第43話 たしかなこと

 真夜中の電話は、建築家の天崎忠雄の訃報だった。

 悠がベッドに戻ってきて、一言だけ「親父が死んだ」と言った。  


 寝室は、悠の表情が今、どんな表情をしているのかわからないぐらい真っ暗だった。

 悠に何かを話しかけなければと考えたけれど、その答えが出る前に、悠が私の唇を奪った。

 むさぼり合うような愛撫に吐息と、二人のあえぎ声が、寝室に満ちていく。

 

 何も考えずに私たちにとって特別な存在だった人の死という事実を受け入れるために、生きている実感を、ひたすらこの夜は感じていたかったのかもしれない。


 悠の父親の葬儀は報道されて、ニュース番組で、霊柩車が斎場へ向かう様子が流れた。

 その後、悠の父親がデサインした美術館やホテルなどが短く紹介された。


「享年72歳でした。では、次のニュースです。本日未明、XXX市の住宅で火災が発生し、二階の寝室で眠っていた……」


 アメリカの病院に連絡して、腐敗を遅らせる処理を施され、他の空輸される荷物と一緒に、空港に到着したかつて建築家だった遺体は、葬儀社の黒塗りの車で、葬儀場へ運ばれた。

 

 私は姉の復讐を断念せざる得なかった。間に合わなかった。

 私は悠の父親に抱かれ、姉と比べられた。

 金で体をもてあそばれるだけではなく、姉と同じように愛撫されて、姉がどんな声を上げたのかまで、興奮する忠雄に聞かされた。

 忠雄と出会う前に姉がどれだけ落ちぶれて、身を売るようになっていたのかも聞かされた。

 知らないほうが、幸せなことはある。姉が私には聞かせたくなかっただろうことまで、忠雄は抱きながら語った。

 私の愛した姉の真琴を冒涜ぼうとくされた。


 その復讐として、私は悠が建築家として後継者となるのを待っていた。悠と関係を結び、忠雄の前に、悠の妻として現れてやるつもりだった。

 老いた忠雄に、姉と私に何をしたのか死ぬまで毎日、何をしたのか恨みごとを聞かせ続けてやるつもりだった。


 忠雄は死んだ。全身に転移した癌に苦しみながら、最後は一人で死んだ。

 もしも姉の真琴があの震災で生き残っていれば、忠雄の死に際まで、手を握ってつき添っていただろう。


 悠は父親の忠雄の期待通りに、建築家となった。そこまでは、忠雄に子供を奪われ、自分は捨てられたとはいえ、母親である姉の真琴も、息子の悠に期待していたことだ。

 私は姉に育ててもらった。私たちの両親が事業で失敗して自殺したあと、残された妹の私のために姉の真琴が犠牲となったのかを、忠雄から聞かされた。

 姉から生まれたばかりの息子の悠を奪い、離婚した。忠雄は私のことを、姉の荷物ぐらいにしか思っていなかったくせに、姉が死んだあと、姉のかわりにしようとしたのだ。


 悠の父親の忠雄が、私の姉の真琴と私に何をしたのかを、悠と体の関係を持ち、過去の出来事を聞かせるところまでしか復讐できなかった。

 目を閉じて、ベッドで身を投げ出したまま、余韻のなかでぼんやりとしている私の顔を見つめながら、悠はこう言った。


「俺が一生をかけて、岡崎恭子につぐないをしよう。親父はもういなくなったから」


 つぐない?

 悠は建築家の天崎忠雄の子供だけれど、忠雄本人ではない。

 

 私の復讐は、中途半端に終わった。悠の心を傷つけただけで。


 それでも、私たちは生きていかななければならない。

 つぐないをするとしたら、父親の秘密を暴露して、悠の心を傷つけた私のほうだろう。

 忠雄が死んでしまった姉を侮辱したように、私は悠の父親としての忠雄を侮辱したのだから。


 さて、悠に対して私は何ができるのだろうか?

 肉親を失った悠の悲しみを慰めることもできず、ただ呆然としてしまっていた私に――。



 




 

 

 

 

 

 

  


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