第33話 恋愛小説のように/3

 美玲は高校のクラスの女子の同級生たちが、昼休みに男性教師や男子生徒の誰が好みかを話している声を聞いたことがある。


 男性教師や男子生徒は、美玲にとって興味の対象外。


 藤田佳乃が村上さんと話しているときに、まず最初に「キョウくん」つまり本宮鏡という俳号の本宮勝己の名前を出したことから、図書館に来ているのは本宮勝己のことを佳乃が惚れているのだとよくわかる。

 天崎悠や水原綾子は「部長」というあだ名で本宮勝己を呼ぶ。


 「キョウくん」と呼ぶ藤田佳乃と「部長」と呼ぶ水原綾子のどちらが本宮勝己の好みなのか。美玲は藤田佳乃が帰ったあと、カウンターを拭きながら思った。


 天崎悠がカフェ「ラパン・アジル」に来店せずにいるのは仕事の都合だけではなかった。


 俳人で文芸批評家やエッセイストとしても活動している山口誠司が、本宮勝己に連絡してきていると悠は知った。

 

 本宮勝己が、女性との恋愛で失恋するのなら、天崎悠はかまわない。しかし、山口誠司に本宮勝己が身の上話を聞かされて、同情してしまい、油断したところを押し倒されるなんてことになりかねないと警戒した。


(勝己はノンケで、もしかするとまだ童貞かもしれない。俺と関係した頃と、誠司さんが今も変わってなかったら)


 本宮勝己と山口誠司がなりゆきで関係してしまうのを、天崎悠は想像すると、握りこぶしが震えるぐらい嫌でしかたがない。


 それがなぜか、天崎悠は自分の隠された気持ちに、まだ気づいていない。


 山口誠司は幼い娘を交通事故で亡くして、さらに妻に後追い自殺をされたので、十九歳の天崎悠が彼と出会った頃は、まだ強い喪失の悲しみを癒しきれていない人だった。

 悠は海外で父親の仕事の助手をするために、日本から離れなければならなかった。

 一緒にいることで山口誠司の悲しみがすぐに癒しきれるとは、天崎悠には思えなかった。

 そして天崎悠自身も、子供の悠を残して屋敷から去った母親を自殺へ追い込んだ敵、父親の愛人に対する憎悪を、当時は誰にも言わずに隠して抱えていた。


 天崎悠が山口誠司が本宮勝己に手を出して、男嫌いにされないように警戒しながら勝己に連絡を取り情報収集しながらも、父親の愛人と関係を持ち、父親への嫌がらせを着実に実行していた。


 天崎悠は心を許す恋愛対象は男性だったが、淫らに愛撫されたらたとえ女性であっても、勃起しないわけではなかった。

 そのはずだった。


 天崎悠は母親が子供の悠を捨て屋敷から去ったあと、自殺したわけではなく、旧姓に戻り水商売の世界で成功したことを知らない。


 美玲には藤田佳乃に対して嫉妬のような感情、のんきな母親と同じように恋に夢中の天真爛漫な女性の藤田佳乃を汚してみたい感情が芽生えていた。

 それは美玲は自覚していないことだが「瑞希さん」のことを同情して愛しながらも、拒絶され深く心を傷つけられた恨みも同時に抱いてしまっていて、癒されることなく忘れていても、心のどこかにしまいこまれているからだった。


 美玲は天崎悠や「瑞希さん」のように、自分もさらに傷つきながらも相手と関係を持ち、相手の心に痛手を与える行動をする人ではなかった。

 

 親への反抗期、成長していく肉体の変化にともなうホルモンバランスと情緒の乱れ。

 そうしたまとめられたきれいな言葉で説明されたとしても、悲しみや恨みを抱いた人が癒されるわけではない。


 藤田佳乃がカフェ「ラパン・アジル」から帰ったあと、約一時間後に本宮勝己がやって来た。

 藤田佳乃が少し前に来ていたのを聞いた勝己は、少し残念そうな顔をしたのを美玲は見た。

 村上さんに勝己は「天崎さん」と待ち合わせの約束をしているということを話した。


「もう彼の仕事のほうは一段落ついたのでしょうか?」

「そうらしいです。進行ぐあいを見て帰ってくると言ってました」


 美玲は本宮勝己を誘惑したら、あっさり藤田佳乃から気移りしてしまうのか、それともキッパリと美玲と気まずくなるのをこわがらずに交際を断ってしまうのか、試してみたいと思った。

 メイド服の下の背筋に、ぞくっと興奮が走った。





 



 




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