★side fiction/森山猫劇場 第36話

 聡と巫女の花純が虐げられた人たちの怨念について話していたのと、ほぼ同じ時刻の夜21時。

 禍事まがごとが、またひとつ起きていた。


 今川瑛人いまかわえいとは荒い息を吐いて、血まみれになっている危篤状態の風俗店従業員の吉野愛香よしのあいかの体をベッドに運んだ。彼女の呼吸を妨げるように口のあたりを手のひらで押さえた。彼女の傷口からの出血は続いている。瑛人は、その血を勃った自らのものに塗りつけて挿入した。

 愛香の左胸の乳房や背中など複数箇所を刺した鋭利なジャックナイフは、彼女の手から落ちたシャワーヘッドのそばに放り出されている。


 肉欲に身をゆだね、瑛人は激しくさらに愛香の自分よりも華奢な首に手を回して締め、仰向けにされている無抵抗な彼女に対して、激しく腰を動かしている。

 まだ生きている愛香の眉をしかめて目を閉じ、苦痛にゆがめた表情から、動脈を締められて意識が遠のき、よだれをわずかに開いた唇の端から垂れ流して、虚ろになった瞳に、汗ばむ瑛人の姿が、ガラス玉のように浮かぶだけになった。


「くうぅっ、イクっ!」


 瑛人がすべてを吐き出すように、身を震わせて射精感に大きく息を吐き出した。指が食い込むほど強く締めつけていた手を離し、もう身動きできない彼女から離れた。


(……このまま、死ぬの?)


 引き抜かれたあと、瑛人が膣奥に放ったぬるぬるとした粘液がら弛緩した体から流れだしてきているのと、今まで感じたことがないほどの寒さを愛香は感じている。

 痛みは疼きになっているが、刺された直後の激痛はもう無い。


 もうすぐ時間終了を知らせるキッチンタイマーの音とシャワーを浴びているらしい水音が聞こえる。愛香は自分の鼓動がゆっくりと弱まっていくのが怖くて泣き叫びたいのに、声は出せない。


 月間売上でNo.1を取ったこともあるソープ嬢、源氏名は真美まみ

 ティーンズファッション誌の読者モデルから、美容整形後にグラビアアイドルになったが、一年で見切りをつけて、吉原の高級店で務め始めて7年目になる。

 整形費用を稼ぐために、業者を介さずに、もぐりのデート嬢をしていた経験は、彼女の務めた風俗店の色恋営業というコンセプトの下で働くには役立った。

 彼女の後輩キャストは、真美さんはとても優しくて、この界隈かいわいで真美さんを嫌いな人はいません、憧れの人ですと自分の客にもつい話すほどだった。

 彼女は、この後輩キャストが入店した時の講師を店から任されていた。初めて性行為が気持ちいいと思わせてくれたほど、上手な人だったそうだ。愛香には、引退後は風俗店のキャストの講師としてやっていくという前向きな目標があった。

 遊び慣れていない人が初回のキャンペーン料金で、彼女が相手を務めて、風俗にハマってしまうお客様も多かったんじゃないかなと別の風俗店のキャストも推測しているほどだった。

 彼女は24歳と広告を出して営業していた。だが、実年齢は30歳だった。それでも彼女は、営業努力で、それをどうでもいいと店の経営者や客たちを納得させ、成果も上げていた。

 彼女はSNS上で12万人のフォロワーがいて、そのアカウントでは、高級な自室や海外旅行の画像などもアップしていた。


(嫌……こんなの嫌……嘘よ、こんなの……ありえないから)


 彼女には密かに恋人もいた。彼女の恋人はまだ女子大生で、自分がお金を稼ぐことに必死だったので恋人には無理をさせたくないと思って、彼女の収入からすればさほど多額ではない金銭的援助をしていた。恋人も一般企業に就職して返済すると借用書を彼女に渡していた。

 意識が遠のいていく。

 恋人が愛香の愛撫に興奮して身をゆだね、何度も名前を呼んで甘えながら、ぎゅっとしがみつくように抱きついてきて、果てたあとも大好きと囁いてくれたのを思い出した。愛香は自分の命が消えていく怖ろしさから離れ、恋人との幸せな交わりの夢の中に意識が流れていく。

 愛香の愛撫を真似て、唇と舌を使い愛撫してくれる。愛香の感じやすい部分を探すように肌を撫で、愛香がくすぐったさに身をくねらせる。

 恋人の由香ゆかが鈴を転がしたような小さな笑い声のあと、愛香を見つめて、唇を重ねてくる。愛香は由香の口の中に舌を忍び入れ、由香の舌が愛香の舌の動きに応えてくるのを待つ。初めはおずおずと、やがてねっとりと愛香の舌に絡ませてくる。キスしながら抱き合っていて、愛香と由香の小ぶりだがきれいな形の胸が重なり、温もりや柔らかさが伝わってくるのが、たまらなく気持ち良い。そして、由香のゆるやかでふわりとしたボブショートの髪を撫でるのも。

 意識が消える。


 プレイルームに従業員が踏み込んだ時には、今川瑛人が浴槽内の湯のなかで手首を切り、腹部を自ら刺して意識を失っていた。

 従業員の通報を受けた台東区の警察署の警官がかけつけた時、愛香はすでに死亡していた。

 今川瑛人は救急搬送されて、一命を取り止めている。


 今川瑛人の使用した鋭利なジャックナイフ。この凶器は、同日、愛香の出勤を見送った由香の命も奪っている。

 由香の財布から金銭を奪い、さらに愛香のブランドバックとアクセサリーを、瑛人は質屋へ持ち込んでいる。

 その金を持って、吉原の高級風俗店に偽名で愛香を指名予約していた店に来店していた。


 今川瑛人は先月、この風俗店で出禁にされていた。愛香ではない別のソープ嬢とのプレイ中に、相手の首を手で絞めたからだった。

 彼は変装のために、髪型を丸坊主にして、偽名を使っていた。さらに携帯電話を新規購入して、電話番号を変えていた。

 由香を殺害したあとの彼の顔は、愛香にべた惚れだったが、借金で首が回らなくなりかけていた不安な表情とはまるでちがう顔つきや雰囲気となり果てていた。

 受付で対応した従業員が気づかなかったのは、その人が持つものだが、本人は気づきにくいかもし出すような雰囲気の変化からだった。人はその容姿や肩書きだけで、他人から認識されているわけではない。

 彼は来店した時、すでに祟られていた。


 愛香と同棲し始めて、まだ3週間の由香を脅し、瑛人は凌辱したあと、泣いている彼女の腹部を刺した。

 ジャックナイフが腹部に刺さっているのを見た由香が、瑛人を突飛ばして立ち上がった。

 自分の腹部から抜いたジャックナイフで、瑛人を「許さない」とつぶやいて見下ろした。

 瑛人は尻を丸出しのまま、腰から力がぬけて、這いつくばって逃げようとした。

 腹部の腹筋が切断されてしまっていると、わずかに一歩踏み出すのさえ、激痛に息が詰まる。

 由香がうずくまり、手からジャックナイフを落としてしまった。


「うわああああっ!」


 瑛人がジャックナイフを拾い、由香の肩や背中、そしてうなじのあたりを刺した。リビングの床に血だまりができた。


 許さない……許さない……お前はこのまま簡単には死なせない。


 病院の眠る瑛人の枕元に、由香と愛香の亡霊が立っている。

 さらに瑛人の体に、青白い痩せた無数の腕と手が群がり撫でまわす。その女性たちの不気味な青白い肌には、ぽつぽつぽつと梅毒の薔薇疹が浮き出ている。


 吉原は江戸時代、遊郭だった地域である。

 生きている限り、祟られた瑛人は、幻の遊郭で快楽に溺れさせられ、衰弱しきってもなお、目も鼻もない口だけの顔をしたお迎えの遊女たちに、とことん貪られる淫らな悪夢のなかで、うなされ続けるだろう。


 彼から祟りの悪夢から救うことを依頼されても、たとえばとても温厚な沖縄の霊媒師れいばいしユタのベテラン老婆であってもこう言うだろう。


「できることはなし、もう、何も言わずにお帰りなされ」


 ユタは祟る見えざるモノの幻の声を感じ、祟られている者の代わりに示談交渉する霊媒師。

 しかし、許さないと繰り返してわらう女性たちの怨念の群れには、交渉する余地はない。


 もう悔い改めたとしても、許されはしない。その祟られている本人だけではなく、もしも彼と結婚して、妻となった人は、妊娠しても産まれてくる愛しい子供の顔を決して見ることも、泣くのをあやすことはできない。


 取り返しのつかない過ちというものがある。それは、死ぬよりもつらい悲しみに、祟られた本人以外の人たちを巻き込んでいく。













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