第51話 Automatic

 人が歩く時には、両足で立っている時のバランスを、一度崩さなければ、前に一歩踏み出せない。


 休日に一人で図書館でのんびりする安定を、人が集まるかわからないけれど、詩人サークルのメンバーを募集することで自ら崩すことで、本宮勝己は人間関係と休日の変化を望んだ。


 サークルメンバーが集まってきて、小さな一歩を踏み出した。

 勝己は、自分でも詩を書いてみることで、新たな次の一歩を踏み出した。


 過去に勝己は、高校卒業後、すぐに安定した生活が保証されていた養護施設から、規則に従って出なければならなくなった。

 たしかに自由。けれど、行き場も稼ぐあてもなく、かなりアンバランスな状況。

 その時は、民間の自立援助ホームの創設者の竹宮薫の協力で、住む場所を確保できた。

 何をどこから始めたらいいかをとまどっていた勝己は、生活のために働き出すことができた。


 安定した状況から、アンバランスな不安もありながら、次の安定に踏み出していく。


 本宮勝己は、一歩ずつゆっくり歩むように、自分の現状を変化させる事を選んできた。


 いつも現状はアンバランス。

 どこか不安だと感じ続けている人もいる。


 逆に自分の現状は安定していると信じ込んでいて、アンバランスな状況のにある人たちを見下したり、同情する人もいる。


 変化を求め続けていくことよりも、安定を維持することを望む人たちがほとんど。


 本宮勝己の生活は一人暮らしをしながら、非正規雇用の派遣社員だったので裕福ではなかったが、休日に詩人サークルを始めたことで、人間関係が変わった。


 休日には会って親しく話せる女性たち――藤田佳乃、水原綾子、泉美玲というそれぞれ魅力的な人たちと知り合うことができた。

 また親しく接してくれる頼りになるしっかりした大人の男性たち――村上さん、天崎悠、山口誠司と知り合うことになった。


 過去に本宮勝己は、親がわりのように接してくれた竹宮薫のところから離れ、一人暮らしを始める時に、自分が孤児である事実を忘れて生きたいと望み、それまでの人間関係を断った。


 新しい自分になりたい。

 そんな決意を持って本宮勝己は一人暮らしを始めた。

 竹宮薫の自立支援ホームにいるあいだに、本宮勝己の生活していた養護施設から期限が来て出された人たちのあまり良くない噂を聞くことがあった。

 そうした噂の影響から、差別されないように生きるために。


 派遣会社に登録している非正規雇用の派遣社員から、週払いのアルバイトという不安定な収入の状況に勝己が陥った。


 勝己は周囲の親しくしてくれている人たちと、自分との収入の差に不釣り合いな感じがして、悲しくなった日もあった。

 

 実家で親と暮らしていたり、育った地元から離れずに暮らしている状況でなければ、人間関係は長くても10年ほどで疎遠になりがちである。

 まれに、子供の頃からの親友として関係が、ずっと続く人たちもいる。

 だが、一般的には、それぞれの生活の状況や目標のちがいで疎遠になっていく。

 子供の頃は毎日通学して同じ授業を受け、同じ決められた制服まで着て、受験という同じ目標を示されて共通する部分は多い。同じ目線で考える人と知り合う機会も少なくない。

 大人になれば、それぞれが仕事に合わせた生活リズムで生活していく。職場の人間関係などもできてくる。

 共通する部分が多く共感できる人間関係、たとえば趣味などの一致や生活の状況が近い人たちとの親しい関係を余暇時間に求める。

 自分から動いて、探さなければならないことが多い。

 ちがう生活、ちがう目標。しかし、同じ価値観や考え方の人たちが機会があってつながると、親しい関係になることはある。

 同じ価値観や考え方の人たちといることは、気分が安定して安心できるからだ。

 状況や考えかたが変わっていくにつれて、今まで親しかった人たちとのつきあいに違和感を感じるようになっていき、出会いと別れを繰り返していく。

 もう以前のように親しい関係に戻ることはできないと、決めつけることもできない。

 生きていれば、また道が交わるように再会することもある。

 それは、誰だって、その時になってみなければわからないこと。


 だから今、どんな人たちと一緒にすごしていきたいのかを、よく考えて選択することができる。

 

「ここで、僕はずっと珈琲を淹れてきて、他の仕事をしたことがありませんから。しばらくしたら、どうしてもしたい仕事が見つかるかもしれません」


「あのね、キョウくんが、ちゃんとごはんを食べられて、元気でいられるお仕事なら、あたしはいいと思うよ」


 職業で収入がちがうのは当たり前。村上さんはあせらないようにアドバイスをした。

 佳乃は勝己に、命の危険がない仕事でお願いしますと、心の中で思っている。

 佳乃は父親の命の心配を、子供の頃からずっと続けている。


「いい機会だから、就職したらいいんじゃない?」

「そうだな、芸能事務所のオーディションでも受けてみるか?」

「……受かったら大変そう」


 水原綾子は、勝己の顔をまっすぐ見つめて言った。

 天崎悠は勝己の声や顔立ち、そして雰囲気を気に入っている。今は歳上の恋人ができたが、まだ勝己に未練たっぷりである。

 勝己をなごませようと半分冗談で悠が言ったことに、綾子が少し不機嫌な表情になる。

 美玲が表情を変えずにつぶやくようにそう言ったので、勝己は思わず、ちょっぴりだけれど笑ってしまった。


「うん、みんな、ありがとう」


 勝己はそう言って笑った。

 何があったとしても、なんとかなりそうな気がした。


 勝己の今までの努力が足りなかったからだと、勝己を責めるようなことを言ったり、離職させた会社が悪いと、本人ではどうにもなからないことを批判して同情する人たちではなかった。


【詩は書き続けて下さい。どんなときも、書き続けることが、とても大切です】


 Webサイトで本宮勝己の俳句を見つけた詩人の山口誠司は、自分の経験から、勝己にコメントを送っていた。


 勝己はネット上のWebサイトの小説や、今まで書籍化された作品などを、疲れてしまって眠ってしまう前に、毎日、少しずつ、夢中になって読み始めた。


 

 


 




 

 



 

 


 

 


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