第59話 タロット占いとチーズケーキ

 ネット動画で最近、自宅の部屋で撮影したタロット占いを配信している。

 私は大アルカナの星のカードをながめるたびに、若い頃のことを思い出してしまう。

 

(私のことを隠れデート嬢だと思う人なんて、たぶん誰もいないんだろうな~)


 20代そこそこの頃、朝の出勤する電車のなかで、そんなことをぼんやりと思いながら、満席の座席が都合良く空かないかを気にしていた。


 待ち合わせた人に、デート代をもらって、サービスで手ぐらいつないであげる。

 飲食代はおごってもらうこともあったし、きっちり割り勘にしたいと言うこともあった。

 私がどこの誰で、普段はどんな仕事をしているかなんて、相手には教えない。

 学生の頃に、アルバイトでやったことのあるパン屋の店員という嘘は、バレなかったし、相手からの受けが良かった。


 今はもう、私は40歳手前になっている。

 隠れデート嬢を自分で引退することに決めたのは、30歳の誕生日のことだった。


(あー、誕生日なんて、もう特別な日じゃないけど、私は誕生日までデート嬢なんてのんきにしてる場合じゃないかも)


 待ち合わせた相手は、私より見た目から歳上に見えるのに、私と同じ30代だと言った嘘つきな人だった。


 どうしてすぐにわかる嘘を、平気でつける人がいるのか。

 心のなかでは軽蔑しながら、私は目の前の相手に愛想笑いができるようになっていた。


 私のなかでは風水ブームで、金運が上がるように黄色の長財布を使っていた。

 それを見た相手は、占いに私が興味があると思ったらしい。

 相手の人がネット検索をして、食事をしたお店の近くでよく当たるという評判のコメントがある占い師の店へ、私を連れて行った。


 鑑定用のテーブルにはアロマキャンドルが一つ灯されていた。また皿に水晶のかけらが乗せられている。鮮やかな赤い色のシートが広げられていた。

 占い師は初老の女性で、服装は変わった衣装を着ているわけではない。清潔感のあるブラウスにスカートという服装だった。地味と言われたら、たしかにそう見えるかもしれない。


「あなたは魂の成長の時期にある人のようですね」


 私は占い師の女性にそう言われたが、意味がわからず、笑顔のまま首をかしげていた。



 最近、たまたまその店のあった付近を歩く機会があったので、店のあった店の雑居ビルを下から見上げてみた。

 英会話教室、スポーツジム、占いの店……それらはすっかりなくなっていて、保険会社、マッサージ店、興信所などに入れ変わっていた。

 ブームが終わり需要に合わせ、街の光景は変わり続ける。


 私は占い師に言われた「魂の成長」という言葉が、なぜか魚の小骨が喉に引っかかったみたいに気になっていた。

 痛いところを突かれた感じ。


 私を占い師の店に連れて行った相手は、占いの鑑定のあと、お気に入りのカフェで、おいしいチーズケーキを食べる私の様子を、にやけながら見つめていた。


 少し前まで立ち上げた会社を親友と共同運営していたが、今は会社から手を引き、購入した賃貸物件のオーナーで、管理は不動産屋に任せて、おもに家賃収入で暮らしていると、自慢話をし始めた。

 私は相手受けの良い定番の、パン屋の店員という嘘をついた。


「だけど、一昨年おととしに肺に癌が見つかってね。今は放射線治療の効果もあって、喫煙はできなくなったけど、普通に出かけられるようになった」


 私は「そうですか」と軽く受け流すこともおかしいと思った。

「元気になって良かったですね」と言うには、相手の声のトーンや表情から、癌の転移や再発をおそれている感じもして、相手にうなずくだけでごまかすことにした。


 結論から言えば、相手は私の同情を誘って、デートだけでなく、援助交際として別に追加でお金を払うから、このあとラブホテルに行きたいと言い出した。


「デートだけの約束ですよね?」

「もし、君みたいに素敵な人を抱けたら、いい思い出になるから」  


 私は食べかけのケーキをもったいないと思いながら、黙って席から立ち上がった。


「え、どこに行くんだ?」

「すいません、私には無理です。そういうことができるお店にでも勝手に、一人で行って下さい」


 そう言ってやった。しかし、私の声は相手がこわくなって、震えていたかもしれない。

 カフェから急いで離れて、私は涙目で、なぜか、さっきの占い師の店に小走りで逃げ込んでいた。


「どうにか無事だったみたいね。おかえりなさいませ、お嬢さん」


 まるで、何が起きるのかわかっていたみたいな口調で、微笑を浮かべながら占い師は言った。


「しばらく、外に出ないほうがいいみたい。ここにいなさい」

「……はい」


 今回のデートの予定は、午後18時までの約束で、私は相手からおこずかいを受け取っている。

 まだ、午後15時29分。

 途中ですっぽかされた相手は、交番にデート嬢の女性から騙されたと相談に行くとは思えない。

 しかし、カフェで会計を済ませたあと、見失った私を探しまわってこの周辺や駅前などをうろうろしているかもしれない。


 この時、私は、激怒した相手が店のドアを開けて、ここまで追って来るのではないかと、ひどく怯えていた。

 すると、占い師はタロットカードの大アルカナは22枚、これは魂の成長の物語なのだと、ゆっくりとした優しい口調で、子供におとぎ話をするかのように、聞かせてくれた。


「あなたは愚者のカードが逆位置で出ていたの。でも、相手の勢いやなりゆきに、自分の運命をゆだねるのを止めた。流れに全てをゆだねてしまうほうが簡単だったはず。あなたは私が占った運命を変えた」


 この誕生日から、私は自分の運命や魂の成長について考え始める日々が始まった。


「さっきの一緒に来た人の未来のところに、塔のカードの逆位置。あなたの未来のところには、星のカードの正位置」


 占い師はテーブルの上に、私を占った時と同じカードを並べて見せた。

 私も初めて見るカードの絵柄をめずらしくて、じっと見ていたので、動揺が落ち着いてくると、その時にシャッフルして並べられたカードを思い出してきた。


「すごい、お客さんを占った時のカードに何のカードが出たのか、おぼえているんですか?」

「めずらしく、とてもわかりやすかったですからね。あら、あなたは、タロット占いに興味をお持ちになられたのですか?」


 星のカードの正位置には、才能の開花の意味もある。


 私に嘘をついてラブホテルへ誘った人がどうなったのかは、それ以来、再会することはなかったので、まったくわからない。

 再会するのかどうかを、自分で占ってみる気もしない。



 藤田佳乃は、お気に入りの占い師のネット動画をながめていた。

 占い師なら誰でもいいというわけではない。

 言葉選び、声質、口調のテンポが良く、あと鑑定結果を聞いていて、前向きな気持ちがいいアドバイスをくれる人がいい。


「またその人の、タロット占いの配信を見てるの?」

「うん。キョウくんが浮気しないか、占いの動画を見てたところ」

「ふーん、じゃあ、僕も佳乃ちゃんが浮気しないか見てみるかな」


 佳乃の部屋で、勝己は佳乃の肩越しに抱きついてスマートフォンの画面をのぞき込む。


「ちょっ、キョウくん、耳、くすぐったいから……ん、もう!」


 勝己の息が、佳乃の耳をくすぐる。くすぐったさに、携帯電話が佳乃の手からすべり落ちる。


 部屋の柔らかなカーペットの上に、まるで伏せられたカードのように、携帯電話の画面が下になっている。


 画面には、どんなタロットカードが表示されているのか――。


 ある占い師のタロット占いの結果よりも、この二人は自分たちの恋に夢中なのだった。

 

 

 

 



 

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