事だけれど、今回は雪緒の軽率な行動が更に晴明の言葉をきつく冷たいものにしている。
それでも、晴明の言っている事は正しい。反論の余地も無い程に正しいのだ。
それに納得できるかどうかは、また別の話である。
「無駄だなんて……晴明に何が分かるんだよ」
「なんだと?」
確かな怒りを持って言葉を返した雪緒に、晴明は厳しい眼差しを向ける。
「そりゃ、確かに軽率だったかもしれないさ。でも、人を助けたいと思ってした行動を、無駄で無為だなんて、そんな事言われたくない」
「はっ。馬鹿を言うな。力無い者の人助け程無駄なものは無い。それが多大な危険を伴うのであればなおさらだ」
晴明は雪緒の言葉を鼻で笑う。その言葉には確かな怒気と苛立ちが込められている。
「其方に力は無い。怪異を打倒する力も、異界から脱出する力も無い。そんな物が危地に飛び込んで誰に、何の特がある? 其方はただ怪異の被害者を一人増やしただけだ。それも、最も無駄な被害者だ」
雪緒の行動を無駄だったときっぱりと切り捨てる。
「じゃあ何もしない方が良かったてのか? 誰も手を差し伸べずに、あの子を見殺しにしろって言うのかよ!」
声を荒げる雪緒に、晴明は淡々とした口調で返す。
「少なくとも、其方が首を突っ込むような話では無い。一般人が首を突っ込むには、今回の件はあまりにも度を越している」
「人を助けるのに、度を超すとかそんな事関係無いだろ!」
「関係無いだと? それは強者のみに許された言葉だ。ただの凡夫が口にするな、おこがましい」
普段から厳しい目付きが、更に厳しくなる。
「其方が死ねば、仮に其方が誰かを助けられたとて、その助けられた者の重荷になる。その者はその重荷を一生背負っていく事になる。人助けだけして自分が助からないなど、それは本人の自己満足だ」
「自己満足、だって……?」
晴明の言葉に、雪緒が今までに無いくらいに怒りに満ちる。
「その自己満足に生かされたんだよ、俺は……!!」
それだけ言って、もう顔も見たく無いとばかりに背中を向ける雪緒。
雪緒の反応を見て、晴明は雪緒の触れられたくないところに触れてしまったのだと理解する。
けれど、晴明は自分の言った事が間違いだとは思っていない。怪異は、弱者が手を出して良い領域に存在していないのだ。
だがしかし、それでは納得できない何かが雪緒の中に在るのもまた事実。だからと言って晴明も意見を曲げるつもりは無い。怪異の専門家として特例などと言って意見を変えるような事は許してはいけないのだ。
どちらも自分が間違えているとは思っていない。だからこそ、話はそれで終わった。
雪緒が死ぬなら死ぬで、それで良い。平安に喚んでしまった事は、不本意ながら晴明の過失であるので責任を持つ。だが、雪緒がきさらぎ駅に入った事は雪緒自身の責任である。晴明が責任を持つ必要は無い。
なんでも好きなようにしたら良い。雪緒が死ねば晴明の手間も省けるというものだ。
晴明は立ち上がり、自身の寝床へと戻っていく。
「見張っておれ」
「かしこまりました」
廊下で待機していた冬にそれだけ命令しておく。
最早掛ける言葉は無い。話す時間も勿体無い。
雪緒への興味を無くした晴明。
一人残された雪緒は眉を寄せ、険しい顔で庭を睨みつけていた。
思い出すのは嫌な記憶。忘れたいけれど、絶対に忘れてはいけない記憶。自分の心に刻み付け、自分の無力を忘れないために、絶対に無くしてはいけない記憶。
「大丈夫でありまするか、主殿?」
いつの間にか直ぐ傍らに座っていた小梅が、心配そうな眼差しで雪緒の顔を覗き込む。
「……っ、ああ、大丈夫だよ」
眉間の皺を解して、雪緒は笑みを浮かべる。
笑みを浮かべる雪緒を見て、小梅は心配そうに耳を畳む。
「主殿は危ない事をしているのでありまするか?」
「……聞いてたのか」
「申し訳ござりませぬ、主殿。盗み聞きをした小梅を、どうかお許しくだされ……これでも、主殿が心配なのでありまする……」
「別に怒ってないよ。心配してくれてありがとう。でも、大丈夫だから」
小梅を安心させるように笑みを浮かべる雪緒。
大丈夫とは言うけれど、その言葉に根拠は無い。それは、小梅だって分かっている。
「……主殿、某を召喚してくだされ。そうすれば、某が主殿を御守りする事が出来まする」
護る。小梅のその言葉に嘘は無く、また過信も無いのだろう。実際、戦うだけの力は持っているのだと、晴明の言いぶりからも理解できる。
雪緒には無い、ちゃんとした強さを持っているのだろう。
「御免、無理だ……」
それが分かっていても、雪緒には無理だ。
「どうしてでござりますか? 戦えぬ主殿では、きさらぎ駅では――」
言いかけ、小梅は言葉を止める。
自嘲気味に笑みを浮かべる雪緒を見て、小梅も悟った。
何を言っても無理なのだ。例えそれが間違えた選択だったとしても、雪緒にとってはどうしようもないくらいに正しい答えなのだから。
「御免な」
静かな声で謝る雪緒。
「主殿……」
小梅は何も言葉を返せなかった。何せ、雪緒の事を何一つとして知らないのだから。
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