side fiction/ 森山猫劇場 第20話
8月12日
大学教授、柴崎秀実そっくりの髪色が黒髪のメイドが、光崎邸内の清掃などを朝から行っている。
「オハヨウゴザイマス」
抑揚のほとんどない声色で、澄んだガラスのような口調。表情は無表情で、話しかけると返事はするが感情が欠落している感じ。
柴崎教授の心はなく、それでも、生活の記憶などはあるらしく、作業は器用にこなしている。
メイド服の下の背中に、道教の呪符のようなものが貼りつけられていて、それで香織の忠実な下僕として、柴崎教授の肉体は働かされている。
9日から12日までの間に、柴崎教授の心のぬけがらの肉人形を、優秀なメイドに香織は仕立て上げた。
「そうかしら、メイリンはあの大学の教授には似てないわ」
どうやら、香織は生きた肉人形の忠実な下僕に「メイリン」という名前をつけたらしかった。
聡は香織が庭に呪術の罠を仕掛けて、柴崎教授の意識を封じる術を捕らえた肉体に施したらしいとはわかった。だが、その呪術を解いて、紫クダキツネが憑依できるようにする方法が、まだ12日にはわからなかった。
柴崎教授の自意識を、紫クダキツネさえ憑依できれば、肉人形の「メイリン」に転送することができそうだとわかる。
(聡、大学に連絡して、教授は一ヶ月ほど調査旅行に行くと言ったと伝えておいてくれ)
どうやら柴崎教授は、自分が小さな紫色の毛玉のクダキツネになっていることを、楽しんでいるふしがあった。
クダ使いだから、とてもクダキツネに愛着があって、クダキツネの知られざる習性などを身をもって知ることができるチャンスと考えているようだ。
(その体を貸してくれてもかまわないぞ。男性の体になってみるのもおもしろそうだ)
「柴崎教授、大学には連絡はしておきますから。憑依して僕になりすましたあと、悪戯しそうなので体は貸しませんよ」
聡は書斎で、紫色のクダキツネになっている柴崎教授と、小声でこそこそと話している。
(ケチだな、体をしばらく貸してくれたら、香織夫人の目の前で、あのメイド姿のコスプレの私にキスして妬かせられるのだが。私とキスできて光栄だろう?)
「……あー、そういうことを言う人には、絶対に体を貸しません」
行動力は抜群の柴崎教授に自分の体を貸せば、なんとか自分の体を奪い返すぐらいできそうだけど、柴崎教授が庭から脱出する時に、また捕まる可能性がある。
もしも、聡の肉体を貸していて、うっかり「残念」になってしまいループ確定になるかもしれないリスクだってある。
(冗談だ。この紫クダキツネは、メスだ。女性の肉体しか操れはしない)
クダキツネには性別がある。人間の男性にはオス、人間の女性にはメスしか憑依、つまり「狐憑き」にして操れない。
これはクダキツネになってみて、クダ使いの柴崎教授が理解したクダキツネの習性だった。
紫クダキツネが、偶然にもメスで良かったと聡は思う。
「柴崎教授、香織さんに憑依したら、いろいろ全部、解決しそうじゃないですか」
(それは無理だ。憑く前に叩きつぶされる。
香織さんは気功の発勁をうまく使いこなしている。
全身の血行を良くして、全身の若々しさを保っているらしい。
肌や髪も30代の柴崎教授と大差ない。香織さんは、世間の同じ実年齢の女性たちよりも、かなり若々しい肌の
(それより、君は香織夫人のお気に入りなのだろう。たっぷりごきげんとりでもして、私のために、庭の仕掛けの抜け道を聞き出してくればいい)
手のひらの上の紫色の毛玉がもぞもぞしている。柴崎教授は、聡が香織夫人とセックスするのは、不本意で、本当はとても嫌だと思っている嫉妬の気持ちが、手のひらから伝わってくる。
(まいったな。柴崎教授が隠しているつもりの、僕のことが好きって気持ちをクダキツネが、僕にこっそり、暴露してくるんだけど)
聡がため息をつくと、紫クダキツネの毛玉がふわふわと浮き上がり本棚の本の上に隠れた。
ノックに返事をすると、美優が書斎へ入ってきて、きょろきょろとまわりを見渡している。
紫クダキツネを美優は気に入ったらしく、見つけると手のひらに乗せて、うっとりとした表情で、ふわふわと浮き上がって逃げ出すまでたっぷりと見つめる。
どうも、それが柴崎教授は苦手らしい。高校生の頃に先輩の女子、後輩の女子、さらに同級生の女子に惚れられて、かなり積極的に迫られたからだ。
ボーイッシュでスポーツが得意な女子だったからか、男子より女子が、熱い目線で見つめてくる。
それと似たものを、紫クダキツネを見つめる美優の目線から、柴崎教授は感じるらしい。
聡はその記憶を追体験して、女子からモテている感じがして、悪い気分ではなかったのだが。
美優が紫クダキツネをお気に入りなのは、クダキツネの見た目が、とてもかわいいという理由だけではなかった。
(やれやれ、聡は恋心に鈍感なやつだな。なんだか、光崎のことがちょっと気の毒になってくるじゃないか。そばで暮らしていると、案外、ちやほやされるのに慣れてしまって、愛情に気づかなくなるものなのか?)
「あれっ、さっきまでいたんだけどなぁ」
「聡くん、書斎から出たらダメって、もふもふちゃんにしっかり教えておいてね。こわいメイドさんに、もふもふちゃんもお掃除されちゃうからって」
聡に今日も、笑顔で話しかける美優なのだった。
大学では誰にも見せたことがないごきげんな笑顔で。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます