詩人はモテるという噂

side fiction ／森山猫劇場 第４１話

　守谷隆信（もりやたかのぶ）という術者だけが把握していた護りの呪術、影贄（かげえ）。

　一人の女性の命を贄として、千人の厄災を鎮める方法だと信じられてきた。

　贄として産み出された子供は、忌み子と呼ばれた。守谷隆信の行った淫靡（いんび）かつ無残な儀式によって、霜谷葉子（しもやようこ）は産まれて、忌み子として育て上げられてきた。

　護られる者は、忌み子と心を通わせてはならない。これが、影贄の禁忌である。

　護られる者と忌み子が、身近なところにいるほど、護りは強くなる。しかし、皮肉な話だがふたりが身近にいるほど、関わりを持ちやすくなる。

　守谷隆信の愛娘の守谷英理（もりやえいり）は、同級生の中にまぎれ込ませていた忌み子の葉子に対して敵意を抱き、葉子の思い入れの強い大切にしていた教科書を密かに盗み出して、学校の焼却炉で焼き捨てようとした。

　葉子にとっては、放課後に初恋の女の子と一緒に勉強した時に使った算数の教科書は、とても大切なものだった。

　守谷家の一族が先祖代々、影贄によって護っていた土地の血縁者ではない余所者の転勤してきた「駐在さん」やその家族は、影贄に護られていない。だから、禁忌は影響がない。そんな淫惨な儀式が、この土地で長く行われてきたことすら知らない。

　教室で同級生たちから避けられていた忌み子の葉子は、転校生の蛯原咲凪（えびはらさな）が他の地元の子供たちとちがい、親しく接してくれたので、初めて他人への愛情を抱いた。

　守谷家の一人娘の英理は、影贄の禁忌を破ったので、１２歳にして祟られて自意識を奪われた。

　影贄を行い続けてきた一族の守谷家の家長、守谷隆信は自分だけは生き残るために、霜谷葉子を養女として守谷一族に加えた。

　これは影贄の儀式を、もう一度やり直すための準備だった。

　心身喪失した英理と現在の贄の葉子の二人を孕ませて、産ませた子供で影贄の護りを継続させようと守谷隆信は考えた。

　また、影贄に影響を与えた余所者の警察官の蛯原家の家族を、別の地域へ転勤させるように、議員である守谷家の縁者に頼んだ。

　心身喪失した英理と現在の贄の葉子に、守谷隆信が毎晩のように交わりを持った。そのことで、隆信の妻の静江は、夫の愛人の忘れ形見である養女の葉子を殺害しようとした。

　それは未遂で終わった。

　静江夫人は、身代わりの贄たちが亡くなると埋めたとされている山のなかにある、ある旅の僧侶が供養のために植えたという山桜の樹の枝で、怨霊に憑かれたまま首吊り自殺させられた。

　守谷隆信はどちらの娘を孕ませることはできないまま、ただ肉欲を剥き出しにして節度なく限界まで交わることに依存した状態にまで、１０年間で、心が蝕まれていった。

　守谷隆信と静江夫人は、夫婦そろって違法薬物の常用者（ジャンキー）である。薬物に酩酊（めいてい）した状態で交わることの絶頂で、意識を解放して術者の隆信の見えざる力を強めるという修行を行ってきた。

　これは中国に伝わる房中術（ぼうちゅうじゅつ）の応用といったところだろうか。

　意識を世界に解放した時、人は自意識をどの水準まで保つことができるか。薬物を体内へ摂取することで脳が影響され続けたあと、その快楽を約束する薬物がなければ不安に陥る依存から逃れられなくなる危険がある。

　逃れられなくなれば、快楽を与えてくれる物を与えてくれる者に対して、身も心も服従し、快楽で心を解放する時間のために、生き方を選択する自由すら奪われてしまうだろう。

　房中術は、交わりによって不老長生を得ようとする養生術。男性と女性の気を交えることで、体内の陰陽の気の調和を図り、あわせて精気の消耗を防いで健康を保持することで、長寿を得ようとする方法とされている。

　不老長寿を人が得たとしても、快楽のみに心が囚われてしまっていたら、その快楽を失う不安が常につきまとうことだろう。

「痛っ！」

　８月２７日の２３時１５分。

　早稲田のとあるマンションの自宅で、初老のベテラン女性占い師が、今夜も一人でタロットカード占いをネット配信するため撮影していた。

　シャッフルしている途中で飛び出し、自分の指先を鋭く切った主張の強いカードを、彼女はまじまじと見つめた。

【Ｔｈｅ　ＤｅＶｉｌ】の逆位置のカード。

　タロットカード「悪魔」の正位置は誘惑を、逆位置ならば誘惑からの脱却を試みる途中にあると読み解ける。

　「悪魔」は、人間の心に潜む弱い心を表すカード。

　裸の男性と女性が鎖に繋がれ、嗤（わら）う悪魔の前に立っている。

　これは「恋人」のカードにも描かれていたアダムとイブ。

　２人が蛇の誘惑にそそのかされて知恵の実を口にしてしまったために、悪魔に捕えられた姿であると伝えられている。

　ひとつ前のカードの｢節制｣では理性的に自分をコントロールする姿が描かれている。

　しかし「悪魔」のカードは人の心がいかに誘惑に惑わされるものかを示している。

　しかし、１５のナンバーを持つ大アルカナである「悪魔」のカードは、人の心の弱さだけでなく、さらなる変化と繁栄の可能性があることも伝えている。

　悪魔の正位置の意味なら、誘惑に抗うことができずに、今は堕落の方向へと堕ちてしまった状況にあることを表している。

　それによって、不純な心や怠け心、恨みつらみなどの思いが湧き出てくる場合もある。

　不純な妄想、誘惑に心が奪われている、依存、呪縛、強欲、中毒症状、嫉妬、下心、盲目的な思い込み。

　ただし鑑定用のテーブルにあらわれた「悪魔」のカードは上下が反転した逆位置。

　「悪魔」の逆位置の意味は、心を縛っていた考えから解き放たれて、心境も状況も好転する兆しがある状態を示している。

　ただし、別の誘惑に流されてしまわないように気を付ける必要がある。

　改善の試み、誘惑を断ち切ることを望む強い意思、吉兆、更正、回復する、執着を手放す。

（これは、誰かが自分の置かれた現状から抜け出したがっているってことかしらね）

　初老のベテラン占い師、光明寺律子（こうみょうじりつこ）は、カードについた血を丁寧にタオルで拭いながら考えていた。

　「悪魔」のカードに描かれるアダムとイブは、悪魔の鎖に繋がれている。ただし、ふたりの首元を見ると、頭を鎖の輪から外せそうなほどにゆるい状態。それでも逃げようとしない。

　これは、囚われているのは肉体ではなく、心であることを伝えてくれている。

　いにしえの儀式に身を捧げた術者、守谷隆信が忌み子の葉子と体を重ね、汗ばみながら息荒く射精した直後に息絶えたのは、タロットカード占いで「悪魔」のカードの逆位置であらわれたのと同じ瞬間だった。享年５７歳。