第38話 きらきらしたもの

 本宮勝己が佳乃と話している会話や表情に、泉美玲はかなり違和感を感じた。


 それは過去に美玲の恋の相手だった渡辺瑞希が、父親から受けていた性的虐待を他人に隠すため、他人との関わりを避けていた態度や行動だけでなく、美玲にも感情や本心を隠しているうちに、自分の感情や記憶が彼女自身にも曖昧になって心の荒んでいく過程を、美玲は見ていたからであった。


 渡辺瑞希は、自分が幸せだった頃の過去の記憶を思い出せなくなっていった人だった。


 本宮勝己は他の子供とは異なり虚無感が強すぎた。

 同じ保護施設で育った他の子供のような悲しみを、勝己は感じなかった。

 そのかわりに、役者が演技するように、いろいろな行動を試しながら、他人に接するための自分らしさや態度を作り上げてきた。


 藤田佳乃は、渡辺瑞希のように虐待され続けた人や、本宮勝己のように他人と生きていくために自ら人格を獲得する努力が必要だった人と今までの人生で会う機会がなかった。


 美玲は本宮勝己の言動や表情から、藤田佳乃に対して彼が自分の感情をごまかしている気がした。


 藤田佳乃という女性に、天真爛漫な明るさだけでなく、過去の自分と同じような素直さや、他人に対する情深なさけぶかさを感じて、うらやましさすら美玲は感じている。

 藤田佳乃には、まだ何かきれいで、きらきらものが心にまだ残っている。

 「瑞希さん」が虐待されながら生活しているうちに心から失っていったもの、そして美玲が失恋の悲しみで心から失ったもの。

 絶望と虚無感をまだ知らない心を、美玲は藤田佳乃は持っていると感じ、尊いと感動していた。


 本宮勝己に対して、天崎悠が似たものを感じた。だが、その素直さを天崎悠は尊いとは思っていなかった。

 むしろ強く生きるためには、重荷になるか、悪人につけこまれやすくなる欠点だと天崎悠は考えている。

 勝己が素直さゆえに失恋の失意や絶望に迷い苦悩した時に、自分が勝己の心を一生離れられないぐらい強く奪う。

 自分が悪人になってやるぐらいに、天崎悠は考えている。


(本宮さんは何か普通じゃない。素直さや大人たちの優しさじゃない危なっかしい感じがする。天崎さんみたいに、まわりに強がっている感じともちがう)


 藤田佳乃が、本宮勝己に好意を抱いているのは美玲だけでなく、村上さんや天崎さん、あと水原さんも、佳乃の勝己に対する言動や態度で気づいているだろうと美玲もわかる。


 本宮勝己も佳乃の好意に気づいているはずだと、美玲は思い込んでいた。


 本宮勝己は子供の頃から、周囲の人の心をつかんでいた。

 それは彼が震災孤児で、両親や親戚まで生き残っているのかすらわからないという境遇である事実と、震災で多数の犠牲者が出たことへの悲しみや弔いの気持ちも、彼の境遇の情報は呼び起こすからだった。

 

 本宮勝己は、過去の知り合いたちから離れ自分から関わりを持たないように気をつけながら、一人暮らしをしていた。

 のちに自分のルーツやいろいろな家庭の引きこもった子供とその家族をルポルタージュとしてまとめて彼は向き合う。

 

 自分という存在を、世間の他人たちが抱いている勝手なイメージで見られて同情される、特別扱いされてしまうことに、勝己はうんざりしていた。


 勝己は、他人に同情されていない自分自身で生きたいと望む大人になっていた。

 誰かの愛情をつかむために、利用できるものはどんなものでも使えばいいというような気持ちに勝己がならなかったのは、たとえそれが同情であったとしても、彼は他人から優しくされて育ってきたからだった。


 優しくしてくれる人に対して、どうやって接すればいいか。

 本宮勝己は感謝やよろこびを伝えなければ、同情してあげたのにと落胆した大人たちから、時には敵意すら向けられることを知っている。

 

 親がいないからって、同情なんてしないでくれと、耐えきれなくなって口に出した同じ保護施設で暮らす他の子供たちが、すねて心が荒んだ子供と判断されて、腫れ物にふれるように警戒されてしまうのを、勝己は多く見てきた。


 だから、藤田佳乃が好意を抱いてくれていても、もしも勝己の秘密を知ったら、ありのままの勝己として接してくれなくなると想像して、彼女を信じることができずにいた。


 藤田佳乃だけでなく、本宮勝己は、まだ親しくしてくれる周囲の人たちのことを、心のどこかで信じきれていなかった。


 同情だけで、他人のことを愛したりなんてしない。

 自分が愛したいと思えば、全力でやれることをする。

 それが、たとえば恥ずかしさなどで、うまくできなかったときは一人でため息をついて落ち込んだりもする日もある。

 親しい周囲の人たちに心配をかけないように、その落ち込んている気分から、自分なりのやりかたで、悩んでいる気分をうまく切り替える。

 そして、また何をしたら毎日が楽しいか、どきどきわくわくしながら考えて、自分の大好きな気持ちをぶつけていく。

 そんな藤田佳乃だけでなく、恋する人たちのひたむきさを、本宮勝己も、たくさん読んだ本の知識から頭ではわかっているが、心ではまだ信じきれていなかった。


 美玲は全力で恋をしている藤田佳乃という女性を素敵だと思い、やがて彼女に恋をしてしまった。


 美玲からすれば、恋する佳乃のがんばっている言動を見守っていると、理由はなんであれそっけない勝己の態度は、ひどく他人の感情に鈍感な人なのか、もしかすると、女性は恋愛対象外の同性愛者なのではないかと、彼女は少しイライラしてしまうのだった。


 









 


 

 

 


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