side fiction/ 森山猫劇場 第28話

「ふわ~、はよーござーまー」


 食堂へ、下着姿の裸足で、寝癖のついた髪でやってきた狐憑きのメイリンが、にへらっとした笑顔で、絶句している三人の顔を見渡す。


「わ、私のメイリンが……」


 香織さんにとって衝撃的な瞬間だった。そのまま、うつむいて、肩を震わせて泣き出した。 

 それを席を立って、美優の姿の柴崎教授がそばに行って肩にそっと手を置いた。


 あわてた聡が立ち上がる時に、椅子が倒れたが、椅子を起こす余裕もなかった。

 狐憑きメイリンに聡は急いで近づいた。


「あー、しゅき~、ん~!」


 聡が抱きつかれて、そのまま硬直した。狐憑きメイリンは、香織さんや柴崎教授を無視して、聡の肩のあたりに顔をのせて、猫が身をすりよせるように、すりすりと目を閉じ、密着して甘えている。


「聡、バージョンアップして、こうなのか?」


 柴崎教授が笑顔だが、動揺している頬を引きつらせた表情で、香織さんのそばから離れずに、聡に声をかけた。


「め、め、メイリン?」

「へ?」


 聡に顔を上げて、また、にへらっと笑った表情は、たしかに、とてもかわいらしい。

 頭に飛び出している獣の耳と、ふさふさのしっぽも。


「ちがーまーす、もふ~だよぉ」


 聡がその返事を聞いて、柴崎教授と目線を交わした。

 間違いない。

 美優は紫クダキツネの毛玉を「もふもふ~」と呼んでいた。

 昨夜は唸ったり吠えたり、あえいだりしかしてなかった。そのことを考えてみると、たしかに、バージョンアップしている気が聡はした。


「もふ、ほら、みんなびっくりしちゃってるから、服を着ような」


 下着姿なのは、聡が寝ている狐憑きメイリンに、目のやり場に困るからと、また目を覚まさないかドキドキしながら、どうにかブラジャーをつけてやり、パンティをはかせたからだ。


「やっ、いらな~い」

「なんで?」

「なんで~?」


 聡の言った言葉を繰り返して、クスクスと笑ったあとは、また聡に密着して、すりすりしている。


「まるで幼児だな」

「……ひどい」


 柴崎教授のため息と香織さんの一言が、聡の心にダーツの矢のように飛んできて刺さる。


(たしかに、彼女の背中のおふだは剥がしたのは僕だけど……これは僕が悪いのか?)


 聡は目を閉じて、魔導書グリモワールに問いかけた。

 メイドのメイリンぐらい礼儀正しくできるように「もふ」に教えることはできないのか、と。


「柴崎教授っ、あなた、普段からクダキツネにどんなことを学ばせてたのですか!」

「……毎日、よく遊べ」

「うちの子にあんな子は……」


 そのあと、香織さんが黙ったのは、美優の姿の柴崎教授が、取り乱した香織さんの唇を、いきなりキスでふさいで、黙らせたからだった。


「あ~、ごはんなの~?」

「もふは見ちゃいけません」


 聡がとりあえず「もふ」の両目を、急いで手のひらでさえぎり、目隠しをした。


 聡にも刺激が強すぎる状況。

「もふ」に目隠しをしたが、聡はしばらく濃厚なキスをしている二人から目が離せない。


「柴崎教授、魔導書グリモワールは、僕に完了としか伝えてきません」

「ふむ、まあ、物覚えは良いみたいだな、さすが私の体だけある」


 香織は二人の会話のやり取りを聞いて、親の贔屓目ひいきめにもほどがあると思って、頭痛がしてきてしまい、目を閉じてこめかみを人差し指で押した。


 椅子に座ってまわりをキョロキョロと見渡している「もふ」の落ち着きのなさに、香織がイライラしているのが聡にもわかる。


(……美優ちゃん、香織さんに厳しく育てられたんだろうな)


 聡は8歳から、弁護士の里中夫妻のところでのびのび育てられ、特別に何かを厳しく教えられた記憶が一つもない。


「それは、遠慮していたのかもしれない。光崎家からあずかった子に怒鳴ったり、手を上げて育てるとは、まじめな夫妻なら考えにくいだろう?」


 とりあえず、聡は全員の名前から教えてみることにした。


 ・「さ~し」=聡

 ・「しば~」=柴崎教授

 ・「かおしゃん」=香織さん


「とりあえず、絵本でも読ませてみましょうか?」


「もふ」から、かおしゃんと呼ばれたことで、香織さんは何か気持ちを切り替えて、やる気が出てきたらしかった。


「美優ちゃんや聡くんのまだ本当に話し初めたばかりのころは、私のことを、かおちゃんって呼んでいたのよ。なつかしいわ」


 そんな小さい頃から、僕は光崎家にあずけられていたのかと聡は思い、美優と姉弟のように、香織さんに育てられた頃の自分の姿を想像してみた。


 魔導書グリモワールのなかの聡の情報は7歳からしかない。

ループを繰り返しているうちに、7歳以前の記憶は、忘却の霧の中である。


 美優の姿の柴崎教授は「もふ」の頭を撫でながら、優しい微笑を浮かべていた。


(ああ、私も子供の頃、誰かに思いっきり甘えたかったのかもしれないな。「もふ」を見ていると、そんな気がする)














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