side fiction /森山猫劇場 第38話

(どうして今夜は誰も来てくれないのかな……誰も私にお金を払う価値がないって思われてる?)


 早退は、三回までならペナルティは無し。

 芹沢萌せりざわもえは、デリバリーヘルス嬢。待機中のマンションから出て、夜11時渋谷に向かった。渋谷駅からラブホテルのある道玄坂へ。

 千代田稲荷神社に到着した。

 お賽銭は五円玉をそっと入れ、彼女は手を合わせた。


 彼女は護り人の一族、おまつり様の末裔。28歳、無店舗型女性専門デリバリーヘルス嬢。

 涼やかな目が印象的な美人で、男装のコスプレで、同性愛者の客からの人気がある。


 吉原では禍事が起きたが、この日の夜、渋谷では禍事が起きる前に阻止された。


 おまつり様については、こんないわれ話がある。

 「末に至り」のまつりとも、神をまつるという意味のまつりからともいわれる。集落で死者があれば葬儀を行うのを生業なりわいとしていた一族で、おまつり様、または、おまつり様の一族と呼ばれていた。

 弔いと供養を生業としている一族の集落には奇習があった。家族で死者があればその遺体の一部を食べて、命や血を受け継ぐという。生きた人を襲って食べるという意味ではない。他の集落で葬儀に呼ばれると、おまつり様は悲しむ死者の家族に亡くなった人の体、特に心臓を取り出し食べるのが良いこと、そうすれば亡くなった人の体に残る命をもらって一緒に生きることができると教えていた。おまつりの一族の男性は逞しく、女性は美しく、老いても若々しい。他の集落の者たちもこの風習をするようになっていった。

 煮るのか、焼くのか、生で食べるのかは伝えられていない。

 そのうち、別の地方からやってきた者たちが、あたりを支配するようになると、死者の体を損なわせて死んでもなお苦しめるとは何事かと奇習であると罰した。また、風葬ではなく、土葬にする風習にするように命じた。

 そうして、おまつり様の一族はどこかへ追いやられたとも、大晦日には病や災いの元凶の鬼に見立てた人に棒で叩いたり石を投げて追い立てる追儺ついなの儀式の鬼にされたともいわれている。

 追儺の儀式の名残りは、今でも節分の豆まきの風習として残っている。

 また、おまつり様の一族の傍系の家系の者たちをひでりや水害などかあると、人柱の生贄とした。

 死者を弔い供養する一族が集落の長となっていたことを消し去り、新しい支配者が地位を奪うためだったとも考えられる。


 人を食べてしまいたいほど愛しいという感情に従っていたおまつり様の一族、鬼のすえが、生贄にされた歴史がある。


 修験道の開祖と伝えられる役小角えんのおづぬという飛鳥時代の人物は、鬼を使役していたという伝説がある。

 小角は賀茂氏の一族で、葛城山で修行し、山の神を封じる事も出来たとも伝えられている。

 文武天皇三年に、人々を言葉で惑わしていると讒言ざんげんされ伊豆島に流罪となる。二年後の大宝元年(701年)一月に大赦があり、茅原に帰るが、同年六月に、現在の大阪府箕面市にある箕面山瀧安寺の奥の院にあたる天上ヶ岳にて入寂したと伝えられている。

 平安時代の陰陽師、安倍晴明は、一説には賀茂神社で修行したともいわれる。

 この有名な術者たちは、生きた時代こそちがうが、同じ賀茂氏にゆかりがあるところで修行したと伝えられている点では関係している。


 渋谷区の円山町のラブホテルの一室に、この日の夜、芹沢萌に拾われた若い女性がいた。


 合成麻薬のMDMAの相場は1錠4千円から五千円、若者でも手を出せないことのない金額。

 玉、と隠語で呼ばれる。カラフルなラムネのような錠剤の形状だからだ。ピンク色に着色された幻覚剤の成分を割増したものは、ピンクパンサーと呼ばれる。

 小さな1袋に4錠か五錠入りで売買される。薬の効果は、服用後30分ほどから始まり、個人差があるが、約二時間から三時間継続する。脳に幻覚剤の成分がまわって興奮したり、気分が高揚するだけでなく、典型的な効果には、多幸感、感覚が鋭くなる、人との接触に親密さを感じる、抑制の喪失などがある。MDMAは、別の隠語ではエクスタシーと呼ばれる理由である。


 ある店のバーテンに酒に睡眠薬を仕込まれた。バーテンのこづかい稼ぎ。客はチップを渡して、狙った相手の酒に、こっそりと睡眠薬を仕込んでもらう。

 さらに建物の物陰で、強引にミネラルウォーターとMDMAを口移しで服用させられ若い女性が、ふらふらと手を引かれて、ラブホテルに連れ込まれかけていた。


 不埒ふらちなジャンキー、中年男性の会社員は、背後の腰のあたりを芹沢萌に回し蹴りされ、さらに股間を踏まれた。


 流れとしてはこの勝負、男性のほうが頭ひとつ背が高く小太りで体重差があったが、芹沢萌の優勢のまま、あっさり決着がついた。


 二人とすれ違いざまに、萌は意識が曖昧あいまいになっている若い女性の背中に芹沢萌が呪符を張りつけていた。

 萌は強く念じて、若い女性から男性に抱きつかせた。


「せいっ!」

「うわっ、なんだ?」


 その隙に、男性の腰のあたりを芹沢萌が回し蹴りした。


 今夜の芹沢萌は、デリバリーヘルスでお客様からのご指名がない日だったので、機嫌が悪い。


 かなり強烈に蹴られて、ジャンキーの男性は腰に力がはいらなくなったタイミングで、さらに若い女性に、男性の体を突き飛ばさせた。


 男性が倒れたところを、芹沢萌はハイヒールで、踏み潰した。


「ひぐっ……うううっ!」


 不埒ふらちな中年男性が激痛に油汗をかきながら、怯えて逃げていくのを芹沢萌は追わなかった。クスリをやってるから、潰されても、今夜は警察や病院にも行かない。これはジャンキー男性が泣き寝入りすると萌は判断した。


 清楚系ファッションの若い女性は、ジャンキー男性を突飛ばしたあと、ふらふらと道路の端に座りこみ、かくんとうなだれている。

 萌は若い女性を抱き起こした。


(ヤバかったわ、これ以上、なんか薬が使われてたら、こんなかわいい人が死ぬところだったわ。んー、さてと、じゃあ、たっぷり介抱しますかねぇ、うふふふっ)


 芹沢萌が女性を横取りしたことで、渋谷のラブホテルで起きる禍事まがごとは阻止された。



 












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る