side fiction /森山猫劇場 第44話
8月28日の朝、目を覚ました柴崎教授は、久々に自分の体の感覚を確かめるように、ヨガの運動を使用人の控室で下着姿のまま行っていた。
「もふ」がパンティ一枚だけの姿になって眠っていたから。
用済みになった呪符は、ベッドから出て、カーテンを全開にして光のまぶしさに目を細めて微笑した時に、はらりと勝手に剥がれて床に落ちた。
「香織さん、俺、向こう側で何があったのか思い出せないんだ」
「私も同じです。何も思い出せません。異界に意識を飛ばしたのに忘れているなんて、こんなこと、今までありませんでした」
香織は目を覚ました二人から、向こう側のことを何も聞き出すことができなかった。
(あれ、聡くんの雰囲気が……どういうことかしら?)
結界を形成した香織自身も昨夜、聡と巫女の花純、クダキツネ娘の「もふ」の三人の意識を、結界内に受け入れたところまてしか思い出すことができなかった。
「おはようございます」
美優が、にっこりと微笑する。柴崎教授の笑顔とは、ずいぶん雰囲気がちがう。巫女の花純と美優が話している様子から、柴崎教授の意識が美優の肉体に残っていないように、香織には思えた。
「はははっ、どうやら、うまくいったみたいだな!」
柴崎教授が「もふ」と同じメイド服姿で、腰に手を当て、聡の前に立って、肩や上腕のあたりをばしばしと叩きながら、上機嫌で話しかけている。
柴崎教授が美優の肉体に宿っていたあいだのことを、美優は覚えていない。また、肉体を離れていたあいだにいた向こう側の記憶はないということを、美優から香織は聞き出した。
香織は美優の寝室で夜明けを待っていた。そのままベッドのそばで眠り込んでいて、先に目覚めた美優に起こされた。
「……わかりました、お母様、でも、聡くんがやっぱりお母様のほうがいいと決めたら、それはしかたないことだと思う」
香織は、聡との不倫関係は解消したことを美優に話した。それを聞き終えた美優は、そう言ってから泣いた。
「……美優ちゃん、ありがとう」
それは美優が肉体に戻ってきてくれてありがとうという意味か、聡との不倫関係を持ってしまったことを許してくれてありがとうという意味か、美優の背中をさすりながら抱擁している香織も、涙があふれてきてしまい、わからなくなっていた。
「では、香織様、みなさま、失礼致します」
昼食後、巫女の花純は全員に光崎邸の門の前まで見送られて、タクシーに乗り込んだ。彼女は、祓魔師の鏡真緒との待ち合わせ場所である自分の神社へ向かった。
柴崎教授、美優がそれぞれ自分の肉体に自意識が戻って「もふ」がどうなったかというと、以前のように柴崎教授の見えざる護りの霊獣に戻ったのだった。クダ使いの柴崎秀実の復活といったところである。
「私も大学へ戻らせてもらう。今回のことや、こちらの書斎で拝見させてもらった記録を、整理しておきたい」
夕方になると、柴崎教授は、自分の車で大学の研究室へ帰っていった。光崎家の主人で、医師の光崎公彦の日記帳の亡霊について考察を、柴崎教授はこれはすばらしい記録だと絶賛していた。
邸宅には、聡と美優と香織の三人だけに戻った。
聡に起きている口調や雰囲気の変化。僕から俺と言うようになった変化に、香織は
それを美優に気づかれないか、香織はとても気にしていた。
香織は美優がなぜ自分の肉体に戻ってきたのか、まだこの日は理解できていなかった。
今まで穢れの影響が出ないように鎮められていた土地から、変化が起き始めている。
呪法の儀式によって見えざる力の均衡を維持していた世界。
それが、聡が美優の魂をこちら側へ連れ戻したことで変化してしまった。
その見えざる力の均衡のゆらぎは、長い歴史の中で、何度も起きてきたものではある。
それは古い伝承や物語としてあるものは語り継がれ、また知られないように隠されてきた。
過去の時代に生きていた者たちはそれぞれの選択をして、現在は聡が最後の審判者となっている状況となっている。
(あとは、聡くんの話していた世界のループがどうなるか。でも、また世界がループしてしまったとしても、私たちにはわからないかもしれない)
世界がループを繰り返すことで、何も変化しないと香織は考えている。聡にとってはつらい記憶が増えていくことが、かわいそうだと思っていた。
世界は常に変革を求め続けて、着実に変化し続けている。
聡が世界のループの阻止に失敗してきた時の世界の香織と現在の世界の香織が、まったく同じだと思っている。
聡は運命の選択をするたびに、世界が変化していくことを感じ続けている。
例えば柴崎教授の性別は、以前のループでは男性だった。また、聡は両親が亡くなる前の記憶を、思い出すこともなかった。
そうした聡の変化は、男性が女性を虐げてきた歴史は変わらないが、それを思い出し、はっきりと気づかれるような変化をもたらすことになる。
この世界の香織には、柴崎教授という同性の恋人が存在し、香織は陰陽師の末裔の術者、柴崎教授はクダ使いの術者となっている。
医師の光崎公彦の日記帳に記された降霊術による調査も、以前の世界では行われていない。
聡には何がとうなったのか、
ただ、この日、美優と再会できたことに感動している。
聡は自分のことを僕ではなく、俺と言うようになった口調の変化に気づいていない。
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