side fiction/ 森山猫劇場 第19話

 紅茶を飲み、クッキーをつまみながら、香織は篠崎教授をじわじわと追い込んでいく。

 「奇門遁甲きもんとんこう」は、中国の兵法として編み出された。三国志では、名軍師、諸葛孔明が駆使していたといわれている。

 見た目では術者を祟り殺そうとしているようには見えない。

 柴崎教授が手をつけなかった来客用のクッキーをつまみ、優雅にティータイムを楽しんでいるようにしか見えない。


 柴崎教授が紅茶に一口でも口をつけていれば、今ごろは決着がついていたはずである。


(あら、なかなか、あの人、がんばるじゃない。でも、抜け出そうとしてたら、罠にかかるだけ)


 蘆屋道満の法術を受け継いでいる光崎家の結界に閉じ込められ、じわじわと力尽きるまでなぶられる。外界へ脱出しようとあがくほど、奥へと誘導される。


 クダキツネを飛ばす。

 白いまんまるな幼児の手のひらに乗るほどの毛玉がふわりふわりと柴崎教授より先に進み、シャボン玉が弾けるように消える。

 そこで立ち止まり、また進むべき方角を探す。

 脱出経路を探すたびに、柴崎教授の使役しているクダキツネたちは、少しずつ減ってしまう。


(おかしい、安全なルートを進んでいるはずなのに、まだ結界から出られない)


 種明かしをすれば、クダキツネたちが消滅したルートのほうを進むのが、唯一の脱出経路となっている。


 使役されているクダキツネは現実の外界に適応しているが、本来は異界のモノ。霊視された見た目のかわいらしさとは裏腹に、祟り神でもある。

 現実の外界では祓われにくいだけで、結界内でルート探索中のクダキツネたちが消滅しているのは浄化されているからである。

 それを呪詛で攻撃され消滅しているという思い込みがあると、逆に誘い込まれてしまう。

 陰陽師おんみょうじは、浄化と呪詛、どちらも使いこなす。


 クダ使いと陰陽師の対決。

 陰陽師のテリトリーでは、圧倒的にクダ使いは不利。


 柴崎教授の使役するクダキツネたちは、彼女を子供の頃から護ってきた。

 彼女の危機に、クダキツネたちは、彼女が生き残るために犠牲となることをためらわない。

 脱出経路を探すクダキツネのなかから、ひとつ、ふたつと救援を求めるために、光崎邸へ飛んでいく。


(やれやれ、クダたちに見捨てられたか)


 クダキツネは、人に取り憑きその精気を食らって祟り殺す力を持つと伝えられる。

 また、食事を与えると人の心中や考えを悟り、飼っている山伏に告げるともいわれる。

 結界の中を疲弊ひへいしながら聡のところまでたどり着いたクダキツネのひとつが、頭の上に乗って、聡の精気を分けてもらい回復していく。


 もしも、香織に見つかっていたら、蚊を叩きつぶすように、祓われてしまっていただろう。


 クダキツネが、柴崎教授の子供の頃に、真冬に外へ白装束で裸足で出されて、気絶するまで、井戸の水を浴びる修行をさせられている姿を、聡に記憶として伝える。

 すると追体験のように、聡はひどい寒気を感じる。

 柴崎教授のクダ使いとしての法術の力が、聡の中の魔導書グリモワールに加えられていく。

 回復中のクダキツネも、聡の魔導書グリモワールから知識を吸収していく。


「チェックメイト」


 香織がそう言った瞬間、柴崎教授はどの方向へクダキツネを飛ばしても、すべて消滅する位置に追い込まれた。


 そこに柴崎教授が見たことがないクダキツネの毛玉が頭の上へ、ひとひらの雪が降るように、ゆっくりとおりてきた。


(紫色なんて、見たことがない。あれはクダキツネではないのかもしれないな。それとも、呪詛じゅそにやられて、もう感覚が麻痺してきたのか?)


 柴崎教授は苦笑しながら、おりてきた紫色の毛玉を、両手を皿のようにして受け止めてやった。

 地面に落ちれば、クダキツネはたやすく地の力に吸収されてしまうから。

 少しでも珍しいクダキツネに自分の精気を餌として、柴崎教授は分けてあげたいと目を閉じた。

 呪詛で、意識と精気を奪い尽くされる前に。

 クダキツネの色は、赤、白、黒が多く、また三毛猫のように、三色まじりのものもいる。

 なぜか、珍しい紫色のクダキツネの毛玉から、よく知る人の声がした気がした。


(……教授……柴崎教授……僕の声は届いてますか?)


「その声は、聡か?」


(まだ無事みたいでよかった。どうにか間に合ったみたいですね。この子が柴崎教授が危ないからってボロボロになって飛んできて、僕に憑いたんですよ。とにかく、今から、魔導書グリモワールを使って、柴崎教授の意識をこの子に転送します。もう一度、目をつぶって、この子に意識を集中して下さい。早く!)


「意識が途絶えたようね」


 香織はティーカップの冷めた紅茶を飲み干した。


 自意識はからっぽの肉人形。

 指示に従うだけの人間。


(あの人を、しばらく、私が飽きるまで、下働きでもさせようかしら)


 紫色のクダキツネは、柴崎教授の意識を宿して、香織に見つからずに、書斎のソファーから身を起こした聡のもとへ、ふわふわと飛んできた。


「わっ、なにそれ、かわいい!」

「美優ちゃん、これ見えるの?」


 試しに、美優の手のひらへ乗せてみた。もこもこだね、と美優がにっこりと笑った。

 術者になる修行をしていないから、クダキツネが見えず、さわれないはずの美優は、あたりまえのように、紫色の毛玉を指先で撫でた。これには、聡と柴崎教授も、かなり驚いた。


「聡くん、これ、ハムスターみたいだね」

「……うん、まあ、そうかも」


 柴崎教授の意識の声を、美優には感じられないようだった。












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