第6話 平安、再び
きさらぎ駅。それは、ネット発祥の怪異。
ある日、乗り慣れた電車が数分程の間隔で各駅に停車するはずなのに、ニ十分以上も停車しない事に気付く。
ようやく電車が停車したと思えば、そこは見た事も聞いた事も無い無人駅だった。
それが、きさらぎ駅。
その後、その者は様々な恐怖体験をする事になる。
此処までが、大雑把なきさらぎ駅の説明。
それからというもの、ネット掲示板では度々異界駅に来てしまったという書き込みがされるようになったとか。
「なるほど」
電車に揺られながらきさらぎ駅の説明を読む雪緒。
たかだかクラスメイトに行くなと言われて従う程、雪緒は素直ではない。
それに、雪緒にも事情が在る。黙って寝ていられない程の重要な事情が。
「お隣、よろしいですか?」
不意に声をかけられ、雪緒はスマホから顔を上げる。
目の前に立っていたのは、着物を着こなした、黒髪の綺麗な女性。
「え、ああ、どうぞ……」
言いながら、雪緒は周囲を見回す。
周囲の席は空いており、わざわざ雪緒の隣に座る理由は無い。
「ありがとうございます」
微笑みながら、着物の女性は雪緒の隣に腰を下ろす。
がたんごとんと電車は進む。
隣に座った女性は、特に何を話す事も無く対面の窓の外を眺めている。
着物の女性が隣に座ったのにさしたる理由は無かったのだろうと判断し、雪緒がスマホに視線を戻しかけたその時、着物の女性が涼やかに言葉を紡ぐ。
「きさらぎ駅、ですか?」
「え?」
視線を着物の女性に向ければ、女性の視線は雪緒のスマホに注がれていた。
「ああ、すみません。たまたま目に入ってしまったもので」
「いえ……」
たまたま見えたから思わず声に出た。それで話は終わり、と思いきや、着物の女性はそのまま話を続ける。
「今、噂になっていますよね」
「そうみたいですね」
「怖いとは、思わないのですか? 自分も攫われてしまうかも、とか」
「いや、まぁ、怖いっちゃ怖いですけど……所詮噂ですよね?」
とはいえ、そんな噂を信じてのこのこ電車に乗っている訳だけれども。
なんて自虐的に考えながらも、雪緒は着物の女性の言葉に違和感を覚える。
「あら、ニュース、ご覧になって無いのですか?」
「まぁ……最近、忙しかったもんで」
「行方不明者、出ているらしいですよ。一人二人と、日に日に増えているそうです」
「そうなんですか?」
「ええ。怖いですねえ」
そう言いながらも、着物の女性の表情は涼やかな微笑みのまま。少しも怖いと思っていない表情だ。
「そう、ですね……」
頷く雪緒の目を、着物の女性はじっと覗き込む。
綺麗に整った顔。けれど、斜陽が照らすその顔は、何処か浮世離れしていて、少しだけ恐ろしいという感情を雪緒に抱かせた。
「もっと怖いものでもあります?」
「え?」
「頷く割に、迷いが無い眼をしていたので」
「いや、別に……」
「迷いが無い、と言うより、前しか見えていない、という感じでしょうか?」
自身の眼を射抜く女性の眼を、なんだか気味悪く思えて来た雪緒は、後退りながら不快感をあらわにするように言う。
「……さっきからなんなんだ、あんた」
「ああ、気に障ったのなら、ごめんなさい。ただ、少しお話がしたかっただけなのです」
にこにこ。真偽の付かない笑みを浮かべる着物の女性は、ゆっくりと雪緒に掌を向ける。
「それと、まだ、少し早いのです」
着物の女性の掌が、ゆっくりと雪緒の眼を覆うように近付いてくる。
気味が悪くなり避けようとするけれど、何故だか身体が動かない。
何故。どうして。身体がまったくいう事を聞かない。呼吸さえもままならない。
途端に、目の前の着物の女性に抱いた恐怖が大きくなる。
そして、気付く。この女性は、人間では無い。もっと別の、危険な何か。
笑みが、所作が、その瞳が、全てが恐ろしく見えてしまう。
「
着物の女性の手が、雪緒の目元を覆い隠す。
視界は暗闇に包まれ、雪緒の意識が暗転する。
「お休みなさい、雪緒様」
「――っ!?」
沈み込んだ意識が急速に浮上するように覚醒し、布団を蹴り上げ、跳ねるように起き上がる。
「はぁ……はぁ……っ」
荒くなっていた息を整えながら、雪緒は頭を整理する。
電車に乗って、着物の女性に出会って、手を目元に当てられて、そしたら目が覚めて。
現状や諸々を鑑みて、雪緒は大きく深呼吸をしてから、言い聞かせるように答えを吐く。
「なんだ、夢か……」
「起きたと思うたら、まだ寝惚けているのか?」
雪緒の起き抜けの安堵の言葉に、不機嫌そうな言葉が返る。
驚き、声の方を見やれば、そこには不機嫌を隠しもしない晴明が座っていた。
思わず、雪緒はぽかんと口を開けてしまう。
「なんだその阿呆面は」
「あ、いや……」
現代で目を覚まして、雪緒は平安に行った事を夢だと決めつけた。何せ、タイムスリップなど常識的に考えて在りえない事だからだ。
だから、たった今起きたこの場所は病院だと思い込んでいたのだ。
「夢じゃ無かったのか……?」
「夢の方が良かったか?」
雪緒の言葉に、ふんっと不機嫌そうに鼻を鳴らす晴明。
「ぼさっとしておらんで、さっさと布団を仕舞え。飯が食えぬ」
「あ、ああ……悪い……」
「布団は部屋を出て右手の物置に入れておけ」
「分かった……」
釈然としないまま、雪緒は布団を畳んで部屋を出る。
試しにすんすんっと布団の匂いを嗅でみれば、天日干しした優しい香りが鼻を突く。
「……夢じゃないのか?」
夢にしては、あまりに情報が真実味を帯びている。
床を踏みしめる足の感触。
ひんやりとした朝の静謐な空気感。
微かに香る、食欲をそそる朝餉の香り。
「じゃあ、本当に……」
此処は平安であり、この時代に居る雪緒は本物である。
だが、そうだとして、どうして一度現代に戻る事が出来たのかも分からないし、またこちらに戻って来た理由も分からない。まだ夢と思った方が納得出来る。
「……はぁ……考えても仕方ないか」
考えたところで、事態は既に雪緒の想像の範疇を超えている。
晴明に言われた通りに歩き、物置と思しき戸を開ける。
どうやら当たりだったらしく、物置の中には綺麗に整頓された巻物やら葛籠が置かれていた。
布団が置かれているところを見つけ、雪緒は置かれた布団の上に持っていた布団を置く。
「なんだ、これ……?」
布団を置くと、視界に長い桐の箱が入り込む。
なんの変哲もない桐の箱。他にも同じような箱はあるのに、何故かその桐の箱だけが妙に気になった。
思わず伸ばしかけていた手を、我に返って引っ込める。
「……いや、下手にいじると怒られるな」
桐箱から視線を逸らし、雪緒は物置を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます