第12話 休憩

 街には人の影は無い。在るのは人が居た名残りだけ。


 洋食店、小間物屋、喫茶店、古書店、劇場。様々な店が軒を連ねる。


人間だけが突如として消えたような、そんな不自然な名残りがこの街には在る。


 本当にこんな街に探し人が居るのか不安になる。


 そもそも、居る確証も無いのに来たのだ。大した下調べをした訳でも無い。行方不明者が出ていると聞いて、もしかしたらと思っただけだ。


 本当にこんな場所が在る事については驚くけれど、探し人と因果関係があるかどうかは不明なのだ。


 無人の街をあてども無く練り歩く。


 居るかどうかも分からない人を探し、会えるかどうかも分からない道を行く。


「ひっ……!!」


 暫く歩いていると、突如キヨが引き攣った声を出す。


「どうしたんですか?」


 訊ねながら、雪緒は最大限警戒してキヨの視線の先を見やる。


 周囲に異形の気配は無い。自分が感知出来なかった脅威が目前に迫っていたのかと、雪緒は肝を冷やす。


 だが、そこに脅威は無かった。


 丁字路の辻、そこには小さなナニカが居た。


「なんだ、アレ……」


 小さな蠢くナニカは、不格好であり、不出来であり、不完全だった。少なくとも、雪緒にはそう見えた。


 よく目を凝らしてそのナニカの正体を突き止めようとしたその時、雪緒の腕をキヨが荒々しく掴む。


「キヨさん?」


 驚き、雪緒が声をかけるも、キヨの目には目の前のナニカしか映っていない。


「な、なんで……なんで……」


 うわ言のようにそう呟くキヨの様子は、明らかに尋常ではない。


 血色の良かった顔を蒼白にし、目を見開いて恐怖に震えている。


 あの時、雪緒を助けてくれた時には見せなかった、明らかな恐怖と動揺。


 痛みを覚える程に強く握られる腕。


 ナニカがずずっと身体を地面に擦り付けて前へ進む。


「嫌ぁぁぁぁぁぁあああああああああっ!!」


 直後、キヨが悲鳴を上げて走り出す。


 雪緒は何がなんだか分からないまま、キヨに腕を引かれて走る。


 雪緒にはキヨが何故そこまであのナニカに恐怖を覚えるのかが分からなかった。


 あのナニカが、悲鳴を上げて取り乱し、我も忘れて走り出すほどに恐ろしい存在だと、雪緒は思わなかった。


 異形と出会った時のような、冷たく肌を刺すような恐ろしさは感じなかった。それどころか、あのナニカからは何一つ感じる事は無かったのだから。


 アレは悪いモノではない。直感ではあるけれど、雪緒には分かった。


 では、何故キヨはこんなにも取り乱すのか。


 走りながら、雪緒は背後に居るナニカを振り返る。


 ずずっ、ずずっ、と身体を地面に擦り付けて動く。その姿は、どこかもの悲し気に見えた。





 暫く走って、キヨはゆっくりと脚を止めた。


 膝に手をついて、乱暴に走って荒れた呼吸を整える。


「……なんで……なんでいるの……?」


 荒い呼吸の中、うわ言のように呟き続けるキヨ。


 雪緒も呼吸を整えながら、取り乱したキヨの様子を窺う。


「大丈夫ですか、キヨさん?」


 雪緒が声を掛ければ、キヨは目を見開いたまま雪緒を見やる。


 暫く雪緒の目を見詰めた後、キヨはゆっくりと目を閉じて、ゆっくりと深呼吸をした。


「……ごめんなさい、取り乱しちゃったわね。もう大丈夫よ」


 にこりと笑みを浮かべるキヨ。けれど、一目見て無理をしていると分かる笑みだ。


「アレと何かあったんですか?」


 雪緒の言葉に、キヨは困ったように微笑む。


「……ずっと私を追って来る怪異なの。でも、大丈夫よ。そんなに危険が在る訳じゃ無いから」


 危険は無いと言うけれど、キヨの取り乱し様を見るにそうは思えなかった。


 確かに、危険を感じる程の気配は無く、害意を持っているようにも思えなかった。それは、雪緒も直感的にだけれど分かっている。


 だからこそ、何故キヨがあそこまで取り乱すのかが分からないのだ。


 突っ込んで話を聞くべきかどうか、雪緒が逡巡している間にキヨはふぅと一つ息を吐いてから話題を変える。


「いったん、休憩しましょうか。流石に、疲れちゃったわ」


 キヨとあのナニカとの関係はいったん横に置いておく事にする。気にはなるけれど、どう考えてもキヨはこの話題に積極的ではない。


 それに、そこそここの街を練り歩いた。流石に雪緒にも疲れが見え始めている。


「そうですね。少し休みましょうか」


 とはいえ、果たしてこの街にゆっくり休める場所が在るかどうか。


「近くに鍵の開いている家が在るから、そこで休みましょう」


「分かりました」


 キヨの案内の元、一つの家屋にたどり着く。


 洋風、けれど、やはりどこかレトロな見た目の一軒家。


 家の中に異形の気配は無いけれど、一応雪緒が玄関の扉を開ける。


 中を覗き込めば、ごく普通の見た目の家だった。とはえい、雪緒の見知った内装とは随分と違う。


板張りの床に、昔ながらの和家具に洋風の装飾が取り入れられた家具。花柄のカーテンに、同じ柄の上飾り。明らかに現代的ではない。


 失礼ではあるけれど、いつでも逃げられるように土足で上がり込む。キヨも少し躊躇いながらも雪緒に続く。勿論、鍵をかけるのを忘れない。


「一階で休みましょうか」


「そうね。あ、窓掛け閉めるわね」


「え? ああ、はい」


 一瞬、キヨが何を言っているのか分からなかったけれど、窓の方に向かったのを見てカーテンを閉めようとしているのだと理解する。


 キヨがカーテンを閉めている間、雪緒は部屋を見回す。


 一人掛けと、二人掛けのソファが一つずつ。ゆっくりとは休めないだろうけれど、板張りの上で寝るよりはましであろうか。


 雪緒は一人掛けのソファに座ると、緊張を解くように深く息を吐いた。


「疲れるわよね。この街、なんだかおかしいから……」


 言いながら、キヨは二人掛けのソファに座る。


「仕事より疲れるわ。やんなっちゃう」


 手を組んで、身体の前で伸ばしてから頭上まで持ち上げる。こきこきっと関節が小気味いい音を立てる。


「キヨさんって、仕事何してるんですか?」


「ん? こう見えて旅館の女将よ」


「へぇ、じゃあ一番偉いんだ。凄いですね」


「ふふっ、なったばかりだから、全然凄くないのよ。それに、ちっちゃな旅館よ」


「それでも、旅館を切り盛りするなんて凄いですよ。俺、自分が働いてる姿とか想像できな

いですし……」


 雪緒がそう言えば、キヨはぱちくりと瞬きをする。


「雪緒くんって今いくつ?」


「十五です。春休みが明けたら高校生になります」


「こうこうせい……そう、そうなの」


 納得したようなしてないような、そんな顔。


「まだ、子供なのよね」


「ええ、まぁ……」


 何が言いたいのか分からず、少しだけ困惑する雪緒。


 そんな雪緒に、キヨは優しく微笑む。


「なら、尚更偉いわね。子供なのに、こんなところまで来て人助けしようだなんて」

「……別に、偉くは無いですよ」


 キヨの言葉に表情を曇らせる雪緒。


 偉い事なんて一つも無い。むしろ、遅かったと思うくらいに雪緒の行動は後手後手だ。


「ううん、偉いよ雪緒くんは」


 言って、ぽんぽんっと自身の隣を叩くキヨ。


「気を張って疲れたでしょ。ずっと歩きっぱなしだったしね。あ、ほら見て。三時間も歩きっぱなしだったみたい」


 ポケットに忍ばせていた懐中時計を取り出して雪緒に見せるキヨ。


「少し眠って休まないと。ね? ほら、こっち」


「分かりました……でも、寝るならこっちで大丈夫ですよ。そっちはキヨさんが使ってください」


「良いから良いから。こっち来なさいな。年上の言う事は聞くものよ」


 ぽんぽんっと自身の隣を叩くキヨ。


「はあ……」


 キヨに引く気が無い事が分かり、雪緒は曖昧に頷いてからキヨの隣に座る。


 隣に座った雪緒を見て、キヨはその肩を引いてゆっくりと自身の膝の上に雪緒の頭を乗せる。


「ちょっ、キヨさん?!」


「しーっ。静かにしないと、怖いお化けが来ちゃうわよ?」


 狼狽える雪緒を見て、いたずらっぽくキヨは笑う。


「少し休んだら、また再開しましょう。それまで、ゆっくり休んでね」


 雪緒の目を覆うように手を置く。そして、反対の手でまるで子供をあやすようにとんとんっと雪緒のお腹を叩く。


 そんな場合ではないと分かっているのに、気恥ずかしさにどぎまぎする雪緒。


 こんな状態で眠れるかと思いながらも、疲れからか段々と意識は遠のいていった。


「お休みなさい、雪緒くん」


 優しい声が耳朶に響いたのを最後に、雪緒の意識は暗転した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る