第69話 家族になろうよ

 綾子の母親、水原紗夜は、イラストレーターで、小さな映像製作会社のスタジオを持っている。

 (株)スタジオまかろんには、五人のスタッフがいて、水原紗夜の依頼をサポートしている。

 母親はそれなりに忙しく、スタジオに泊まり込む日も多く、黒猫のカラスと綾子の、一匹と一人暮らしに近い状況。

 

 二人の女性たちが仕事していて留守のあいだ、黒猫のカラスが家のあるじといった顔をして、のんびり昼寝している。


 水原紗夜と綾子は、仕事に対して、のめり込む性格の部分がとても似ている。


 恋愛に対して、母と娘でも考え方は似ていない。親友の佳乃と綾子でも、恋愛に関してはちがう。


 綾子は、黒猫のカラスを保護した時にはすごく積極的だったが、恋愛したいと思える人との出会いはなかった。


 恋愛や結婚は自分が本気で好きになれる相手がいればしてもいいと、綾子は思っている。

 けれど、うまく仕事するようには、のめり込めない感じがしている。


 綾子は街でカップルの人たちを見かけると、どんな夜を二人で過ごしているのか、たまに想像してしまう時がある。


 なんとなく服装や雰囲気でこんな感じだろうなと思える人たちもいるけれど、ハードロックやヘヴィメタルが趣味とわかる服装の人たちはどんな感じなのか、綾子は想像できない。


 綾子は恋の告白をされたり、恋愛を意識して相手から気を使われるのが苦手だった。

 

 高校生の頃、それまで異性の友人と思っていた男子バスケット部の同級生から告白された時、正直なところドン引きした。

 綾子は女子バスケット部のキャプテンだった。顧問の教師は体育教師で、男子と女子のバスケット部は同じだったこともあり、男子バスケット部と練習試合をすることもよくあった。


 他にも、新人の頃に何人か仕事関係の人たちから告白された経験はあるけれど、それよりもお前は仕事をちゃんとやれ、と思ってドン引きしてしまった。


 思えば、駅前で声をかけてナンパしてきた大学生ぐらいの見た目の人もいたが、綾子はドン引きして無視してきた。


 交際する人たちは、避けないでチャンスを逃がさなったのかもしれないなと綾子は思う日もある。


 綾子は高校生の頃、電車で通学していたが、目の前の座席に腰を下ろした親切な年配の女性から、胃薬を渡されたことがある。

 

 絶対に私は生まれてきた性別をまちがえたと思った。生理の日は子宮の鈍痛と痛みのせいなのか、吐き気もしてしんどかった。

 ひどく青ざめた顔で吊革を握って立っていて、目の前の親切な老婆は大丈夫と綾子に声をかけてくれ「気分が悪いだけなんで」と答えたら、胃薬を渡された。

 正直なところは、立っているのもしんどかったから、席を譲ってほしいとすら思っていた。胃薬じゃ生理痛はおさまらない。


「あらら、大変ね~」と母親の紗夜は言っていたが、あまり気にしていないのが雰囲気でわかる。

 紗夜は生理痛がとても軽い。

 女の敵は女だと、綾子は高校生の頃は思っていた。その機嫌の悪い日に、初めて綾子は、恋の告白をされた。


 恋をするにはタイミングはあるし、それはとても重要だ。

 綾子だけではなく、たとえば、生理前に情緒不安定になる人もいる。たまたま彼氏から連絡がなかったことが気になって、不安で攻撃的になって、夜は一人で謎の焦燥感と自己嫌悪で、ひどくへこんでしまうというパターンの人もいる。


 社会人になった今は、綾子はピルを服用してしんどい生理痛を緩和できている。

 ピルの副作用で体調が悪くなる人もいるが、綾子はあまり副作用はなく、生理痛のほうがかなりしんどい。


 綾子の後輩社員の栗原真央くりはらまひろは、今の交際中の彼氏の倉橋彰悟くらはししょうごから、自分とつき合う前の彼女の話を聞き出して、生理で情緒不安定になるタイプの人だったのかもと教えてみた。

 生理なんだけど、いい?

 そんな連絡するとデートしたがらない男性もいて、私とはセックスしたいだけなのかと、がっかりしたことが栗原真央には、過去の恋愛であった。

 今の交際中の同僚の彼氏、彰悟は、真央の生理中は手で下腹部のあたりをあたためるように撫でながら添い寝してくれ、セックスを求めてきたりしない。


 綾子は母親と二人で暮らしてきて、家族のなかに、男性がいたことがなかった。綾子にはなんとなく、男性と快適に、一緒に暮らすイメージがつかめない。


 親友の佳乃が、詩人サークルの「部長」本宮勝己と結婚を前提にした交際をしている。

 応援はしているが、仕事を終えて勝己と一緒に食事をしたり、翌日が休みなら泊まったりしていると聞くと、ちょっと大変そうに思える。


 綾子は社内では、誰かと交際中だと思われている。それは、帰って黒猫のカラスと一緒にのんびりとしたプライベートのくつろぎの時間を大切に感じているから。

 仕事が終わって、帰宅後にバスソルトを入れた湯や入浴剤を入れた浴槽にゆっくりとつかっていることも、部屋でネット動画や映画を観賞したり、ぐっすり眠る時間がなかったら、仕事なんてとても続けられるもんじゃないと思っている。

 社内恋愛をして、仕事に個人的な感情を持ち込んで、ごちゃまぜになったりする人もいると、佳乃から綾子は聞いている。

 恋愛や結婚がそうしたしがらみや関係性だったり、我慢ばっかりの生活だったら、私はしたくないなと、綾子は思う。


 入社一年目の頃は、同期入社の社員たちとの飲み会などで、綾子は誰とも交際していないと話してみたことがあった。


「理想が高すぎとか?」

「変わった趣味があるの?」

「きっと、いい人と出会ってないだけだよ~」

「俺、どうかな?」


 こんな感じの反応があった。綾子は会社の飲み会につき合うことを減らしていった。

 参加者が、それぞれの部署の愚痴を吐くのを聞く飲み会になっていったから、ということもある。

 綾子は他人の愚痴を聞くのが、好きではない。自慢話も好きではない。人と話すことは、嫌いなわけではないのだけれど。


 恋愛すると、絶対に幸せになれる!

 売れ残り。

 喪女。

 おひとり様の末路、孤独死。


 ネットなどでこういう意見や情報を綾子は見かけることがある。


 そんな夜には、もう世間はどうであれ、もう一人でもいいかな、と黒猫のカラスの体をそっと撫でながら、綾子は思うことがある。




 






 

 

 

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