side fiction /森山猫劇場 第47話

 最近の聡は魔導書グリモワールの力を使い、料理レシピを調べて、クダキツネ娘の「もふ」と一緒に調理をしていた。


 しかし、8月29日は、香織と美優が仲良く母娘だけで、夕食の準備をエプロン姿で行っていた。


 それは「もふ」が本来護っている柴崎教授の自意識が、美優の肉体から戻ったので、クダキツネにとって人になって思い出をつくる素敵な夏休みが終わって、守護の霊獣のお役目に戻ったといえる。


 光崎家では、メイドのメイリンを香織が作り上げる前まで、家事をそれまでどうしていたのか?

 香織と美優が手分けして行い、聡が来てから、あれこれを手伝っていた。

 では、その前の聡が光崎邸を訪問する前は?


 聡が自分の肉親の残した研究資料や柴崎教授の特別講習を受けて、考察したことを話しているあいだに、厨房で三人が使った食器を洗っていたのは、陰陽師の香織が、庭の植物などから力を分けてもらって作り出した式神であった。


「俺は本当のことが知りたいんです。香織さん、美優ちゃん、話してくれませんか?」


 聡は自分から積極的に行動せず、魔導書グリモワールの力で、世界のループを引き起こす行動ではないのかを、一度、頭の中で呼びかけ、問い合わせるのが癖になっていた。


 本当の事が知りたい。

 聡が香織と美優に言ったとき、魔導書グリモワールの力に頼ることを止めて、自分の気持ちを真っ直ぐにぶつけるように、口に出していた。


 その瞬間に、聡と談笑していた香織や美優、そして大学の研究室で、ハンバーガーにかぶりついていた柴崎教授が、魔導書グリモワールの記憶を封じていた催眠から解放された。


 聡は光崎邸の主人の公彦から、育ての親の弁護士夫妻にあずけられて19歳の誕生日を迎えるまで、世界のループに関する自分の記憶を封じた。


 催眠による記憶操作。

 ギリシャ神話では、記憶とひらめきの女神ムネモシュネがいる。

 大地の母神ガイアの娘、天空の大神ウラノスの子とされる。

「神統記」によれば、この女神はエレウテールの丘の主であり、この丘で、人々から苦しみを忘れさせるためにゼウスと交わり、ムーサと呼ばれる九人の娘の女神たちを生み出したとされている。

 ムネモシュネは、ゼウスの叔母にあたる。ゼウスが大地の母神ガイアと対立した時、ムネモシュネはゼウスの側についたという。


 香織と美優が顔を見合せた。

 視線を交わし合うことで、封じられていた記憶がさらに鮮明に呼び覚まされていく。


 三人の女神たちはその夜、ひとつの禁忌を犯して、六歳の聡の命が失われ、転生の日まで向こう側へ渡るのを阻止した。


 地上から離れた上空で、旅客機の操縦士たちは絶望していた。女神たちの出現で、飛行機の自動操縦のコンピュータープログラムに、霊障が発生してしまい誤作動が発生したからだった。


 この夜、旅客機は旋回して飛行場へ引き返す決断をした操縦士たちの努力もむなしく、光崎公彦が手渡した聡の両親の山口夫妻の所持している魔導書グリモワールを焼失させるために山岳の尾根に墜落した。


 黒皮の魔導書グリモワールを六歳の聡は抱えて、座席に座って両親のあいだでページをめくっていて、空の旅の退屈さを慰めていた。


 窓の外、旅客機の左翼にはアテナが、右翼にはアフロディーテが降り立つ。

 スチュワーデスが客室を巡回している様子を、アテナとアフロディーテは窓の外から見つめている。


 聡が抱えている黒皮の魔導書グリモワールは、光崎邸の書斎にあらわれた時よりも厚みも重さもない。文庫本のサイズである。

 山口夫妻とそのあいだに座っている聡の隣を、スチュワーデスが通り過ぎてかけて立ち止まった。


 聡が視線に気がついて、見つめていた魔導書グリモワールから顔を上げると、スチュワーデスの美しい顔立ちを見上げた。


(この子、人間なのに、アーテの力に魅いられていない?)


 スチュワーデスの女性の意識に重なり、女神アーテの欠片に魅いられた人間を探していたのは神々の女王ヘラ。

 大神ゼウスの承認を受けたわけではない独断の行動。

 それを追って女神アテナと女神アフロディーテが、さすがに神々の女王ヘラが長期不在では、天上界の混乱が起きると迎えに来たところ、女神アーテの破片のエネルギーに抵抗として、旅客機の制御システムに干渉された。

 霊障で、電気製品が一時的な不具合が発生するケースはよくある。まして、三人の女神が集まってしまった。

 乗客全員が死亡して、肉体から浮遊霊が密集した混乱がおきる。

 その隙に女王ヘラに気づかれないように、本から飛行場の部品へ逃げ込む。

 そうすれば、事故調査のために機体を回収する人間たちが、都合よく関係者以外は立入禁止の警備が厳重なところへ運んでくれる。

そのもくろみは、女王ヘラだけでなく、女神アフロディーテと女神アテナもあらわれたことで、別の結果が発生することになる。


 女神アーテ。

 ギリシア神話の女神で、破滅、愚行、妄想を表すその名の示すように、道徳的判断を失わせ、盲目的に行動させる狂気を導く女神である。


 ゼウスが「ペルセウスの最初の子孫に支配権を与える」と誓うことで、ヘラクレスに権利を与えようとしたところ、もう一人のペルセウスの子孫でまだ七ヶ月だったエウリュステウスが王子として、先に生まれてしまった。

 そのため、誓言を勧めた女神アーテは責任を取らされ、オリンポスへ帰ることを禁じられた。

 こうしてアーテが、人間の世界で暮らすことになったために、人間は愚行を繰り返す様になったという。


 女神アーテは追放された瞬間に夜空の星のごとく人間の世界に散らばり、女神ヘラ、アテナ、アフロディーテがそれを浄化して救済するため、人には見えざるジグソーパズルのピースのような破片を、長い時間をかけて、少しずつオリンポスの世界へ連れ帰っている。


 女神アーテの宿った物を手にした愚かな者は魅いられて、禍事を引き起こす。


 女神アーテは、人間の魂が惨事で肉体を離れて、やがて自意識を喪失したエネルギーにすることで、バラバラになった自らのエネルギーが、世界に回収されないように逃げまわっている。

 回収されたエネルギーは、その世界の維持に使い尽されることで消失する。または、似たバワーバランスのパラレルワールドに吸収される。

 人間を自らの身代わりのエネルギー体にして、人間の生活する世界に残り続けている。


 どのパラレルワールドであれ、世界が存続し続けるには、エネルギーが消費され続けている。

 追放された神のエネルギーは、地上の人間世界にエネルギーが枯渇してきた危機には予備になる。

 また、天上世界のエネルギーの予備にも適している。

 人間よりも強いエネルギーである女神アーテの破片。

 感情のエネルギーの女神アーテ。人間はよく想像するため、地上のほうが、天上界や冥界よりもかなり快適である。


 女神アーテの破片は、上位のエネルギー体のひどい霊障を引き起こす悪神として、霊能者なら関わりを避ける危険な存在といったところだ。


 世界は、エネルギーで構成されている。そのエネルギーの質の力の差異によって異なる世界が同時に無数に存在する。


 本来は女神アーテであったエネルギーは、天上界と想像される世界のもので、大神ゼウスがもたらさなければ、地上の人間界にはなかったエネルギーである。


 人間の想像力をかきたてる女神アーテのエネルギーを、人間の世界へばらまくことや、パンドラの箱に、不和と争いの女神エリスや夜の女神ニュクスの子供たちにあたるエネルギーの破片を詰め合わせにして、人間の世界で最初の女性が無邪気さから、興味本意で箱を開けるのを見越した上で、大神ゼウスは、人間の世界にプレゼントしたりしている。

 パンドラとは、人間の世界で最初の女性の名前である。

 パンドラの箱が開かれて、詰め合わせになっていたエネルギーが箱から逃げ出し、おもに人間関係で厄介事の種になる感情がばらまかれた。


 パンドラの箱の底に、逃げ出さずに最後に残ったのは「エスピス」とされている。

「エスピス」は、希望や予兆という意味の言葉である。


 人間の人生は何も悪いことをしていないのに、不幸な目にあうことはいくらでもある。

 自分は悪くないのになんでこんなことにという素朴な質問の答えとして、箱から解放された厄介事の種が、想像力を狭めさせて、人間どうしで理不尽に苦しめ合っているからだといえる。


 希望を抱くことや世界の変化する予兆を感じるには、想像力を阻害する考えにとらわれていないか、警戒する必要がある。


 エネルギーは無限ではなく、有限なものである。

 世界は生死を問わず人間の数だけあるはずだが、その無限に増えていく世界で、限りあるエネルギーを分け合っていたら、それぞれの世界を維持できずに全て消失してしまう。

 そのために人間の想像力を抑制する必要があった。


「聡くん、柴崎教授からたくさん話を聞いて、知識はふえたみたいね。すごい。大学生でも、そんなにちゃんと考えられる人はめったにいない。ねぇ、それをヒントにして、もっと想像してみて。そして、私やお母様にまた聞かせて欲しいな」


 美優はそう言って、緊張している聡に、にっこりと笑いかけた。


 旅客機が山に墜落した現場は無惨な状況だった。だが、山火事になった炎と煙の中で、しゃぼん玉に包まれたような不自然な空間が地上よりわずかに浮かんでいる。


(あの寝顔は、とてもかわいらしかったわ)


 陰陽師の香織――神々の女王ヘラは、今の聡の顔を微笑を浮かべながら見つめた。


 その中には全裸の六歳の聡が、三人の女神たちに護られて、胎児のように身を丸めて眠っている。


 聡の肉体を、三人の女神たちは協力して、女神アーテのエネルギーや自分たちの霊力で再生。

 そのまま、一命を取り止めた聡の帰りたいところへ瞬間移動したまでは問題は無かった。


 神々が気まぐれで、人間の世界へ過度な干渉をしてはならない。

 それは天上界のみならず、冥界のバワーバランスを乱すことになるからである。


 香織には女王ヘラ、美優には女神アフロディーテが不本意ながら宿ることになってしまった。

 聡の六歳の想像力はまだ弱い。


 この騒ぎの時に、のちに柴崎教授の護り神となるクダキツネは、光崎邸の庭で休憩中であった。

 戦女神のアテナはクダキツネに宿り、三人の女神たちは、それぞれ眠りについて回復を待つことになった。


 エネルギーを浄化され、三人の女神に奪われた女神アーテの破片のエネルギーは、書斎にあった書物へ逃げ込んだ。

 こうして、赤い皮表紙の新しい魔導書グリモワールが出現することになった。

 赤い皮表紙の魔導書グリモワールは、幼い七歳の美優を誘惑した。

 アダムとイブの物語。聡に美優は、赤い皮表紙の魔導書グリモワールにふれさせた。

 聡の命の中にあるエネルギーを奪い返すはずが、女神アーテの破片は、さらに力を奪われて取り込まれてしまった。

 

 柴崎教授がストローでコカ・コーラを吸い込んで、ごくりと飲みこんだ。


 聡という人間が、三人の女神の誰に命を失う覚悟でエネルギーを返してくれるのか。

 それは、ギリシャ神話では、大神ゼウスの頭を割ってあらわれた優秀なひらめきと直感的なセンスを持つ女神アテナ――クダ使いの柴崎教授にもわからない。


(ふふっ、女神の力を回復したあと、別の女神として、この世界にとどまるのも退屈しなさそうで悪くない。それに、たまに食べるハンバーガーはうまい!)
















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る