side fiction /森山猫劇場 第10話

――「祈祷流離文明論」とは?


 現代の考古学の常識から逸脱した新説として、学会の主流からは異端扱いされ、注目されることはなかった。

 現在は、絶版となっているために入手困難。


 この書籍の筆者はK大学文学部史学科教授、坂口仁。民俗学者。

 この論文の執筆のための調査に参加した助手は学芸員の小谷恵子。

 この二人はその後、結婚。二人は日本各地のみならず、海外までフィールドワークを行っていた。


 国内外の骨董美術品の蒐集家コレクター光崎嘉朗みつざきよしろうは、分家の娘、典子と婚姻。その一人娘が香織。


 民族学者の坂口仁と光崎一族の本家の婿養子となった公彦とは、親好があり、光崎嘉朗のコレクションの品や光崎家の古文書などの調査は「祈祷流離文明論」の研究をさらに進めるためのものだったようだ。


 わかりやすく言えば、魔導書グリモワールが光崎家に所有されるまでのルートや原書についての情報を追って坂口教授は旅をしていた。


 飛行機事故で亡くなった旅に、妻の恵子が同行していた。

 国内とアジア圏の旅には同行していた恵子だったが、妊娠後は、息子の聡が7歳になるまで旅に同行していない。

 なぜ、最後の旅にだけ坂口教授と同行したのか。

 息子の聡を光崎家にあずけて。


 魔導書グリモワールとは何かを聡は知りたい。

 光崎公彦が利用しようとして扱いきれずに、手放そうとした奇妙な書物のことを。


(え……どういうこと?)


 美優から紹介してもらって会った現在の大学教授は、柴崎秀実しばざきひでみという31歳の女性だった。

 柴崎教授と美優が呼んでいたので聡は、彼女と大学の研究室で会うまでは男性だと思い込んでいた。

 今までのループの記憶には存在しなかった人物で、柴崎秀実は聡の記憶では男性だった。


 聡が夢で断片的にループした経験の記憶をみるのは、光崎邸に滞在中も続いている。


 これも今までのループしてきたのとはちがうパターンの正解を選択していることの変化だと、聡は考えることにした。


(これはチャンスなのか。変化している人は、運命の選択に関係ある人ってことかも?)


 過去のループで、いなかった人の言動や性格はわからない。

 経験の記憶から、消去法で残ったものが正解という安易な発想では運命の選択はクリアできない。


 しかし、ループで変化した出来事や夢でもわからないことは、逆に運命の選択に関係している可能性が高い。


 白い開襟ブラウスに、膝上あたりの落ち着いた色合いの女性用スーツのスカート。黒ストッキングに、あまり高さがない黒色のハイヒール。髪は栗色の茶髪でショートカット。

 性別と服装、顔立ちはちがう。

 年齢は30代なのは同じ。

 人の見た目では、大事なことは何も判断できない。


「君は坂口教授の祈祷流離文明論を読んだことは?」


 正直に読んだことがないと聡は答えた。

 下手に読んだことがあると嘘を答えると、何か内容に関係する質問には答えられない。

 さらに、それで柴崎教授からの心証が悪くなったら、聞き出せる情報が減る。

 聡は今回のループに失敗しても、次のループのために何か残せないかと腹をくくっている。


「荒唐無稽な新説だが、とても斬新な発想だ。貸し出しはできないが、ここで読んでいくぶんにはかまわない」


 たくさんの付箋ふせんが貼られ、また鉛筆の線で文章に線が引かれてある。

 柴崎教授は熟読しているようだ。読んだと言っていたら、大変な事になっていたかもしれない。


 聡はゆっくりと読むふりをしながら、魔導書グリモワールに、記録したいと考える。


「今日のところは、ここまでにしておきます。続きはとても気になりますが、一気に読むのはもったいない」

「結構、読んでくれてうれしい。生徒は最初の1章を読み切る前にあきらめて、ざっくりとした概略を講義で聞こうとする。君はこれを坂口教授の旅行記のようだとは思わないか?」


 神社仏閣だけでなく、史跡やいわくつきの土地を探していく過程が綿密に書かれていた。


「これを読むと、書かれている場所へ行ってみたくなる」


 聡は逆に、近づきたくないと思ってしまう。

 立入禁止の禁足地がどうやって出来上がるのか解説されていても、物騒ないわくや噂があるスポットなど、遠足気分で行けるほど、気分がいいものではない。


「きもだめしで行ってみるという人はいそうな気がします」


 聡がそう言うと、柴崎教授が鮮やかな紅い口紅の唇と、広角をキュッと上げ、チラリと歯並びの良い真っ白な歯を見せて笑った。


「ところで、光崎さんと今月、泊まりがけで山へキャンプに行く予定があるが、君も来るか?」


 キャンプと聞いて聡は首をかしげて、柴崎教授の笑顔が消えた顔を見つめた。

 美優は華奢な体つきで、荷物をかついで登山する体力があるタイプではない。


(あ……やられた。美優ちゃんは柴崎教授にキャンプに誘われて、断れなかったから、僕を巻き込むつもりで)


「夏の山はいいぞ。星もきれいで空気もいい」

「柴崎教授、そこには、どんな噂があるんですか?」

「行ったら話してあげよう。焚き火でもしながらね」


 選択としては、断ってもいい。

 しかし、美優が旅の同行者として大学の知り合いではなく、あえて聡を選んだ理由がわからないわけではない。




















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