第10話 きさらぎ駅
「え? は?」
慌てて周囲を見渡せば、車両内には誰一人として乗っていない。乗客もそうだけれど、着物の女すらいない。
それでも、電車は進んでいるのか、がたんごとんと線路を進む音だけが聞こえてくる。
「どうなってんだ……」
雪緒が困惑している間に、電車が減速する。
そうして、緩やかに一つの駅に停車した。
停車したのは、田舎にありそうな小さな駅。プラットホームと雨避けのための上屋、自動改札機と券売機と必要最低限の物しか置かれていないような駅。
ふと、電車の窓越しに駅名標が目に入り、思わず愕然とする。
「マジかよ……」
思わず窓に近付き、駅名標を食い入るように見つめる。
錆び付き古ぼけた駅名標には、擦れた文字ながらもしっかりと駅名が記されていた。
「きさらぎ駅……」
思わず読み上げたその名は、仄から聞いた噂の怪異であり、雪緒が最後の望みをかけて訪れようとした場所だった。
そう。どういう訳か、辿り着いてしまったのだ。ネットで噂の怪異、きさらぎ駅に。
いや、どういう訳も無いだろう。恐らくはあの着物の女の仕業だろう。あの着物の女がどんな怪異であるかは知らないけれど、あの口振りからして何かしらに関与している可能性は高い。
雪緒が考えこんでいる間に、電車の扉が開く。
出るべきか、留まるべきか、一瞬考える。けれど、そもそも此処には来るつもりでいたのだ。迷っている場合ではない。
「よし……っ」
雪緒は覚悟を決めると、きさらぎ駅へと降り立つ。
雪緒が駅に降り立てば、電車の扉は閉まり、電車はゆっくりと駅を離れていく。
ネットの話によれば、降りずに電車が駅を出るまで待てば元の世界に帰れるという事だった。真偽の程は明らかでは無いけれど、雪緒は帰る手立てを一つ失ったという事になる。
そもそも、帰り方など知らない事に今更ながらに気付く。
「……いや、考えるのは後にしよう」
帰れないと分かった途端、臆病風に吹かされる自分を誤魔化すように思考を後回しにする。
なにはともあれ、きさらぎ駅にたどり着いたのだ。あれこれ考えるより先に動くべきだ。
雪緒は誰も居ない駅の中を歩き出す。
こつこつと雪緒の足音だけが駅に響く。
小さな駅の改札を通り、雪緒は駅の外へと出る。
「なんだ、これ……」
そこには、見慣れない町の景色があった。
おしゃれながらもレトロな洋風な建造物に、現代では見た事も無いような四輪自動車。街灯は今のようにLEDや白熱電球ではなく、古臭い裸火のガス灯となっている。
慌てて背後を振り返れば、そこには確かに現代の片田舎にありそうな駅がぽつんと建っている。レトロな街並みから外れた現代的な駅は異様の一言に尽きた。
「どうなってんだ……」
雪緒もきさらぎ駅について少しだけ調べてきている。けれど、こんなレトロな街並みであったという記載は無かったはずだ。
混乱しながらも、雪緒は街に視線を戻す。
きさらぎ駅が雪緒の知る様相とは違っていたとしても、雪緒はこのきさらぎ駅でしなければならない事があるのだ。こんなところで立ち止まっている場合では無いのだ。
躊躇いを仕舞い込み、雪緒は街に脚を踏み入れる。
今まで見た事も無い街並みに目移りしながらも、何処から何が出てくるか分からないので警戒は怠らない。怠ってはいない、はずだった。
「――は?」
唐突に現れたそれを見て、雪緒は思わず呆けた声を漏らす。
建物と建物の隙間から、それはぬるりと雪緒の目の前に現れた。
二メートル半ば程の長身。丸く大きな頭に、ひらひらと靡く外套を纏ったような身体。黒く濁った靄が固まったような全体。まるで黒ずんだ出来損ないのてるてる坊主のようだけれど、そんな可愛らしいものではない事は一目見れば分かる。
それが何かは分からない。けれど、人間では無い事だけは嫌でも理解できる。
漂う霊気。じくじくと肌を刺すような威圧感。見ているだけで不安を誘う深い深い黒。
あまりの威圧感に雪緒は指先すら動けない程に圧倒されていた。
あまりにも突然の邂逅だったという事もあるだろう。けれど、そうでなくともきっと雪緒は動けなかったはずだ。それ程までに強烈な威圧感だった。
今まで感じた事の無い程強い威圧感に危機感を覚えるけれど、身体は一向に動いてくれない。
まん丸頭が雪緒を見やる。どこが顔なのか分からないけれど、どういう訳かこちらを見ているという事だけは分かった。
更に強まる威圧感に、冷や汗と震えが止まらない。
外套のような身体から、先端が五つに割れた棒のようなものが生えてくる。最初はそれがなんだか分からなかったけれど、その棒が目の前の存在の手である事にややあってから気付いた。
その者の手が近付く。呼吸も忘れて手を見る事しか出来ない。
その者の手が触れる――その寸前、別の何かが雪緒の手を掴んだ。
「こっち!」
「ぇ、あ……!」
温かみのある人の声が耳朶に響く。
誰とも分からぬ人物に引っ張られ、雪緒の身体がようやく動き出す。
引っ張られるまま、危機的状況を脱するために必至に走る。
その引っ張る手が誰かなんて、考えている余裕は無かった。
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