side fiction /森山猫劇場 第4話

 何をしても正解を選び続けない限り19歳の9月1日を迎えた瞬間に世界はループしてしまう。

 聡が19歳の8月末日までの記憶を持ったまま、両親が飛行機墜落事故で死亡した8月12日の7歳の夜に戻されてしまう。


「あのね、さとしくんより、お姉さんなんだからねっ!」


 7歳の聡に対して、光崎美優が8歳の頃の口癖がこれだった。

 7歳といっても、19歳までの記憶がある聡からすれば、美優はまだ幼い小さな女の子に思える。


 8歳から19歳まで、ループした記憶を眠らせておく暗示を、医師の光崎公彦にかけさせる正解が見つかったきっかけ。

 それは、公彦の書斎で美優に発見された魔導書グリモワールを使った聡の悪戯いたずらだった。


 魔導書グリモワールは分厚く重い。

 百科辞典の中の解説文はまだ読めなくても、イラストや写真を絵本のようにながめるのが大好きな美優が、父親の書斎で魔導書グリモワールを見つけて、子供部屋に抱きかかえてきた。


「みゆの宝物だけど、さとしくんにみせてあげる」


 後日、光崎公彦に魔導書グリモワールを手渡した時、公彦は聡の両肩をつかみかかり、激しく揺さぶりながら叫んだ。


「これをどこで……いや、どうして聡くんが、今、これを持っている!」


 光崎公彦はたしかに日本の鎌倉の邸宅の書斎から魔導書グリモワールを持ち出し、チェコのチェスキークルムロフの街で、聡の両親である坂口夫妻に手渡し、旅から帰ったばかりだった。


 飛行機が墜落した時に、坂口夫妻の遺体も遺品も回収されず、搭乗チケット購入の記録から死亡が確認された。魔導書グリモワールも消失したはずだった。


 19歳の聡は、公彦の書斎の本棚に並ぶ大量の書物をながめて、魔導書グリモワールがないことに安堵した。

 聡が世界のループで得た記憶を8歳には忘れて、19歳に思い出す催眠の記憶操作。

 弁護士の里中夫妻が幼い聡をあずかる時、一緒に渡された12年前の手紙には、聡の記憶を呼び覚ますために、奇妙な図柄が描かれた。


 魔導書グリモワールはループ阻止に使われた。

 聡の血が一滴ふくまれているインクが、公彦の流暢な筆跡の手書きの手紙には使われている。


 当時8歳の美優が忘れているのはあり得る話だけれど、それを、なぜか、光崎家夫人の香織はすっかり忘れている。

 いや、もしかすると、忘れさせられたのかもしれない。

 ――魔導書グリモワールに。


 そして幼い美優がお気に入りだった鮮やかな赤い革表紙の魔導書グリモワールは、役目を果たしたので、聡以外の人々の記憶からは失われ、存在そのものが消えている。

 またループの阻止に失敗した時に魔導書グリモワールは、再び子供の聡と美優の前に出現するのだろう。


 魔導書グリモワールは召喚の秘術についての記憶が保存されている。

 

 8歳の美優は、魔導書グリモワールを抱きしめたり、撫でたりすると、とても安心して眠くなると言っていた。


 聡は象形文字のようなゴツゴツとした文字らしきものが、うねりながら渦巻きのように並んでいるページを指先でなぞった。


 一緒にながめていた美優が座り込んだまま、ぼーっとした呆けたような表情になっていた。

 心配した聡が指先で本をなぞるのを止めて、美優の名前を呼んでみた。


「……うん……うん……んんっ」


 どうすれば、ぼんやりしている美優を普段の美優に戻せるのか。


 聡があわてながら、開いた魔導書グリモワールを閉じようとした。


うすごす え  てぃび  よらならーく だぁ しえぁりいぁす まぐぬぬむ くやーるなく いえ いえ いえ むぐるうなふ  いうぅー すごす となろろ ぃん だぁ しえぁ りいぁす いえ ぬむ ぬむ ぬむ


 すると聡の頭の中に歌のようなものが浮かんできた。しかし、歌詞はとりとめもないような、そうでもないような、意味不明なものだった。

 その歌が不意に止んだと思った時、聡は目を覚ました。

 聡はベッドで眠り込んでいて、泣きそうな顔の美優に瞳をのぞき込まれていた。

 子供部屋から寝室へ、香織が眠り込んだ聡を運んだらしい。


 聡は、ループを繰り返した。

 魔導書グリモワールに何度もふれた。

 その結果、どこからか思い浮かぶ奇妙な歌を感じられるようになった。



 





 

 


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