第9話 先延ばすだけの時間
学校が終われば、少年はいつも迷わずに帰路に着く。けれど、今日は少しだけ道を変える。
たどり着いたのは、一つの寂れた公園。
その公園のブランコに、一人の少女が座っている。赤いリボンで髪を結った、可愛らしい少女。
少年は少女に向かって歩く。
「また今日もブランコか? たまには滑り台でも滑ったらどうだ?」
少年が茶化すようにそう言えば、少女は俯いていた顔を上げる。
少年を見て、少女は一瞬笑みを浮かべるけれど、すぐに拗ねたような顔をする。
「おにーさん知らないのー? 小学六年生は滑り台なんて滑らないんだよー?」
「俺は滑ってたぞ」
言いながら、少年は少女の隣のブランコに座る。
「学校はどうだ? 楽しいか?」
久しぶりにあった親戚の叔父さんがするみたいな、つまらない質問。
窺うように、少年はいつもこの質問をする。
「うーん……別にふつーだよー? あ、でも男子は嫌いー! 今日ね、わたしの事バカにしてきたんだもん!」
ぷっくりと頬を膨らませる少女。
「それは良くないな」
「でしょー? なんかね、子供っぽいとか、バカっぽいとか、もうほんと酷いこと言うんだから! 男子の方が子供っぽいし! 掃除サボるし、十分休みでドッジボールに行くし、あとうるさいし! もうほんと、子供って感じだよー!」
「そっか。でもなぁ、男子はいつまで経っても子供だしなぁ……。俺だって、まだ全然子供だしな……」
自分は既に中学三年生だけれど、全然成長できた気がしない。あの時から、何も変わってないと自分でも分かっている。あの日に釘付けにされたまま、時間が少年を置き去りにするのだ。
複雑な心境を吐露するように少年がそう言えば、少女はちらっと少年を覗き見てから、少しだけ頬を赤くして言う。
「お、おにーさんは、大人だよ……! もうっ、ぜんっぜん、大人!」
「ははっ、まあ、君からしたら多少は大人に見えるかもな」
少年も、自分が少女と同じ年頃の時は少し上の年代ですらとても大人に見えたものだ。
はははと乾いた笑いを浮かべていると、公園の外にいる二人組の親子連れと目が合う。
何やらひそひそと話をしている二人の母親。そこで、少年は腕時計で時間を確認する。
午後六時。そりゃあ、奥様方も良い顔はしないと納得する。
小学生にはもういい時間だ。そろそろ、帰らないとまずいだろう。
嫌でも、家に帰らなければいけないのだ。例えそこが、帰るべき場所ではなくとも、帰らなければいけないのだ。
「……そろそろ帰ろうか。送ってくよ」
少年が言えば、少女は不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「いやー……」
「いやって……そろそろ暗くなるぞ?」
「いやっ」
「ダメだ。嫌かもしれないけど、帰らないと」
ほら、と言って少女に手を差し伸べる。
そうすれば、少女は少年の手を見て、少しの逡巡を見せた後で渋々と手を繋いだ。
手を繋いだ少女ににっこりと微笑みかけ、ランドセルを持って公園を後にした。
相変わらず奥様方は少年を見てひそひそと何やら話していたけれど、特に気にする事無く少年は少女を送り届けた。
この時間が、少年には苦痛だった。
全て先延ばすだけの時間に、なんの意味が在ると言うのだろうか?
自分は、少女をただ帰すだけ。その行為は何にもならない。少女にとっても、少年にとっても。この行為に価値は無い。少年の行動に意味は無い。
少女の家に着くと、少年は少女に手を振る。
「ばいばい、またな」
この言葉がどれほど残酷であるか。それは、受け取った少女にしか分からない事だ。
少女は渋い顔をしながらも、手を振り返してから家の中に入ってく。それを見届けてから、少年も帰路に着いた。
背後から聞こえる怒声には耳を塞いだ。
だって、自分には何も出来ないから。
放っておく事が出来ないだけの、ただの卑怯者なのだから。
目が覚めれば、見慣れない天井。
自分が何処に居るのか一瞬考え、そこが病院である事を思い出す。
それと同時に、自身が眠りに落ちる前の事も思い出す。
電車に乗って、着物の女に会って、どういう訳か眠らされて。
「……夢、だったのか……?」
眠らされたのは電車。けれど、起きたのは病院のベッドの上だ。夢だと考える方が理にかなっている。
「……何がなんだか……」
最早、何が現実で何が夢なのか判断が付かない。
だが、今の雪緒にはそれを判断するための方法が在る。
式神召喚。もし、平安に行っているという状況が夢では無いのだとしたら、現代でも雪緒は小梅を召喚できるはずだ。
しかして、それには小梅が現代でも生きている必要があるので、もし仮に小梅が死亡していたら召喚は出来ない。そんな事、考えたくも無いけれど。
ともあれ、小梅を召喚してみれば良い。式札を作って、式神招来と唱えれば良い。至極、簡単な事だ。
「……」
だが、雪緒にも思う所は在る。
晴明は小梅を護衛だと言った。それが、どうにも雪緒には引っかかる。
「行くか……」
夢か現かの判断を後回しにする。雪緒の中で踏ん切りが付かない以上、小梅を召喚する事は出来ない。
それに、此処が現代であるのなら、雪緒にはやらなければならない事が在る。
雪緒は早々に病院を後にし、駅へと向かう。
昨日の出来事が夢か現か分からないけれど、雪緒に止まるという選択肢は無い。
あの日から、雪緒は止まる事を止めたのだから。
駅に着き、雪緒は迷う事無く電車に乗り込む。
通勤の時間帯と被ったのか、電車にはそこそこ人が乗っていた。
きさらぎ駅に行けるとは限らない。仮に行けたとしても、きさらぎ駅に探し人が居ない可能性だってある。
けれど、探すべきところは探し尽くした。きさらぎ駅が、最後の望みなのだ。
「懲りないのですね」
凛とした声が、雪緒に向けられる。
その声を聞いた途端、雪緒の背筋が凍った。
その声は、間違いでなければ、昨日聞いたばかりの声なのだから。
恐る恐る隣へ視線をやれば、いつの間にやら隣には着物の女が座っていた。
雪緒の視線を受けて、着物の女はにこりと微笑む。
「あ、んたは……」
冷たく、けれど、確かな熱を帯びた瞳が雪緒を貫く。
得体の知れない、けれど、決して人ではない女。
確証はない。けれど、確信を持って言える。
目の前の女は怪異だと。
彼女の眼には、それだけの妖しさがある。
「そんなに行きたいですか、きさらぎ駅?」
「――っ」
雪緒はきさらぎ駅に行きたいだなんて一言も言っていない。
かまをかけている訳では無いだろう。彼女の眼には確信の色が在る。
「……あんたには、関係無いだろ」
「いえ、いえ。関係、ありますよ」
はったりか、事実か。くすりと雪緒を試すように笑って見せる。
「勝手に入られては困ります。何事にも、順序というものがあるのですから」
「順序……? いったい、なんの話をしてるんだ?」
「ふふふっ、こちらの話です」
雪緒の疑問に、女は笑みを浮かべて返す。
「さて。昨日では困りましたが、今日であれば構いません。もう既に雪緒様ではどうしようもないくらい煮詰まっておりますので」
女は笑う。
「では、ご機嫌よう」
笑いながら、一つ手を鳴らす。
瞬間、電車内の音が一斉に消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます