第52話 君がいたから
本宮勝己が選択した行動は、現実逃避をしていると、ばかにする人もいるかもしれない。
眠る前にWebサイトに書かれた小説を読み漁り、職場への移動時間や休憩中に頭の中で詩を書いてみて、書き出してみたりして日々をすごしている。
勝己のこの頃の行動をタイムパフォーマンス(タイパ)やコストパフォーマンス(コスパ)で考えてみれば、タイパは悪い、コスパも悪いと考える人もいるかもしれない。
食費も節約しているのに、気になったライトノベルの文庫本を購入して読み、読み終えたら古書店に売る。詩をWebサイトに公開しても、さほど大きな収入にならない。
そもそも、勝己は貧乏暮らしを抜け出す努力をせずに現実逃避しているだけだろうと決めつけることは、簡単にできる。目標と手段がまちがっていると。
何かを書こうとし続ける努力ができるなら、たとえばアルバイトをかけもちする体力や時間もあったはずだと。
余暇時間の趣味の楽しみのために、生活費を稼ぐために我慢して働いているのは悪くないと同情する人もいるかもしれない。
それでも、この頃の勝己の行動は、意味がわからないとあきれるかもしれない。
何かに熱心に、そして夢中になっている人を、とても魅力的に思う人はいる。
藤田佳乃は勝己の健康を心配しながらも、おすすめの作品はないかなと勝己から言われると、彼女は自分の部屋にある読み終えて感動したライトノベルの文庫本を、勝己に手渡すこともあった。
(でも、恋愛小説を読んで、キョウくん感動するのかな?)
自分の気持ちが納得できるところまで、とことんやってみないと気がすまない人なんだろうと、佳乃は、ただ勝己の隣にいることを今は選んだ。
そんな勝己にも、労働の疲労や生活費の困窮以外の悩みが、もちろんないわけではない。
将来の暮らしへの不安もある。それを考えてしまうと、恋愛する心の余裕が削がれていく。
佳乃の勝己への恋愛は、そばにいるのに停滞している。
佳乃は自分から積極的にぐいぐいと、勝己に既成事実を迫るタイプではない。
泉美玲は実家暮らしで、さらにカフェ「ラパン・アジル」のアルバイト代もあるが、通学する制服と職場でのメイド服の時間がほとんど。
平日の放課後は「ラパン・アジル」に直行して、帰宅後は試験用に問題と答えを丸暗記する作業をしたあとで、自分の創作ノートをちまちまと書き進めている。
美玲は記憶力が抜群である。
村上さんや母親の泉理香は、美玲ががんばりすぎて気持ちか燃え尽きないか心配していた。
「めずらしい。村上さん、今日はちびっこメイドはいないんだな」
天崎悠が、歳上の恋人の岡崎恭子を連れて「ラパン・アジル」を訪れた時、美玲はめずらしく休暇をもらっていた。
美玲が、村上さんに平日の金曜日に、休暇が欲しいと申し出た。働きすぎだと思っていた村上さんは快諾した。
なんで金曜日なのかを、村上さんは美玲に聞かなかった。
美玲は人と待ち合わせをしていた。藤田佳乃の職場に近いファミレスで。
金曜日、藤田佳乃の職場では残業しすぎない働き方改革という方針で、金曜日に社員を残業させる部署はペナルティという噂も流れた。のちに、在宅ワーク推奨の方針へ切り替えていくことになる少し前である。
ラパン・アジルで、藤田佳乃と水原綾子が働き方の話をしているのを聞いて、本宮勝己を誘惑する作戦を変更した。
本宮勝己を陥落するには、勝己の余暇時間か休暇を把握する必要がある。しかし、勝己は最近、土曜日に夜勤アルバイトをして、日曜日に図書館やラパン・アジルに来ない日も多くなってきた。
だから、美玲は作戦を変更することにした。
藤田佳乃と仲良くなる作戦。
金曜日に休暇をもらうことにしたのは、その準備。
「あっ、あの、お疲れさまです」
「美玲ちゃん、服装がちがうと雰囲気が変わるね~」
美玲は街で人と目を合わせたくないため、帽子を目深にかぶる。
うつむき気味でスポーツメーカーの長袖パーカーの裾で、口元のあたりを隠して話すこともある。
美玲は、藤田佳乃と会うために服装を変えることにした。
今までキャップをかぶったことがなかったけれど、美玲はキャップを文明の利器だと思った。自然に顔が隠れる。パーカーのフードをかぶるよりも自然に。
「綾さんは、あたしの
「あ……はい、いいですね」
(あれっ、美玲ちゃん、なんかちょっと緊張してるみたい。ん~、それとも、普段はこういうおとなしい感じなのかなぁ?)
恋をして好きな人と話す時に、人の判断力はかなり低下する傾向がある。
佳乃と二人っきりでは緊張するというか、自分の理性がふっ飛んだら困るので、佳乃と水原綾子が会って夕食を一緒にたまに食べると聞いて、美玲はこれに参加することにした。
美玲は、外食するのかと思っていたが、佳乃の部屋で食事をするとあとから知った。
これは嬉しい誤算だった。
水原綾子は、美玲が佳乃の趣味を知ったら驚くのではないかと、ちょっぴり心配していた。
佳乃は綾子を部屋に招待した時に、あまり驚かなったので、アニメグッズがあちこちにある部屋でも大丈夫と自信がついたらしい。
(いつかキョウくんをお部屋に呼んでも大丈夫なように、ちょっとは慣れておかないと。綾さんはおかあさんがイラストレーターの大先生だから、仕事場を見て慣れてるかもしれないし……あたしのほうが緊張してきたかも)
佳乃も少しずつ、次の恋のステップに一歩進むため、心の準備を始めているところだった。
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