side fiction /森山猫劇場 第1話
【催眠契約 hypnosis contract】
鎌倉の名家の光崎家の邸宅へ、聡が訪れたのは12年ぶりのことである。
あじさいが雨粒に濡れている6月。19歳になった聡は、親戚の
6歳だった聡は一度だけ、6月から8月の夏休みの終わりまでの3ヶ月を、鎌倉の邸宅で過ごしたことがある。
光崎公彦は医師であり、聡は幼い患者だった。
当時、話題になった飛行機事故で、海外旅行中の聡の両親は亡くなっている。
その後、聡は光崎家の援助を受けていたが、高校卒業のあと、聡が両親だと思って一緒に暮らしていた夫妻は、光崎家からの資金援助を条件に、聡の世話係の人たちだったことを打ち明けられた。
19歳の6月になったら、鎌倉の私の屋敷へ来たまえ。
その日、鎌倉は雨が降っているはずだから、傘を持参するのを忘れずに。
聡は光崎家の豪華な邸宅の扉の前で、安物のビニール傘をさして立っている。
聡が19歳になったら、光崎公彦の手紙を開封すること。
これが、育ての親の弁護士夫妻が、光崎家から資金援助を受ける最後の条件だった。
光崎家の資金援助で、弁護士の里中夫妻は、大きな事務所をかまえて働いて暮らしている。
5月の誕生日に手紙を読んだ聡は、両親が亡くなって葬儀に参加したこと、鎌倉の名家の邸宅ですごした3ヶ月間の日々を、断片的に思い出した。
聡は、5月の末まで外出する気力もなく、ベッドに寝そべり、自宅にこもって泣き暮らしていた。
本当の両親が亡くなったことを理解した時の悲しみの記憶を思い出して、悲しみのあまりに摂食障害に陥っていた。
「おはよう、父さん、母さん、一緒に食べる?」
「さ、さ、さ、さとしなのか?」
「あ、えっ……嘘?」
朝からベーコンエッグを焼き、のび放題だったひげも剃って、部屋着のだらんとのびきったパーカー姿ではなく、ジーンズとシャツにエプロンをつけた聡が、キッチンに立っていた。
6月1日。育ての親の里中夫妻は、朝から涙を流して、聡の用意したトースト、ベーコンエッグ、珈琲の朝食を食べていた。
前日まで内鍵をかけ、二階の自室にひきこもっていた聡は、真夜中に冷蔵庫をあさるのと、排泄以外は部屋から出て来なかった。
笑顔もなく、やつれてきて、ひげがのび放題。話しかけても、声にふりむくのに、虚ろな目で、返事もしなかった。
そんな感じにうらぶれていた聡が、今朝は爽やかな笑顔で挨拶して、食後に食器を洗い終えるとこんなことまで言って、里中夫妻をさらに泣かせた。
「二人とも、今まで、僕を育ててくれて、本当にありがとうございました!」
6月7日。
散髪も三日前に済ませ、本当の両親に墓参りも済ませた聡が、午後に鎌倉駅に到着した。
光崎公彦の手紙に書かれていた通り、梅雨入り直前とはいえ、雨が降ってきたので、苦笑してビニール傘をコンビニで購入した。
(まだ、世界の危機は終わっていないのか……やれやれ)
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