第41話 Hello, my friend.

 陽翔はるとが、あおいが亡くなってすぐの葬儀の日に、私に土下座して「佳乃さん」を一緒に育てて欲しいと言った。


 抗争で陽翔の妻と娘が襲われたことを聞かされ鳥肌が立った。

 陽翔への余計なことをするなという警告で、愛する家族の命を狙われる。そんなことが実際に起きているなんて信じたくない。


 葵の死因は交通事故で、ドライバーの飲酒運転によるものだと葬儀の前に聞かされていた。

 葵の運転していた車に追突した飲酒運転のドライバーは、事故車ごと炎上した。


「葵を刺した相手は、酒をむりやり飲ませて、車ごと焼いて事故死に見せかけた」


 襲撃から葵が命がけで守った佳乃さんを、陽翔の戸籍からわざと外し、私の養女にして、身を隠させる。


「絢音にしか頼めないんだ」


 そう言われてしまうと、私はもう断ることができなかった。

 佳乃さんを連れ、私は陽翔が用意した空き店舗と住居がついた物件に設備を急いで整え、美容室を開店した。

 それは陽翔から事情を聞いて、わずか一ヶ月後のことだった。


 葵は本家のヤクザの娘。私と陽翔は、親戚筋の分家の子供たちである。地方暮らしの私の家は、元農家で古民家暮らしだった。

 葵や陽翔は子供の頃、暮らしている都市から夏休みになると遊びに来ていた。

 陽翔は二歳歳下で、私と葵は同じ学年だったけれど、葵は特別扱いで「お嬢様」と大人たちから呼ばれていた。

 古い防空壕が、私たちの遊び場の秘密基地だった。

 陽翔は小学三年生までは、背も私たちより低くて、防空壕に入るのも怖がっていた。また蜂が服についたときは、こわがって半泣きになっていた。

 葵は恥ずかしがり屋というか、かなりの人みしりで、私の服のすそをちょこんとつまんで、小声で話しながら、うしろについてきていた。

 こんな感じの二人だったのを、私はすやすやと眠っている赤ん坊の佳乃お嬢様の寝顔を見て思い出してしまい、涙ぐんでしまった。


「そうか、そうか、陽翔、私とキスしてみる?」

 

 すると、まだ陽翔が小学六年生のくせに、中学二年生の私に、顔を真っ赤にしながら、本当にキスしてきた。

 その夏の日のキスは、私にとって、飼っていた犬以外との初めてのキスだった。


 このキスをした夏、もう私は陽翔に恋をしていたのだ。

 高校生になって、おじいちゃんとおばあちゃんが亡くなると古民家は翌年の雪がなくなったら取り壊すことに決まった。

 葵はそれを聞いたらしく、冬休みに泊まりに来た。おつきの舎弟たちもついて来たので、田舎ではちょっとした噂になった。

 葵はかわいい美少女になっていたけれど、私の方がおっぱいは立派だぞと思うことで、葵のかわいらしさに嫉妬しないですんだ。

 夜に真っ暗な部屋で布団に入ってから、小学六年生の陽翔にキスされた話をしたら、葵が私の布団に入ってきて唇を重ねてきた。

 

「私、陽翔くんが好き。絢音ちゃんから陽翔くんのキス、返してもらったから」


 小学一年生になっても、たまに夜、一緒の布団で抱きついて眠る佳乃さんの頭を撫でながら、私は葵がキスのあとで泣き出したので、頭を撫でた夜のことを思い出した。


(佳乃さんは、葵と顔立ちが似てるけど、おしゃべりでよく笑うのは私に似てしまった。これは私にあずけた陽翔が悪い。葵、ごめんね)


「佳乃、何を食べたい?」

「おっきいハンバーガー!」

「佳乃さん、まだ食べきれないですよ」

「いーの、パパ、食べたーい」

「はははっ、うん、じゃあハンバーガーを食べに行こう」


 陽翔の背も手も私より大きくなって、背中にはヤクザらしい刺青まである。

 もしも葵が生きていたら自分の娘に愛情たっぷりに話をする口調を思い浮かべ「佳乃さん」と私は葵になりきって話しかけ続ける。


「なあ、絢音」

「なんですか?」

「佳乃を、元気でかわいい子に育ててくれて、ありがとう」

「え、あ……はい!」

「パパ、あたしの帽子、あったよ!」


 佳乃が近所の男の子とおそろいの帽子をかぶって部屋から出てくると、陽翔はヤクザの顔ではなく父親の顔で、佳乃の手を引いて出かけて行った。

 少し距離があるが二人でデパートまで歩いていくらしい。


(パパに甘え上手は、葵と私、どっちに似たのかしら)


 感謝したいのは私のほうだと思って、私は写真の中の葵の笑顔に合掌した。

 

 私たちは同じ人を好きになってしまった。でも、奪い合うことは私にはつらかった。

 葵の恋を、私の唇がおぼえているから。

 そして、私は一度、その恋をなかったことにして、二人を祝福して、忘れようとした。

 でも、私は、ずっと忘れられなかった。


「もしもの時は、絢音ちゃんに佳乃をあずけて下さい」


 亡くなる少し前に、葵はひどい風邪で寝込んだ。

 その時、葵は熱で少し汗ばんだ華奢な手で、陽翔の手をギュッと握りながら、微笑みを浮かべ、そう言ったらしい。


 陽翔が大学生になって登山を始めたと聞いた。三人でハイキングの計画を立て、泊まりがけのキャンプに出かけた。

 私と葵は、一番大きな荷物を背負った陽翔の背中を追いかけながら山道をゆっくり歩くだけでもやっとだった。

 体力的にはきついのはわかっていたけれど、私たちは、子供の頃のあの夏の日に戻ってみたかったのかもしれない。

 

 一つのテントのなかで、陽翔は私たち二人の寝息を聞きながら、寝つけずに朝を迎えた。そして、私たちに山には一人で登ることにすると、ぼやいていた。


 その時の写真のなかで、葵は微笑みを浮かべている。

 

 ずっと変わらない笑顔で。





 






 





 




 

 

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